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『乱』2|原田美枝子とワダ・エミと黒澤明

黒澤明
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作品データ

作品名:乱 (1985)
監督:黒澤明
衣装:ワダ・エミ
出演者:原田美枝子/仲代達矢/根津甚八/ピーター/隆大介

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日本のファッション史において最も重要な衣装。

日本人女性の魅力の全てを体現した白装束の原田美枝子様。

4ヶ月のリハーサルの成果。驚くほどの短刀捌きの巧みさ。

そして、忘れてはならないのが、『その後の仁義なき戦い』(1979)で共演している根津甚八様の素晴らしい受けの芝居。

このシーンの素晴らしさを語るときりがないのですが・・・

最も重要なことは、リハーサルに4ヶ月かけた末に生まれたものであるということでしょう。

この作品以降、映画に時間をかけることは出来なくなり、もはや芸術性の高い日本映画は数えるほどしか作られなくなりました。

メイクテストとリハーサルだけで、週に1,2回4ヶ月要したと言う。

「楓の方が、〝キツネにとりつかれた女〟のように見え、自分の線の細さに愕然としました。一生懸命演じましたが、楓の方に大きさや太さが感じられない」そして、「今度はなぜできないのか悔しくて、辞められないと思うようになっていました。俳優を続ける意欲がわいたのは、黒澤明監督が映画の面白さを十二分に体感させてくれたからです。」

原田美枝子

楓の方ルック4

幽玄な白装束。中には光沢の素晴らしい摺箔。数珠を持つがお歯黒はなし。

「たわいもない!次郎殿!この楓、夫を殺されてもなんとも思いませぬ。ただわらわが思うのは我が身の事じゃ!」この台詞回しが、どこか『隠し砦の三悪人』(1958)の雪姫=上原美佐様に似ていて、ハツラツとしており、こんな女性がいたら魅力的だと感じさせる、「物語の中を生きている」存在感に満ち溢れています。それは、美枝子様の能作法指導をした金春流の本田光洋さんの功績も大きいということです。

ワダ・エミ様のリアリズムを放棄した能装束の選択が生きるも殺されるも、俳優の芝居が能的な幽玄美を携えながらも、リアリティを失っていないことがポイントだったわけです。だからこそ、黒澤監督は台詞に感情が込められているかということに重きを置いたのでした。ただ形ばかりの能の様式美がそこにあるのではなく、物語全体が生命力に溢れているその中に能の様式美が存在していることが重要だったのです。

染めや織り、刺繍はすべて昔ながらの手作業でおこなわれました。大量生産でつくられたもの、たとえば機械で織った織物は仕上がりが平板になります。人の手が加減しながら織ったような質感は出てきません。皆さんの身近なところでは、同じ糸を使ったとしても手編みのセーターと機械編みのセーターとでは着心地がまったく違うものです。手編みのセーターは空気を含んで温かく、肌の当たりも柔らかい。・・・テクニックをテクニックと見せないような熟練した職人技が、ゆたかな表情を生み出し、役者の動きにいきいきとした生命力を与えてくれました。

ワダ・エミ

男性の着物である能装束を女性が着ると言うこと。それは男性が演じる媚やかな女性像と本当の女性である美枝子様の魅力が一体化して生み出された楓の方というスタイル・アイコンの誕生であり、日本人だけでなく、海外の人々にとってもとんでもなく魅力的な女性像の創造の瞬間だったのです。それはある意味、『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーのような存在なのです。歴史上のファッション・スタイルで、女性の持ちうる魅力を最大限まで示した日本映画においての最高の成功例なのです。

その最も分かりやすいシーンこそが、次郎に襲い掛かり、戸を閉めるときに、「たわいもない!」と言った後の、男のような笑い声なのです。日本女性の魅力とは、きつねか何かに取り付かれたようなこの魔性の瞬間にあるのです。

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幻の高倉健。しかし、結果的には名演技の井川比佐志。

殿は楓の方に鼻毛を読まれましたな。

鉄修理(井川比佐志)

当初、高倉健(1931-2014)に井川比佐志(1936-)が演じた鉄修理をオファーしていた。「今までにない高倉健を見せましょう」と4度も黒澤監督は健さんに会いました。しかし、『居酒屋兆治』の準備が始まっていたことと、『海峡』(1982)で共演以来、信頼を寄せた森繁久彌さんが反対したことにより、実現しませんでした。黒澤監督は、その健さんの反応に対して「難しい男だ」とつぶやいたと言われています。一方、健さんは、『乱』が公開された時、その壮大なスケールに「出ておけばよかった」と後悔したと言われています。

黒澤明×高倉健が実現したところで、恐らく勝新太郎様と同じ結果になりえたのかもしれません。黒澤監督の作品においてスター俳優は不要なのです。そういった意味においては、本作の鉄修理は、井川様が本当に素晴らしかったのです。この人が美枝子様の滅びの始まりとなる説得力に満ちていました。

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仲代達矢であることを忘れさせる素晴らしさ。

本当の意味でのカメレオン俳優です。

女性的な配色の衣装に身を包む中性的な老人。

昨今の俳優には気迫がない。ショウウインドウのマネキンみたいだ。サラリーマン化した俳優はほどつまらないものはない。もっと気迫をもって役を個人で新鮮に生き生きと役の人物を創造して欲しい。俳優であると言うつまらない自意識を捨て、一個の人間として役を理解し、掴み、それをズカリと表現して見ろ。そうすれば、どんな役でも生き生きと表現出来る筈だ。太い筆に墨をたっぷりつけてぐいっと大きな字を書くつもりでやれ!

黒澤明

脚本に書かれていない部分でもその人になりきる。朝から晩までその人のことを思っているんです。自分の生活も放棄して、極端に言うと、新聞も見ない、ニュースも見ないくらい一ヶ月、二ヶ月、その役だけをずっと思ってるわけです。そういう現場に入ったら、電話もかけない、メールも見ない。一時シャットアウトして役をずっと思うぐらいになることが大事だと思います。

原田美枝子

打掛に使われる唐織(綾織の上に刺繍のように紋様を織り出す技法)では、約60色の糸を使い、完成までに3~4ヶ月かけた。メイン・キャストの衣装には全て天然の絹と麻が使用されている。

本作の素晴らしい要素の一つに、仲代達矢(1932-)様の存在感の恐ろしさがあります。その素晴らしい運動の美学が、一文字秀虎の煌びやかで女性的な配色を違和感なく着こなしていきます。

白と赤の寝間着にローブのようなイメージで作ったという没落後の衣装は撮影用に4着作られました。この衣装を仲代様は、まさにカメレオンのように着こなし、時に荒野の一部となり、時にピーター様の背景になり、時に三郎との再会の主役となり、まさに能舞台の鏡板の松のような役割を果たしているのです。そして、最終的には秀虎自身の顔が能面のような形相になってしまうのでした。