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長谷紅

ジェームズ・ボンド

『007 スカイフォール』Vol.3|ジェームズ・ボンドとタキシード

21世紀に入り、なぜボンドムービーを若者が求めるようになったのでしょうか?それは、夢も希望もないどん底の日本社会に対する閉塞感の裏返しでもあるのですが、それと同じくらい、ルールなきファッションが広がるカオスな現状において、ルールが存在する伝統に基づいたファッションに興味がわきはじめるという、本能に近い欲求なのかもしれません。
ジェームズ・ボンド

『007 スカイフォール』Vol.2|ダニエル・クレイグとベン・ウィショー

新しいマネーペニー(ナオミ・ハリス)と、Q(ベン・ウィショー)の登場は、間違いなく007シリーズを、ネクスト・レベルに引き上げる役割を果たしました。特に、ベン・ウィショー(1980-)が、素晴らしいです。
ジェームズ・ボンド

『007 スカイフォール』Vol.1|ロンドン五輪の開会式=女王陛下の007

6代目ジェームズ・ボンドであるダニエル・クレイグ(1969-)でした。そして彼はそのピークを2012年7月27日のロンドン五輪の開会式に持ってくることによって、21世紀最高の男性のファッション・アイコンの位置に駆け上ったのでした。
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マリリン・モンロー

【ナイアガラ】マリリン・モンロー、モンローウォークと共に現る。

マリリン・モンロー(1926-1962)は、本作『ナイアガラ』においてモンローウォークを誕生させました。そしてマリリン初のカラー映像と共に、同年に公開された『紳士は金髪がお好き』 『百万長者と結婚する方法』も大ヒットし、1953年は『マリリン・モンローの年』となったのでした。
その他の伝説の女優たち

『ナイアガラ』Vol.5|50年代アメリカン・ビューティー、ジーン・ピーターズ

実は私はこの作品を初めて見たとき、マリリン・モンローよりもジーン・ピーターズ(1926-2000)のファンになりました。彼女は『愛の泉』(1954)でも好演を見せていたのですが、これからという時に、大富豪ハワード・ヒューズと結婚し、映画界を引退してしまいました。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.4|21世紀に生き続けるマリリン・モンロー

多くの女性が、マリリン・モンローに惹き付けられるのは、不器用さにあるのだと思います。不器用だからこそ、ずっと同じヘアスタイルを続け、自分の創造を貫く。やがて、容貌の衰えや、蓄積した精神と肉体の疲労により、自滅していく。しかし、その勝ち取ったものの一部は芸術として日を追うごとに価値が高まるのです。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.3|マリリン・モンローの作られ方

マリリン・モンローに、ロングヘアのイメージはありません。死後60年以上経っても尚、世界中の女優やファッションモデルにとって憧れの存在として突き抜けています。その理由は、老いを見せないというスターの永遠の願望を叶えたことと、プラチナブロンドのボブをカールした、あのハリウッド・カールによってでした。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.2|マリリン・モンローとブリジット・バルドー

『素直な悪女』で、マリリン・モンローに匹敵する〝セックス・シンボル〟となったブリジット・バルドーは、この年10月、英国・ロンドンで開かれる年一回の大レセプションであるロイヤル・コマンド・パフォーマンスに招待され、エリザベス女王に拝謁することになりました。そして、マリリンとはじめて会うことになるのでした。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.1|マリリン・モンローとモンローウォーク

マリリン・モンローがスターダムに駆け上るきっかけとなった記念碑的作品。それが『ナイアガラ』です。この作品におけるマリリンは、まさに典型的な〝ブロンドヘアーのファム・ファタール〟を演じるのです。映画史上かつて存在しなかった〝時代を超越するセックスシンボル〟が誕生した瞬間でした。
カルティエ

【カルティエ】パンテール(アルベルト・モリヤス)

1981年に「マスト」からはじまったカルティエのフレグランスの歴史は、カルティエ創立140周年を記念して作られたこの「パンテール」によりひとつのハイライトを迎えました。若き日のアルベルト・モリヤスにより調香されました。
オードリー・ヘプバーン

【噂の二人】オードリー・ヘプバーンの〝静の美学〟を感じる。

『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーン(1929-1993)のイメージを作り上げたウイリアム・ワイラー監督が、再映画化したいと願っていたリリアン・ヘルマンの原作を、オードリーと『アパートの鍵貸します』で人気の絶頂にあったシャーリー・マクレーン(1934-)の競演により実現させた作品。
オードリー・ヘプバーン

『噂の二人』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとシャーリー・マクレーン

シャーリー・マクレーンとオードリーの共通点は、バレエでした。 踊れるということは、そのことにより、すでに見えないファッションに身を委ねているということ。 シャーリー・マクレーン(1934-)がこの作品において際立っているのは、『アパートの鍵...
オードリー・ヘプバーン

『噂の二人』Vol.1|ジバンシィを着ていないオードリー

この作品が、オードリー・ヘプバーン(1929-1993)の最後の白黒映画でした。彼女は、本作の前にファッション・アイコンとして〝不滅の存在となる〟映画「ティファニーで朝食を」に出演していました。そしてその対極に位置する、〝飾り気のない〟女優としての幅を広げる作品に出演することを決めました。
その他の男優たち

【俺たちに明日はない】ふたりのラストダンスは87発の弾丸と共に

1967年に『俺たちに明日はない』が全米公開された瞬間、アメリカン・ニューシネマ旋風がはじまりました。一方で、フェイ・ダナウェイのファッションがボニー・ルックとして、ファッション業界に与えた影響も爆発的でした。この作品以降、世界中の女性が、ベレー帽を手に取ることになったのでした。
その他の男優たち

『俺たちに明日はない』Vol.7|ウォーレン・ベイティと本物のクライド・バロウ

本物のクライド・バロウの残された写真を見ていても、すごくお洒落な青年だったことが分かります。1930年代前半は、世界大恐慌と禁酒法真っ盛りの暗黒時代でした。そして、そんな時代に、若者たちは、飢えながら惨めに生きながらえることよりも、束の間であっても、華やかな夢を見て、太く短く燃え尽きたいと考えたのでした。
その他の男優たち

『俺たちに明日はない』Vol.6|ウォーレン・ベイティと30年代のクライド・ルック

ベレー帽とタイト・ニットとミディ・スカートで話題になったフェイ・ダナウェイによるボニー・ルックだけでなく、ウォーレン・ベイティのクライド・ルックも大変魅力的です。1960年代に、男性のファッションが急激に女性化したからこそ、そんな時代の空気を反映して、この作品には、3人の男性が配されています。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.5|ブリジット・バルドーのボニー・パーカー

1967年のパリのプレミアにおいてフェイ・ダナウェイは、ベレー帽を被ったボニー・ルックの女性たちに、ロックスターのような熱狂の中迎えられました。それはロンドンにおいても同じでした。彼女はまるでビートルズやローリング・ストーンズのような存在になったのでした。そしてこのスタイルがブリジット・バルドーにも大いなる影響を与えたのでした。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.4|デス・バレエ。死ぬまで踊れ!

死に向かって走り抜けたボニーとクライド。最後に羽ばたく鳥の群れと、地面に伏せる老人。そして、ゴールキーパーのような姿勢を取り、ボニーを見つめるクライドと、クライドに一瞬笑顔を送るボニー。二人の視線が合った瞬間に、『滅びの美学』の幕が切って落とされたのでした。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.3|フェイ・ダナウェイと本物のボニー・パーカー

ボニー・ルックとは、フェイ・ダナウェイ(1941-)が演じたボニーという役柄から名付けられたものです。それは恐らく実在した犯罪者の名前を冠した唯一の「ルック」の名称であり、現存するボニー・パーカー(1910-1934)の写真を見ていても、ボニー自身が、このタイムレスなモードのアイコンであることを示してくれています。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.2|1960年代後半、ベレー帽が大流行する。

フェイ・ダナウェイ(1941-)扮するボニー・パーカー(1910-1934)にベレー帽を被らせるというアイデアは、コスチューム・デザイナーのセオドア・ヴァン・ランクルのものではありません。それは元々、本物のボニーが、ベレー帽を愛用していたからでした。
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