ジェームズ・ボンド

ショーン・コネリー1 『007/ドクター・ノオ』1(4ページ)

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ドクター・ノオが、マオカラー=悪役のイメージを作った。

josephwiseman

伝説の悪役ドクター・ノオを演じたジョセフ・ワイズマン。

60年代から70年代の悪役キャラクターに与えた影響は計り知れない。

ジョセフ・ワイズマン(1918-2009)のドクター・ノオによって、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』のハンにも影響を与えた悪役像が創り上げられました。映画史上初めてマオカラーの悪役が登場した瞬間です。そして、本作以降、多くの悪党はマオカラースーツを着るようになりました。ファッションの持つ影響力を如実に示す例です。

ドクター・ノオが映画の中のファッションにおける文化大革命を起こした瞬間でした。

ドクター・ノオ・スタイル
  • サンドベージュのマオカラースーツ
  • 白のパテントレザーのローファー
  • 鋼鉄の義手を持つ男

ファッションを通して自分を高めていく。

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1962年10月7日。プレミア。コネリーとボンドガールの一人ジーナ・マーシャル。

記念すべき007第一作となるこの作品は、今から50年以上前に100万ドルの予算で作られ、60倍の利益をあげました。昔の映画を見ると、感性の幅が広がります。たとえばこういうことです。2000年から2010年代の映画しか見慣れていない人と、1920年代から2010年代の映画を満遍なく見ている人とでは、単純に映画の知識量が多いということだけでなく、1920年代の映画を見るとき、1950年代の映画を見るとき、白黒映画を見るとき、カラーでもテクニカラーの映画を見るとき、といった風に、その時代に合わせたスタンスで映画と向き合うことができるようになります。

この感覚を、感性のふり幅と呼ぶならば、後者の映画との向き合い方は、常に感性が磨かれている状態にあると言えます。スピードを重視した映画に慣れると、やがて、内容よりも映像の切り取り方にのみ終始するようになり、深みのある静謐な映像を前にしてしまうと、何も感じない感性の退廃を生み出すことになります。

熱狂の中での感性の退廃を示す好例として、昨今の大都会でのハロウィン・イベントを例にとって見ましょう。そのコスプレの大半を、コスプレと呼ぶレベルに満たないボロだと感じたのは私だけでしょうか?何とも形容しがたい、クタクタのコスプレ衣装に身を包んでいます。普段は、「ビヨンセ、テイラー・スウィフト、マイリー・サイラスのステージ衣装は、コスプレであっても日本のシンガーには出来ない本格志向で格好良い」と言っていた彼女達がです。そんな彼女たちがハロウィンで着るファッションはボロなのです。「一晩限りだから」と言ってボロを着る人々。ハロウィンとは、渋谷に露出狂の売春婦たちが集まる日なのでしょうか?

ファッションの浅さが、自分をどんどん低い次元に貶めていくという好例とでも言えるのではないでしょうか?コスプレではない、リアル・ボンドテイストを男性の感性に埋め込んでいくためには、新しいボンドムービーだけでなく、過去にさかのぼり、ただハイスピードの熱狂の中で、感じるだけではない、ジェームズ・ボンドの洗練の歴史を見る必要があるのではないでしょうか?

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