アンドロギュヌス

オードリー・ヘプバーン6 『麗しのサブリナ』2(2ページ)

    作品名:麗しのサブリナ Sabrina (1954)
    監督:ビリー・ワイルダー
    衣装:イーディス・ヘッド/ユベール・ド・ジバンシィ
    出演者:オードリー・ヘプバーン/ハンフリー・ボガート/ウィリアム・ホールデン

    オードリー・ヘプバーンが一人で選んだジバンシィの衣裳

    ユベールドジヴァンシィとオードリー・ヘプバーン

    オードリーがユベール・ド・ジバンシィをハリウッドに招待しました。

    ファッションの仕事に関わるものにとって、オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィが初めて出会ったエピソードには非常に興味深いものがあります。事の始まりは、ビリー・ワイルダーが、本作の衣装デザイナーである、イーディス・ヘッドに言ったこの一言から始まりました。「パリから帰国した後のサブリナのフォーマルな衣装はパリのデザイナーにお願いすることにします」。一説によると、このワイルダーのアイデアは、オードリーのアイデアを取り入れてとも、言われていますが、真相は今となっては分かりません。

    イーディス・ヘッドが1983年に書いた自伝に「この作品は、全てのデザイナーにとって夢のような作品でした。3人の素晴らしいスター。特にパリのマネキンのような女性・オードリー・ヘプバーンの衣裳のデザインを担当できるのですから」と書いています。

    1952年ユベール・ド・ジバンシィ(1927-)は、パリでメゾンをオープンしました。この時発表した刺繍入りのコットンブラウス「ベッツィーナ・ブラウス」(当時3000ドル近くした)がアメリカで話題になりました。53年の夏、オードリーは、ワイルダーと打ち合わせを重ねた上で、パリに『サブリナ』の衣裳の買い付けの旅に出ます。ワイルダーの希望は「パリのマネキンのようなルック」を見つけて下さいでした。大作映画の衣裳の買い付けに、一人の女優がスタッフも付けずに行ったのは、前代未聞のことでしょう。後に本作撮影中のセットでジャーナリストにオードリーはこう答えています。「私は、悪癖だと言えるほどにファッションを愛しているんです」と。

    オードリー・ヘプバーンの情熱に打たれたデザイナーがそこにいた

    『パリの恋人』の為の衣装のフィッティングをするオードリーとユベール・ド・ジバンシィ。1956年。

    1953年7月の終わりに、ユベール・ド・ジバンシィは、4回目のコレクションの準備をしていました。オリエンタルをテーマにした冬のコレクションです。そんなある日にグラディス・ド・スゴンザックから電話がありました。彼女は、かつてユベールが4年間働いていたスキャパレリのディレクターでした。彼女が、パラマウント映画(『麗しのサブリナ』の製作会社)のパリ支局長と結婚したといいます。そして彼女が言いました。「ミス・ヘプバーンがパリに来ます。そして、あなたに会いたいと言っています」と。当初、グラディスは、クリストバル・バレンシアガに依頼していましたが、バレンシアガはコレクションが忙しくて無理でした。

    同じくコレクションの準備で忙しかったユベールは、当時キャサリン・ヘプバーンの大ファンでした。ユベールは回想します。「キャサリン・ヘプバーンは憧れの人でした。二つ返事で、是非にとお答えしました。しかし、当日に私の目の前に現れたのは、痩せた若い女性でした。ショートヘアに綺麗な大きな瞳、太い眉が実に印象的で、丈の短いトラウザーにバレリーナ・シューズ、小さめのTシャツを着ていました。頭には赤いリボン付きのストロー・ゴンドラ・ハットがのっかかっていて、私はこの帽子はトゥーマッチだなと感じました」。しかし、二人は話すうちに、すぐにお互いに通じ合うものを感じ(年齢も二人とも20代だった)、意気投合しました。

    しかし、悩んだ末にユベールはオードリーにこう答えました。「私はメゾンをオープンしたばかりで、スタッフも8人しかいません。ショーももうすぐです。申し訳ありませんが、お時間を作れないのです」と。しかし、オードリーは引き下がりませんでした。「お願い、お願いだから、何か試しに着させてください」と。ユベールは、その熱意にほだされ、まだ吊るされている1953年春夏コレクションのサンプルの中から自由に選んでくださいとオードリーに伝えました。そして、ユベールが見守る中、オードリーは3つの衣装とそれに付随するハットを選びました(後述)。ビリー・ワイルダーは全てをオードリーに任せたのでした。

    1960年ヴァカンス中の二人をオードリーの夫メル・ファーラーが撮影。

    ユベールはオードリーのファッションセンスにすっかり感動し、メゾンの上にあるビストロで、ディナーに招待しました。「私達は、多くの点ですごく共鳴しあいました。彼女は、芸術・文化に対する教養も高く、そして、メル・ファーラーとの恋愛について夢中で話す純粋さにも好感を持ちました。そこにいた私のスタッフはみんな、オードリーに夢中になりました。勿論、私もです。そして、彼女は言いました。〝あなたは私の兄のようだ〟と。それから私はオードリーを妹と考えるようになりました」(ユベールの回想)

    「私は、トレンチコートをデザインしないので、オードリーと一緒に他のデザイナーのトレンチコートを探したこともあります。彼女がローマに住むようになり、ヴァレンティノで服を買うようになると、そのたびに、オードリーはマメに電話してきてくれました。「ユベール。どうか怒らないでね」と。私達は一度も言い争いをしませんでした。オードリーは決して私たちの関係をビジネス上の関係と考えませんでした。それが私にはよく伝わりました」

    「私が、香水ランテルディをローンチし、オードリーをイメージキャラに使ったときも、彼女はお金を受け取ろうとしませんでした」。1993年のオードリーの葬儀において、ユベールは棺を担ぐ一人になりました。21世紀に入り、ユベールはオードリーを回想してこう言っています。「オードリーとの関係は、結婚みたいなものですね」と。



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