世界はヘルムート・バーガーを中心に回っている!
この映画のシンデレラ・ボーイの名をヘルムート・バーガー(1944-2023)と呼びます。彼は当時ヴィスコンティの寵愛を一身に受けていました。
オープニング・クレジットにおいても『ローマの休日』(1953)でオードリー・ヘプバーンの名の上に冠された〝introducing〟がヘルムート・バーガーの名の上に冠されています。つまり、ルキノ・ヴィスコンティが自信を持って紹介する、明日のスターということなのです。

〝introducing〟つまりは〝お披露目〟と紹介されているヘルムート・バーガー。
20代のうちにしか出来ないことその一。それは才能の豊かな中年男女に寵愛されることです。人生とは年長者から学ぶ数だけ、その成長の度合いは高まるのです。
もともとの二人の出会いは、大学在学中の1964年、クラウディア・カルディナーレ主演の『熊座の淡き星影』の撮影のために、トスカーナ地方のロケに来ていたヴィスコンティの撮影現場に居合わせたことからでした。
ヴィスコンティは見物客の中に一際目立つ美青年ヘルムートに目を留め、寒い時期だったので、助監督にマフラーを持っていかせ、翌日にはちゃっかりデートし、すぐに同棲することになりました。そして、1966年にはヴィスコンティ監督の『華やかな魔女たち』でデビューすることになりました。
ヴィスコンティにより、多くの文化的素養を仕込まれたのち、満を持して出演したのが、本作です。この作品におけるヘルムートの演技は何かにとりつかれているとしか言いようのない素晴らしいものでした。
そして、見事にスター俳優の座に駆け上り、ヴィスコンティ作品で順調にキャリアアップしていましたが、1976年ヴィスコンティの死去と共に、ヘルムートのキャリアは低迷します。自嘲気味に、「ヴィスコンティの未亡人」と自らを呼び、1977年3月に睡眠薬自殺を図ります。
「あれ程心から僕を愛してくれる人はもう二度と現れない」とヘルムートは語っていました。
1960年代後半から70年代半ばにかけて、世界の芸術はヘルムート・バーガーと共に回っていました。それは、彼が20代にして、素晴らしい中年男性のパートナーを見つけたからでした。
「才能豊かな中年男女に寵愛される」20代のススメ。さぁ、ヘルムート・バーガーの栄光をキミに!
私が思うには、ある種の犯罪性、罪悪性に通じるような歴史的状況という視点に立って、ほんとうに典型的ななにかをやろうという点、ナチズムはファシズムよりはるかに示唆するところがあるし、おそらく世界全体にとってもはるかに示唆するところが大きいだろう。つまりナチズムは大いなる悲劇だったのである。恐しい流血の機構として、全世界に向かって口を開き、散らばっていった。
いっぽう、ファシズムは全世界に影響をおよぼすことはなかった。いわば、イタリアのアルベニアその他の地方に限ってだけだ。ナチズムが大いなる悲劇であるのに対して、ファシズムはむしろ喜劇であると思うのはそのためだ。
ルキノ・ヴィスコンティ
二十世紀はナチスを持ち、さらには幸いなことには、ナチスの滅亡を持ったことで、物静かな教養体験と楽天的な進歩主義の夢からさめて、人間の獣性と悪と直接的暴力に直面する機会を得たのである。
しかしこの映画はいかにナチスに多くを負っていることであろう。ナチスがあったおかげで、われわれはあらゆる悪をナチスに押し付け、われわれの描くありとあらゆる破倫・非行・悪徳・罪・暴力の幻をナチスに投影することができるのである。
三島由紀夫『映画芸術』(1970年4月、割腹自決の7ヶ月前)

世界は私を中心に回るのよ!

マルティンの愛人オルガ役のフロリンダ・ボルカンと。
マレーネ・ディートリッヒが賞賛した女装シーン

美青年がチェロを弾き、粛々と華麗なる一族の長の誕生パーティーが進む中、突然、ヤツが現れる!

格式高き祝祭に突然現れる女装したヘルムート・バーガー。

マレーネ・ディートリッヒの女装。もちろんムダ毛処理はなし。

『嘆きの天使』(1930年)のマレーネ・ディートリッヒ
ヴィスコンティは『夏の嵐』と同じ手法で、オペラ的演出の瑰麗を極めたものを示すが、あれがイタリー・オペラなら、こちらはドイツ・オペラであり、ワグナー的巨大とワグナー的官能性が、圧倒的に表現されている。日本でこれに匹敵するものを探すなら、わずかに市川崑の『雪之丞変化』があるだけだろう。
三島由紀夫『映画芸術』(1970年4月、割腹自決の7ヶ月前)
ルキノ・ヴィスコンティ。彼は苦もなく人を魅了し、啓発し、支配し、教えこみ、とりこにしてしまうのでした。
マレーネ・ディートリッヒ
「子供の頃より、女装を楽しんでいました」というヘルムート・バーガー。彼はノージェンダー時代のパイオニアでした。ルキノ・ヴィスコンティは、ヘルムートに対して撮影時、執拗にNGを出したという。
特に女装シーンに対しては、マレーネ・ディートリッヒの『嘆きの天使』(1930年)の「ローラ」を唄い踊るシーンを、ドラァグクイーン・テイストで誇張して再現することを要求しました。例のごとく「キミの足にノーマルな男さえも見とれるほどの踊りを見せて欲しい」と要求しています。
苦労の末、この女装シーンは、歴史に残る名シーンとなりました。それはエッセンベックの邸宅が場末のキャバレーになる、ナチスの退廃的な美学を示すシーンであり、その空気を敏感に感じ取り、マレーネ自身が、ヘルムート・バーガーに賞賛の手紙を書き記したほどでした。
さらに『麗しのサブリナ』等で有名な巨匠ビリー・ワイルダーは「全世界の中でヘルムート・バーガー以外の女には興味がない」と評しました。
ヘルムート・バーガーは女装を愛していました。それが全てでした。彼は、マレーネの女装をごく自然体でやってのけたのでした。
ヘルムートが教える、男性が女性に変身するという意味。

この作品の成功はこのシーンにかかっていた!

それにしてもこの色気!世界の美が、ヘルムート・バーガーの足元にかしずいた瞬間。

今の日本からも感じる退廃的な空気が凝縮されているシーンです。

貴婦人シャーロット・ランプリングが静かに見つめているこのカメラアングルが素晴らしい。

ヘルムート・バーガーの身長は184cmです。
深夜突然、生の暴力が、この一族をまるでヤクザ一家の悲劇のような、色も香もない、実も蓋もない、直接的暴力悲劇の結末へ一気に運んでしまうのである。ここがこの映画の最初の狙いであり、文化も教養も地位も、富ですら何の助けにもならず、生の、生粋の暴力の前に一瞬にして崩壊してしまうのだ。
かくてこの劇を推進させる本当の力がはじめて露呈される。それこそはナチスである。文化と文明の画布を、何のためらいもなく、ひと突きで破って突き出された「鉄拳」である。まるであるべきでないものがあり、起るべきでないことが起るという、この苛烈なコントラストに、ナチスの真の特徴があった。もし美しい座敷のまん中で糞をひることが公然と行なわれるにいたれば、全教養体系はあっけなく崩壊するのだ。
三島由紀夫『映画芸術』(1970年4月、割腹自決の7ヶ月前)
元々、女装の定義は、ムダ毛を処理しないことが大前提なのでした。あくまでも男性が女性を超越する意味をこめての女装であり、胸毛も脛毛も腋毛も眉毛もそのまま男性の要素を残しつつ、女性のファッションに身を包み、男性の感性で生み出す背徳の世界観を示すのです。
一方、トランスジェンダーとは、ムダ毛を剃り、豊胸し、整形を繰り返し、金玉を取り・・・どこまでも女性に近づこうとすることです。やがて女性よりも美しい人たちも出てくるのです。トランスジェンダーとは、究極に磨き上げられていく美とも言えます。
ヘルムート・バーガーのパフォーマンスから見えてくるのは、女性らしさに向かうのではなく、男性の美しさをより光らせるために女性美を取り込んでいく姿勢です。今で言うところのドラァグ・クイーンの魅力の原型がこのシーンに凝縮されています。
マルティン・エッセンベックのファッション1
マレーネ・ディートリッヒ=バーレスクスタイル
- シルバーのトップハット
- 黒手袋
- 白の羽毛ストール
- 黒のガーターストッキング
- 黒のミドルヒールパンプス
- スパンコールのバーレスク・コスチューム
作品データ
作品名:地獄に堕ちた勇者ども The Damned (1969)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
衣装:ピエロ・トージ
出演者:ダーク・ボガード/イングリッド・チューリン/ヘルムート・バーガー/シャーロット・ランプリング