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長谷紅

オードリー・ヘプバーン

『パリで一緒に』Vol.1|オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィ

ユベール・ド・ジバンシィが衣装を担当したオードリー・ヘプバーンの主演作の中で、最も知名度の低い作品と言われるのが本作『パリで一緒に』です。オードリー、パリ、ジバンシィ、コメディという王道の組み合わせが、奇跡的に失敗した作品です。
ジェームズ・ボンド

【007/ドクター・ノオ】ジェームズ・ボンド誕生

記念すべき007=ジェームズ・ボンド・シリーズ第一作目。この作品から、男たちのファッション史は新たなる章に突入することになりました。ショーン・コネリーというスーツを着た英国諜報員が、メンズ・ファッションの殺しのランウェイをひたすら歩き始めることになるのでした。
ボンド ガール

『007/ドクター・ノオ』Vol.5|ユーニス・ゲイソンとゼナ・マーシャル

本作と次作『007/ロシアより愛をこめて』(1963)において連続出演を果たすことになるユーニス・ゲイソン。彼女の娘のケイト・ゲイソンも『ゴールデン・アイ』にエキストラ出演しました。当初ユーニスは、マネーペニー役で考えられていました。
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ボンド ガール

『007/ドクター・ノオ』Vol.4|ウルスラ・アンドレス、初代ボンドガール

ボンドガールの歴史も60年を越えるものとなり、今では歴代ボンドガールから見えてくる女性像の変化の中から、女性がより美しくなるための英知が秘められていると考えられるようになりました。この作品の成功のひとつは、ウルスラ・アンドレスのビキニにあったと言っても過言ではありません。
ジェームズ・ボンド

『007/ドクター・ノオ』Vol.3|ショーン・コネリーとマオカラー

ジョセフ・ワイズマンのドクター・ノオは、物語がはじまり、1時間27分経ってはじめて登場します。それは映画史上初めてマオカラーの悪役が登場した瞬間でした。以後、ブルース・リーの『燃えよドラゴン』のハンを筆頭にマオカラーを着た悪役像が創り上げられていくことになりました(スティーヴン・セガールを除く)。
ジェームズ・ボンド

『007/ドクター・ノオ』Vol.2|アンソニー・シンクレアのボンドスーツ

ショーン・コネリーは、ほとんどスーツを着たことがありませんでした。しかし、ボンドの設定は、サヴィル・ロウのスーツを愛用しているということなので、監督のテレンス・ヤングは自身の御用達テーラーであるアンソニー・シンクレアにボンド・スーツを仕立ててもらいました。
ジェームズ・ボンド

『007/ドクター・ノオ』Vol.1|ショーン・コネリー、初代ジェームズ・ボンド

この男を知らずしてメンズ・ファッションを語るなかれ!タキシードを着た殺し屋。スーツを着て戦うオシャレメンズ。崩れたネクタイを直す仕草。絶世の美女と絶景リゾートと高級車と秘密兵器と世界征服を企む敵に囲まれ刺激的な日々を送る〝リア充〟男の名をジェームズ・ボンド(略してJB)と申します。
オードリー・ヘプバーン

【モンテカルロへ行こう】無名時代のオードリー・ヘプバーン

パリの楽団が、モンテカルロへ演奏旅行する道中で、赤ちゃんを巻き込んで繰り広げられる他愛のないラブ・コメディの中で、僅か10分間登場するアメリカのスター女優メリッサ・ファレルを演じるのが、無名時代のオードリー・ヘプバーンです。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.3|オードリー・ヘプバーンのリゾート・ルック

7番目にクレジットされている約10分程度の脇役としてオードリー・ヘプバーンは出演しているのですが、『ローマの休日』の一年前のオードリーの原石の姿が見れる貴重な作品です。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとクリスチャン・ディオール

オードリーをはじめ出演者は、コート・ダジュールのオテル・デュ・キャップに滞在していたのですが、撮影自体は、モンテカルロのオテル・ド・パリで行われていました。そして、そこでオードリー・ヘプバーン(1929-1993)の人生を一変させる出会いがありました。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.1|『ローマの休日』前夜のオードリー・ヘプバーン

『ローマの休日』の1年前。1951年5月21日から10月3日にかけて撮影されたのが『モンテカルロへ行こう』でした。フランスの人気ジャズバンドのリーダーであるレイ・ヴァンチュラがプロデューサーと出演を兼ねる本作に、オードリーが出演することを決めたのは3つの理由からでした。
アル・パチーノ

【スカーフェイス】トニー・モンタナ帝国とアル・パチーノ

1980年代から90年代にかけて社会の最底辺に生きるワル達に絶大な影響力を生み出した〝悪党の教科書〟。特に黒人のギャングスタ・ラッパーやブラジルやメキシコの麻薬ギャングたちに今も愛され続けている作品。それが1983年にブライアン・デ・パルマが監督した『スカーフェイス』。
その他の現代の女優たち

『スカーフェイス』Vol.9|ミシェル・ファイファーの元祖ウェイフルック

コカインとアルコールで生きているエルヴィラのコカイン・シックとでも言うべき退廃的な存在感です。それはまさに1993年にケイト・モスによって先導されたウェイフルックの先駆けとも言えるものであり、ミシェル・ファイファーは、過酷なダイエットを行いつつこの撮影に臨んでいたのでした。
その他の現代の女優たち

『スカーフェイス』Vol.8|ミシェル・ファイファーのディスコ・ドレス

エルヴィラ・ルックから、ジャンニ&ドナテラ・ヴェルサーチ、ジョルジオ・アルマーニ、ダナ・キャランなどのファッション・デザイナーが受けた影響は絶大です。それはポップスターに対してもそうであり、リアーナも本作の熱狂的なファンです。
その他の現代の女優たち

『スカーフェイス』Vol.7|ミシェル・ファイファーのショートボブ

1980年代の香港ノワール映画の中でよく盗用されていたジョルジオ・モロダーの無機質なシンセサウンドと共に、この魂のない女は登場する。その名はエルヴィラ・ハンコック。80年代クールビューティーの代名詞として、ファッション・シーンに大いなる影響を与えるようになったのです。
アル・パチーノ

『スカーフェイス』Vol.6|アル・パチーノのトニー・モンタナ伝説

『スカーフェイス』が、〝永遠の男たちのバイブル〟である理由は、悪趣味なまでに金ぴかな宮殿のような邸宅で、高価なスーツ姿で、戦争で使用するレベルの銃器で、大銃撃戦を行い果てるところにありました。
アル・パチーノ

『スカーフェイス』Vol.5|アル・パチーノ=トニー・モンタナ愛用香水

トニー・モンタナは、ジェームズ・キャグニーとハンフリー・ボガートのギャング映画によって英語を学んだと豪語しているように、彼のファッションは、1930年代から40年代のギャングスター・スタイルに大いなる影響を受けています。
アル・パチーノ

『スカーフェイス』Vol.4|トニー・モンタナと『白と赤の美学』

虫に食われやすいという快適さと不便さが同居したファッションの本質を体現するようなシルクという素材を身につけることは、まさに〝王の特権〟なのです。トニー・モンタナのそのチンピラな振る舞いの中に、有無を言わせぬ威厳が漂うのは、シルクが生み出す優雅なシルエットゆえなのです。
アル・パチーノ

『スカーフェイス』Vol.3|トニー・モンタナと世界で最も薄い高級時計

とにかくスーツで決めているにも関わらずトニーも相棒のマニーも、競い合っているが如く、シャツのボタンを外し、胸毛を誇示しています。さて、このシーンから登場するのが、コンコルドのデリリウム マリナーという、当時世界最高の薄さを誇った黄金の腕時計です。
アル・パチーノ

『スカーフェイス』Vol.2|アル・パチーノとアロハシャツとチェーンソー

いまだに語り継がれる衝撃のチェーンソー・シーン。ただリアルに描くのではなく、映画としての様式美を決して失うことなく、さらにアル・パチーノという役者を私達の脳裏から忘れ去らせ、トニー・モンタナを見ている気分にさせらせる明確なスイッチがこのシーンには存在するのでした。
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