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『麗しのサブリナ』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとジバンシィとフェラガモ

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
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オードリーが一人で選んだジバンシィの衣裳

ファッションの仕事に関わるものにとって、オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィの運命的な出会いのエピソードは非常に興味深いものがあります。

事の始まりは、ビリー・ワイルダーが、『麗しのサブリナ』の衣装デザイナーである、イーディス・ヘッドに言ったこの一言からはじまりました。「パリから帰国した後のサブリナのフォーマルな衣装はパリのデザイナーにお願いすることにします」。一説によると、このワイルダーのアイデアは、オードリーのアイデアを取り入れてとのことですが、真相は今となっては分かりません。

イーディス・ヘッドが1983年に書いた自伝にはこう記されています。「この作品は、全てのデザイナーにとって夢のような作品でした。3人の素晴らしいスター。特にパリのマネキンのような女性・オードリー・ヘプバーンの衣裳のデザインを担当できるのですから」。

1952年に、ユベール・ド・ジバンシィ(1927-)は、パリでメゾンをオープンしました。この時発表した刺繍入りのコットンブラウスベッティーナ・ブラウス(当時3000ドル近くした)はアメリカで大いに話題になりました。

翌1953年の夏、オードリーは、ワイルダーと打ち合わせを重ねた上で、パリに『サブリナ』の衣裳の買い付けの旅に出ました。

ワイルダーの希望は「パリのマネキンのようなルック」を見つけて下さいということでした。大作映画の衣裳の買い付けに、一人の女優がスタッフも付けずに行ったのは、前代未聞のことでしょう。後に本作撮影中のセットでジャーナリストにオードリーはこう答えています。「私は、悪癖だと言えるほどにファッションを愛しているんです」と。

ユベールドジヴァンシィとオードリー・ヘプバーン

オードリーは、のちにユベール・ド・ジバンシィをハリウッドに招待しました。

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オードリーの情熱に打たれたデザイナーがそこにいた

『パリの恋人』の衣装のフィッティングをするオードリーとユベール・ド・ジバンシィ。1956年。

談笑するオードリーとジバンシィ。

1953年7月の終わりに、ユベール・ド・ジバンシィは、4回目のコレクションの準備をしていました。オリエンタルをテーマにした冬のコレクションです。

そんなある日、グラディス・ド・スゴンザックから電話がありました。彼女は、かつてユベールが4年間働いていたスキャパレリのディレクターでした。そして、当時パラマウント映画(『麗しのサブリナ』の製作会社)のパリ支局長と結婚していました。

「ミス・ヘプバーンがパリに来ます。そして、あなたに会いたいと言っています」とグラディスは伝えました。最初に彼女は、クリストバル・バレンシアガに依頼していましたが、バレンシアガはコレクションの準備が忙しくて無理でした。

同じくコレクションの準備で忙しかったユベールは、当時キャサリン・ヘプバーンの大ファンでした。ユベールは回想しています。

「キャサリン・ヘプバーンは憧れの人でした。ですので二つ返事で、是非にとお答えしました。ところが、当日私の目の前に現れたのは、痩せた若い女性でした。ショートヘアに綺麗な大きな瞳、太い眉が実に印象的で、丈の短いトラウザーにバレリーナ・シューズ、小さめのTシャツを着ていました。頭には赤いリボン付きのストロー・ゴンドラ・ハットがのっかかっていて、私はこの帽子はトゥーマッチだなと感じました」。

やがて二人は話すうちに、すぐにお互いに通じ合うものを感じ(二人とも20代だった)、意気投合しました。

しかし、悩んだ末にユベールはオードリーにこう伝えました。「私はメゾンをオープンしたばかりで、スタッフも8人しかいません。ショーももうすぐです。申し訳ありませんが、お時間を作れないのです」。ですが、オードリーは引き下がりませんでした。「お願い、お願いだから、何か試しに着させてください」。

ユベールは、その熱意にほだされ、まだ吊るされている1953年春夏コレクションのサンプルの中から自由に選んでくださいとオードリーに伝えました。そして、ユベールが見守る中、オードリーは3つの衣装とそれに付随するハットを選びました(後述)。

ハリウッド映画の世界においてなかなかないことなのですが、『麗しのサブリナ』に登場する3つの衣装は、オードリー自身が、ひとりで選んだものを着ているのです。

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二人の友情は、本物でした。

1960年、ヴァカンス中の二人をオードリーの夫メル・ファーラーが撮影した写真。

ユベールはオードリーのファッションセンスにすっかり感動し、メゾンの上にあるビストロのディナーに招待しました。

「私達は、多くの点ですごく共鳴しあいました。彼女は、芸術・文化に対する教養も高く、そして、メル・ファーラーとの恋愛について夢中で話す純粋さにも好感を持ちました。そこにいた私のスタッフは皆、オードリーに夢中になりました。勿論、私もです。そして、彼女は言いました。〝あなたは私の兄のようだ〟と。それから私はオードリーを妹と考えるようになりました」(ユベールの回想)

「私は、トレンチコートをデザインしないので、オードリーと一緒に他のデザイナーのトレンチコートを探したこともあります。彼女がローマに住むようになり、ヴァレンティノで服を買うようになると、そのたびに、オードリーはマメに電話してきてくれました。「ユベール。どうか怒らないでね」と。私達は一度も言い争いをしませんでした。オードリーは決して私たちの関係をビジネス上の関係と考えませんでした。それが私にはよく伝わりました」

「私が、香水ランテルディをローンチし、オードリーをイメージキャラに使ったときも、彼女はお金を受け取ろうとしませんでした」。

1993年のオードリーの葬儀において、ユベールは彼女の棺を担ぐ一人になりました。21世紀に入り、ユベールはオードリーを回想してこう言っています。「オードリーとの関係は、結婚みたいなものですね」

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そして、サルヴァトーレ・フェラガモ

1954年。サルヴァトーレ・フェラガモのフィッティングを受けるオードリー。

オードリーを本社で華々しく迎え、すごく嬉しそうなフェラガモがとても可愛い。

ソレール・フォンタナのグリーンのシャンタン・ワンピース。

ネックラインのカッティングも、ポケットの位置もすごく可愛い。

イタリアで特注したというカゴバッグ(ストローバスケット)もファッションにマッチしています。

1954年8月21日オードリー・ヘプバーンは、「ジジ」の脚本家アニタ・ルースを伴い、フェラガモ本社を訪れました。その時の写真を見ると、この年のアカデミー主演女優を迎えるサルヴァトーレ・フェラガモ(1898-1960)が凄く誇らしげです。そして、一年前には考えられなかった生活環境の変化に、オードリー自身もすごく緊張している雰囲気を感じ取ることが出来ます。

彼は、若かりし日に、足に優しい靴を作るために、わざわざ南カリフォルニア大学で解剖学を修了し、顧客の足に触れただけで体調が分かったと言われています。

一方、オードリーは、靴を長持ちさせるためにいつもハーフサイズ大きめを履いていました。身長の高いオードリーはハイヒールを履かず、身体の負担を抑える靴選びをしていたのでした。

写真のオードリーはすごく真剣です。ユベール・ド・ジバンシィが「オードリーは、ソフィア・ローレンやエリザベス・テイラーよりも遥かにデザイン、シルエットに細かい人でした」と言及するだけあり、真面目な性格が表情から滲み出ています。

それにしても、このシャンタンワンピースのオードリー。前髪がシャギーでカットされており、ピクシーカットのようになっており、実に可愛いです。褐色の肌が新鮮です。

さて、「スターの靴職人」サルバトーレが、オードリーの足を見たときの印象は、「長くて細い足は、彼女の背格好に対して完璧なプロポーションを保っている」でした。サイズは25センチくらいでグレタ・ガルボ、キャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマン、ローレン・バコールと同じタイプである〝貴族タイプ〟に分類されました。

この時にデザインされたバレエ・シューズは、ソールが貝殻の形をしたシンプルなもので、今では『オードリー』と呼ばれ、フェラガモの定番アイテムとなっています。

作品データ

作品名:麗しのサブリナ Sabrina (1954)
監督:ビリー・ワイルダー
衣装:イーディス・ヘッド/ユベール・ド・ジバンシィ
出演者:オードリー・ヘプバーン/ハンフリー・ボガート/ウィリアム・ホールデン