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長谷紅

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【シティ オブ ゴッド】修羅の国に生きる〝リトル・ゼという純粋悪〟の魅力

人間の中に潜む〝悪魔〟を思い出させる作品、それが『シティ オブ ゴッド』です。ブラジル史上最高興行収入記録樹立(観客動員数330万人)したこの作品は、1960年代から80年代にかけて、最も危険な時期だったリオデジャネイロのファヴェーラ〝神の街〟が舞台にした、実話を基にした物語です。
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『シティ オブ ゴッド』Vol.3|「こんなシーンに意味があるのか?胸糞悪い」

足を撃たれて泣きながら逃げる少年に「足をひきずるな!」と言い放つ鬼畜な青年リトル・ゼ。リトル・ゼを演じたレアンドロ・フィルミノ・ダ・オーラは、このシーンの撮影に、「こんなシーンに意味があるのか?胸糞悪い」と異議を唱えたと言われています。
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『シティ オブ ゴッド』Vol.2|70年代にブラジルで大流行したハンテン

この作品は、フェルナンド・メイレレス監督にとっても、もう二度と作ることが出来ない環境の中で生み出された奇跡と言えるでしょう。スラム街に住む若者を集めるというかなり危険な試みの中から、映画を生み出していく作業は、とてつもない情熱と行動力を必要とするものです。
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『シティ オブ ゴッド』Vol.1|短パンにビーチサンダル姿のギャングたち

『シティ・オブ・ゴッド』とは、のび太のような短パン姿にビーチサンダルの少年たちが〝笑いながら人を殺す〟映画です。この作品には、グレース・ケリーやオードリー・ヘプバーンが私達に与えてくれるようなファッションのエレガンスも、ボンドムービーやスティーブ・マックイーン、ブラッド・ピットが与えてくれるような〝男の教科書〟の要素なども微塵も存在しません。
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【アメリカン・ジゴロ】アルマーニとリチャード・ギアとローレン・ハットン

まだ無名だったジョルジオ・アルマーニがリチャード・ギアの全衣装を手がけ、アンコン・ジャケットと共に、〝男に<羨望>、女に<ためいき>〟〝瞬間をエンジョイする女性たちには、女の心を知る男《ジゴロ》がふさわしい〟というキャッチコピーに相応しい男を生み出すことに成功し、一気に世界的な知名度を手にしたのでした。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.9|ファッション・モデル界に革命を起こしたローレン・ハットン

1973年の終わりに、ローレン・ハットン(1943-)は、ファッション・モデル界に革命を起こしました。化粧品業界初の専属モデル契約をレブロンと交わしたのでした。チャールズ・レブソン率いるレブロンの最高級ラインであるアルティマⅡの専属モデルを1974年から2年間で40万ドルで引き受けたのでした。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.8|ローレン・ハットン、20世紀のヴォーグ史上最多の表紙を飾る!!

1966年11月号のアメリカ版『ヴォーグ』誌で、ローレン・ハットンははじめて表紙を飾りました。以後、アメリカ版『ヴォーグ』誌で27回、他の『ヴォーグ』誌で13回表紙を飾ることになります。そして、2017年11月号のヴォーグ・イタリアで、74歳のローレン・ハットンが再び表紙を飾りました。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.7|ローレン・ハットンとリチャード・アヴェドン

ローレン・ハットン(1943-)のファッション・モデルとしてのキャリアは、1964年にニューヨークのクリスチャン・ディオールのブティックで、週給50ドルでハウス・モデルとして雇用されることから始まりました。
ファッション・モデル

『アメリカン・ジゴロ』Vol.6|ローレン・ハットンとボッテガ・ヴェネタ

アルマーニのトレンチコートを着て登場するローレン・ハットン。ミステリアスな女性を引き立てるアイテムとしてのトレンチコート。そして、脇に抱えるのは、ボッテガ・ヴェネタのクラッチです。
未分類

『アメリカン・ジゴロ』Vol.5|アルマーニ革命とは何だったのか?

本作以降ジョルジオ・アルマーニは、多くの話題作に衣裳を提供していきます。1982年に『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』のミッキー・ローク、1984年に『ストリート・オブ・ファイヤー』、1987年に『アンタッチャブル』、1989年に『バットマン』、ちなみに、1992年の『愛という名の疑惑』でリチャード・ギアは再びアルマーニを着ています。
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『アメリカン・ジゴロ』Vol.4|映画がメンズ・ファッションの流行を作る時代のはじまり

この作品のすごいところは、そんなことは百も承知でありながら、アルマーニを着たリチャード・ギアの魅力への憧れを抱かせる〝アルマーニの魔性〟が映像の中を自由奔放に駆け抜けているところにあるのです。
その他の男優たち

『アメリカン・ジゴロ』Vol.3|カルティエのタンク・アメリカンを愛用するジュリアン・ケイ

リチャード・ギアは本作において、あらゆるアルマーニを身に着けました。フォーマル、セミフォーマル、カジュアル、デイタイム、イブニング、レジャーウェア、アンダーウェア、アイウェアの全てを。そして彼はアルマーニを体現するアイコンになりました。
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『アメリカン・ジゴロ』Vol.2|リチャード・ギアとアルマーニのアンコン・ジャケット

ジョルジオ・アルマーニが、友人のメンズ・ウェアのバイヤーだったセルジオ・ガレオッティと一万ドルづつ出し合い共同で創業したのは、1975年、ジョルジオが41歳の時のことでした。セルジオが経営について全てを引き受けてくれたので、内気でまじめなジョルジオはスタジオに篭り、デザインに専念できました。
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『アメリカン・ジゴロ』Vol.1|リチャード・ギアとジョルジオ・アルマーニの革命

全てはブロンディの『コール・ミー』からはじまりました。いやもっと正確に言えば、ジョルジオ・モロダーのシンセサイザーからはじまりました。そしてマリブを疾走するメルセデス・ベンツ450SLと、ジョルジオ・アルマーニのスーツを着たリチャード・ギアが現れるのでした。
シャネル

【シャネル】N°5(No.5)の歴史⑦ オドレイ・トトゥとブラッド・ピット

かくしてN°5は、永遠の輝きを放ち続けています。そして、誰が新たなるミューズになろうとも人々は、N°5の永遠のミューズはこの二人の女性以外には存在しないことを知っています。ガブリエル・ココ・シャネルとマリリン・モンローの二人です。
原節子

【麦秋】1950年代の美しい日本人の教科書

小津安二郎(1903-1963)は一年かけて『麦秋』の脚本を盟友・野田高梧と練り上げ、『晩春』(1949)で初タッグを組んだ原節子(1920-2015)が主役を演じることを絶対条件に、1951年6月から9月にかけて撮影は行われました。
原節子

『麦秋』Vol.4|小津安二郎に魅了されたフランソワ・トリュフォー

小津安二郎監督の作品は、極めて細かい部分まで、監督の要求する動きが、俳優に求められます。アヤと紀子が紅茶を飲むシーンは、25回以上のリテイクが重ねられたと言われています。二人がカップを上げるときの調和、バランス、ひじの上がり方。小津監督の映画は全てにおいてリズムなのです。日本のリズムです。
原節子

『麦秋』Vol.3|イングリッド・バーグマンに憧れた原節子

宝塚歌劇団のスーパースターだった淡島千景様が1950年に退団し、「てんやわんや」で映画デビューし、さっそく第1回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞しました。その翌年に出演したこの作品では、原節子様と同じくらいに魅力的な存在感を示していました。
原節子

『麦秋』Vol.2|原節子と淡島千景と三宅邦子

全てを見せずに余白を残す。余白の美学を知るファッションが、これからは求められます。それは、テクノロジーの恩恵にあずかりながら、テクノロジーに支配されない生き方と共通します。美しい女性には余白があります。そして、美しい女性は、アナログなのです。
深作欣二

【魔界転生】こんな天草四郎様となら、どこまでも堕ちてゆきたい。

『魔界転生』が公開された1981年6月の2ヶ月前の4月に、ファッションの歴史を二人の日本人が揺り動かす衝撃的な出来事がありました。はじめてパリ・ファッション・ウィークに川久保玲のコム デ ギャルソンとヨウジヤマモトがデビューしました。
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