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【ジャン パトゥ】ジョイ(アンリ・アルメラス)

その他のブランド
©Patou
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ジョイ

原名:Joy
種類:パルファム
ブランド:ジャン パトゥ
調香師:アンリ・アルメラス
発表年:1930年
対象性別:女性
価格:15ml/60,480円

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1929年10月24日『暗黒の木曜日』に、世界大恐慌はじまる。

joy-1930

1950年代の広告。©Patou

こうしてできあがったのが、あらゆる規則を無視した狂った香水「ジョイ」だった。フランス香水に英語の名前なんて名称からして挑発的だった。

フランソワーズ・サガン

女性のエレガンスは、主に視覚と嗅覚の2つの感覚によって感知される。視覚は、ドレスの美しいライン、コートの芸術的な包容力、よく磨かれた足の甲、上質なシルクのストッキングをはいた脚の透明感を見分けることができる。

嗅覚は、すれ違う女性の匂い、隣の席の女性のデリケートな香水、ダンス相手の悩ましげで率直な匂いを嗅ぎ分けることができる。要するに、ドレスを作るにせよ香水を作るにせよ、それは常に美と魅力の創造なのだ。

だからこそ、このクチュリエは女性への影響力を高めながら、いつかドレス、コート、毛皮、ランジェリーを作ったように、香水も作りたいと夢見ているのです。

ジャン・パトゥ

1929年10月24日、『暗黒の木曜日』と後に呼ばれることになるウォール街大暴落により、世界大恐慌がはじまりました。そして結果的に、ナチス・ドイツの台頭と第二次世界大戦が引き起こされる遠因となりました。

この未曾有の世界大恐慌の影響を受け、ファッション・デザイナー、ジャン・パトゥ(1887-1936)も、丁度ニューヨークにブティックを構えたばかりであり、1000人以上の従業員を抱えるブランド存亡の危機に立たされていました。

ジャンは、レーシングカーを運転し、カジノでギャンブルを愛するような男です。そんな彼は起死回生の一手を本業の服飾には求めませんでした。なぜなら、今までの顧客層はもはや大恐慌により、高額な買い物が出来なくなっていたからでした。

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1925年からはじまる、ジャン・パトゥの香水の興亡史。

「アムール、アムール」©Patou

ジャン・パトゥの香水の歴史は、1925年に発売された香水3部作「アムール、アムール」「クセジュ」「アデュー サジェス」(それはラブストーリーを語る三連作です。〝情事のはじまりを告げる香り〟〝何が起こっているのか?を告げる香り〟〝良識とおさらばする香り〟)からはじまりました。そして三つのタイプの女性の髪色に合わせた香水でもありました。

調香を担当したアンリ・アルメラス(1892-1965)は、エルネスト・ボーに4年間師事し、ロジーヌ、ドルセーを経て、1925年から1933年にかけてジャン・パトゥの専属調香師をつとめました。

アンリはジャンと、第一次世界大戦の最中である1916年にギリシャのテッサロニキの渓谷の砲台で出会いました。彼は、お酒と女性を愛し、気性が荒く、エレガントなレストランを嫌い、ビストロでしか食事をせず、酔っぱらいながら調香するという伝説を持つ人でした。

そんなアンリに、ジャンがパリのファッション・ショーに来られなくなったアメリカの元富裕層の顧客たちに対し、大恐慌時代を超越した、非常に贅沢な新しい香水の贈り物を調香するように指示を出しました。

ジョージ・バーナード・ショーが「世界の8番目の不思議」と呼んだ社交界の女王エルザ・マクスウェルが考えたキャッチフレーズ「世界で一番高価な香水」を引っさげて1930年に登場したこの香りの名は「ジョイ」でした。それはフランスの香水であるにも関わらず英語の名がつけられていました。

アンリ・アルメラスとパフューム・バー。

最初にこの香りは、250人の上客にプレゼントされました。そしてオーダー香水として顧客の名を入れたボトルに、目の前で液体を入れ販売されました。ジャン・パトゥのパリのサン=フロランタン通りにある本店に、〝パフューム・バー〟なるものも作られました。

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世界一高価な香水をつくろう!

©Patou

複雑な香水は避けるべき。少数の香気成分に限定すべきである。それは多くの色を混ぜる画家は、茶色しか得られないことと同じである。

アンリ・アルメラス

当時ジャン・パトゥのプレス・エージェントをつとめていたエルザ・マクスウェルは、フランス香水史上最高の香水のエッセンスを求めて、パトゥと共にグラースへの旅に出ました。そして3日間、アンリ・アルメラスが調香した様々な試作品を嗅いだが、二人はすべてを却下しました。

たとえ新しい服が買えなくても、世界中の女性が元気になるような、今まで存在しなかった最高峰の香水を作ってください。

そして、困惑しているアルメラスにこうアドバイスしました。

ドレスをいっそう目立たせたいとき、私は高価な素材を使うか生地を2倍使う。この香水も同じように濃度を2倍にして下さい。

好き勝手に注文を付ける二人に対して、我慢の限界に達していたアルメラスは、怒ったように呟きながら、小瓶を突きつけたのでした。

意外なことに、その小瓶の香りにすっかり感動した二人に対してアルメラスは「もちろん素晴らしい香りでしょう。最高級のエッセンスから作られているんだから。しかし商業的には使えないけどね」と答えたのでした。

商品化するにはあまりにも高価すぎる天然の原料で作った〝現実的ではない夢の香り〟が、商品化の道を進んでいくことになります。

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「ジョイ」の生花の輝きは、合成香料により導き出されたもの。

©Patou

「ジョイ」の魅力は、まさに咲き誇るローズとジャスミンの花園の中で女が女であることを喜べる、天国にいちばんちかい花園に、瞬間で降り立つことが出来るところにあります。

「世界で一番高価な香水」、または「世界で一番高価な花束の香り」。それはあなた自身が、世界で最も高価な花になる香り。そんな「ジョイ」が、花そのものの美しさを引き立ていく、植物が生み出す音まで再現した香りだと言われるのは、ひとつの合成香料の力によるものです。

影の主役の登場です。その男の名をモーリス・シェブロン(1887-1952)と申します。合成香料の神と呼ばれる彼の存在を、この時代、合成香料の使用が知られることをどのブランドも望んでいなかったため、一般的には知られていません。

この香りにおいては、モーリスが作り上げたジャスミン231が、豊かなハニーサックルの痕跡を付け加え、ローズとジャスミンのシンプルなブーケに、奥行きを与えることに成功しています。

そんな大量の天然香料と微量の合成香料により生み出された人工庭園の香りを嗅いだ時、エルザ・マクスウェルは「この香りの名は〝ジョイ〟だわ」と叫んだと言われています。それは世界中で通じる意味がある名前であり、この香水がどこで売られようとも、車にとってのロールス・ロイスのように、ジョイは卓越性の基準となるという意味を込めてとのことです。

ですが、本当のところは、ジャン・パトゥ自身が〝小さな贈り物がもたらす喜び=数滴の喜び〟を示唆し、〝希望の光と、厳しい日常生活からの束の間の休息〟を象徴し、命名したと言われています。

「ジョイ」に使用されたジャスミンとローズのコンクリートは特別な品質でした。シャネルの他に、パリのメーカーでグラース産ジャスミンを使ったのは私たちだけです。他にもとても良いジャスミンはありますが、グラース産ジャスミンの香りとはまったく違います。

ワインと同じで、カベルネ・ソーヴィニヨン種から造られたボルドーと、カリフォルニアで栽培された同じ品種のブドウから造られたワインはまったく違う。

以前はグラースにはジャスミンの個人生産者がたくさんいたのですが、多くの畑が建設業者に売却されてしまったため、私たちは自分たちで畑の一部を買い取り、必要な量を確保するために長期契約を結ばざるを得なくなりました。1キログラムのアブソリュートを作るには、600万から700万本のジャスミンの花が必要です。それはとても多いように見えるかもしれませんが、ひとつひとつの花はとても小さくとても軽いのです。

ジャン・ケルレオ(1967年にジャン・パトゥの専属調香師となる)

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ジャン・パトゥについて。

ジャン・パトゥについて「彼は私が知るどの男性よりも動物的な魅力とセックスアピールがあった」と社交界の女王エルザ・マクスウェルは回想している。

ジャン・パトゥの水着のコレクション。

ジャン・パトゥとマヌカンたち。

2024年にアメリカからやって来た6人の女性たち。現在のファッション・モデルの基準を作った瞬間。

ジャン・パトゥという自分の名を冠したファッション・ブランドを創立したこの男は、1887年にノルマンディーで生まれました。1910年にパリに移り住み、1914年8月2日に創業するもすぐに、第一次世界大戦がはじまり、大尉として塹壕で4年間生き延びねばなりませんでした。

そして戦後、1919年に初のオートクチュール・コレクションを発表しました。

1920年代から30年代を代表するファッション・デザイナーとして、狂騒の20年代に、丈が短くなっていたイブニングドレスを再び長くし、アール・デコとキュビスムという二つの芸術の潮流に絞った鮮やかな色彩と幾何学的な形を取り入れたスタイルで人気を博しました。

テニススカートやニット水着をはじめとするスポーツウェアも発明し、さらにカーディガンをモードにし、ネクタイをブランドで販売することを考えたアイデアマンでもありました。

ジャンヌ・ランバンやガブリエル・シャネルと共に繫栄し、1919年から1924年の間にメゾンの収益は30倍に増加しました。

1924年には日光浴が流行するのを見越し、初のサンオイルを売り出しました。同年11月にパトゥはニューヨークに渡航し、背が高く、健康的に引き締まった女性モデルを起用することを決断しました。そして、ヴォーグ社の事務所で500人もの応募者の中から6名の女性が選ばれました。ヨーロッパのクチュリエがはじめてアメリカ人のモデルを雇い、現在のファッション・モデルの基準を作りました。

1925年には、〝テニスの女神〟スザンヌ・ランラン(1899-1938)のためにデザインしたテニスウェア(白いニットのトップスに、白い絹のプリーツスカートにヘアバンド)に、ダイヤモンド型のJPモノグラムのブランドロゴを使用しました。自分のイニシャルをロゴとして使用した最初のデザイナーであり、今日のモノグラム・デザイナー・ラベルの先駆けとなりました。

ルイーズ・ブルックスジョセフィン・ベーカーなど当時の有名人に愛され、皆彼のコルセットなしで着られるドレスを着ていました。

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〝美をつかさどる生命〟を素肌に伝承していく神話的な香り

1991年広告。モデル:トリーナ・チェンバース。©Patou

ブルガリアン・ローズとグラース産のジャスミンという、とてもシンプルで潔い組み合わせ、それは調香に使われる最も高貴な2つの原料を組み合わせにより、非常に豊かなフローラル・ブーケを作り出しています。

「ジョイ」にはベースノートはありません。肌に留まるのは、天然香料の豊かさのおかげである。「ジョイ」はおそらく香水史上において最も自然な香水であり、また最も高価な香水のひとつでもあります。

ジャン・ケルレオ

まさに野生の花束の香りです。10600本のグラース産ジャスミンと、28ダース(336本)のメイローズのアブソリュートが、貪婪に快楽を求めて彷徨しているように、僅か30mlのパルファムのために使用されました(シャネルのN°5(No.5)よりもさらに多くのジャスミンとローズを用いた)。

まさに目がくらむほどのフローラル・シンフォニーとルカ・トゥリンが形容したその表現がぴったりな、朝が明け、ベルガモットの閃光の中、熟したピーチの露が滴る、明るくも華やかなチューベローズ、イランイラン、ハニーサックル、ブルガリアンローズが躍動するフローラルブーケの香りから〝ジョイ〟は始まります。すぐにまぶしいアルデハイドの輝きが注ぎ込まれ、甘美な泡立ちに満たされてゆきます。

やがて、グラース・シンフォニーと言い換えたくなる、滑らかで妖艶なインドールの効いたジャスミンと華やかで酸味を放つメイローズがたがいに香りを打ち消し合うことなく、素肌の上に満ち広がってゆきます。伝統的にこの二つの花の組み合わせで香水を生み出すことは稀有でありシャネルの「No.5」が作り出したトレンドでした。

背景に最初から最後まで存在する洋ナシやグリーンノートといった新緑の輝きにより、この素肌の花の庭には、アニマリック、フレッシュ、スウィート、グリーン、フルーティの全てを併せ持つ、まるで、18世紀のヨーロッパの若き王妃様が、あなたの素肌の上で謁見して下さるような至福の瞬間に満たされてゆきます。

そしてスパイシーなアイリスの涼やかさと共に、官能的なムスクとミルキーなサンダルウッドが、アニマリックなシベットとひとまとめになり、ロマンティックで荘厳たるローズの蒸気の余韻を残してくれるのです。

まさにローズとジャスミンが持つ〝美をつかさどる生命〟を素肌に伝承していくような、神話的な香りと言えます。

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ボトル・デザインについて

©Patou

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アールデコの代表的デザイナー、ルイ・スーが、形の調和を司る神聖なプロポーションという古典ギリシャの概念である黄金律に従って、クリスタルのボトルを創作しました。

1932年に一般販売されることになり、中国の鼻煙壺という、翡翠や琥珀を使い、彫刻を施した容器をモチーフした赤のキャップと黒のボトルのデザインを手がけました(クリノリンからもインスパイアを受けていると言われています)。

そして、この香水は、歴代2位の売り上げを記録する伝説的香水の道を歩むのでした(1位はシャネルNo.5)。2000年には、FiFiアワードにて「20世紀最高のフレグランス」に選ばれました。

ちなみに2018年8月にLVMHにジャン パトゥは買収され、日本で代理店だったブルーベル・ジャパンの取り扱いは、2019年3月31日に終了し、日本から完全に消えることになりました。

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『美徳のよろめき』と『華麗なる一族』に登場する香り

月丘夢路主演で1957年に映画化された『美徳のよろめき』

現代においては、何の野心も持たぬということだけで、すでに優雅と呼んでもよかろうから、節子は優雅であった。女にとって優雅であることは、立派に美の代用をなすものである。なぜなら男が憧れるのは、裏長屋の美女よりも、それほど美しくなくても、優雅な女の方であるから。

『美徳のよろめき』三島由紀夫

三島由紀夫の1957年の小説『美徳のよろめき』の中で、ジョイは2度現れます。

「来週の火曜日、その日が来てみると節子は久々に、身じまいと化粧との、目的のある新鮮なたのしみに溺れた。下着に凝っていたので、絹の焦茶のスリップを着る。そのスリップのへりは、沈んだうすい冬空のような青で染めたレエスでふち取ってある。その上から薄茶のシース・ドレスを着る。常用の香水、ジャン・パトゥのジョイをつける。」

『華麗なる一族』

鈴木京香様

28才のよろめき夫人節子が愛した香り。そして、山崎豊子の1970年~72年の小説『華麗なる一族』でもこの香水は登場する。万俵大介の愛人・高須相子(2007年のTVドラマでは鈴木京香様が演じる)を象徴する香りとしてである。日本においてのジョイとは、オンナの道を生きるオンナの中のオスを呼び覚ます香りなのかもしれません。

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ヴィヴィアン・リーをはじめとする、名香を愛した人々

1975年に限定販売されたバカラのクリノリン・ボトル。

海外においてジョイを愛用していた人で最も有名な4人として、『風と共に去りぬ』(1939年)でスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーマリリン・モンローグレース・ケリージャクリーン・ケネディ・オナシスが挙げられます。

ヴィヴィアンがこの香りを愛するようになったのは、ローレンス・オリヴィエから贈られたからでした。以降彼女は死ぬまで、ジョイを必ず持ち歩き、ルーム・フレグランス、ブレスケアにも使用していたほどでした。ちなみに『風と共に去りぬ』で共演したオリヴィア・デ・ハヴィラントの愛用香水もジョイでした。

ちなみにフランソワーズ・サガンは著作『香水』の中で「ジョイ」が最も似合う女優は、〝官能的な香り〟だからエリザベス・テイラーだと記しています。

ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「ジョイ」を「フローラルシンフォニー」と呼び、「ジョイを単にフローラルと形容するのは間違いだ。1930年にアンリ・アルメラスが調香した香りの本質は、花ひとつひとつの特徴を具現化するのではなく、花という概念を表現するに至っているのだから。」

「ジョイはローズでもジャスミンでも、それにイランイランでもチューベローズでもない、それは壮大なる甘美な香り。実にみごと。」と5つ星(5段階評価)の評価をつけています。

1930年の世界大恐慌と同じような状況に直面しつつある今こそ、再び「ジョイ」の復活を望んでやみません。

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香水データ

香水名:ジョイ
原名:Joy
種類:パルファム
ブランド:ジャン パトゥ
調香師:アンリ・アルメラス
発表年:1930年
対象性別:女性
価格:15ml/60,480円


トップノート:チューベローズ、ブルガリアン・ローズ、イランイラン、アルデヒド、グリーンノート、カラブリア産ベルガモット、ピーチ
ミドルノート:グラース産ジャスミン、メイローズ、アイリス、百合
ラストノート:ムスク、サンダルウッド、パチョリ、シベット