ボンドムービー史上、不動のNo.1人気を誇る作品
ショーン・コネリー(1930-2020)自身が最も気に入っているボンドムービーだと言及し、ティモシー・ダルトン、ダニエル・クレイグといった歴代ボンドを演じた俳優にとっても〝ベスト・ボンドムービー〟と言わしめるこの作品によって「ジェームズ・ボンド=スーツ」のイメージは確立しました。
作中、ジェームズ・ボンド=ショーン・コネリーは、ほとんどスーツもしくはタキシードを着て登場します。ここまで徹底的にフォーマルに決めているボンドが見れる作品は、この作品以外には存在しません。60年代に生きた人々は、この作品によって、「スーツ姿で戦う男」の魅力に夢中になったのでした。
男にとって最も戦闘に向かないファッションが、スーツ・スタイルです。秘密諜報部員はスーツに最も向かない職業なのです。そういった要素を一切無視して、スーツが生み出すスタイリッシュさのみを突き詰めたところに、ボンドシリーズの勝利はありました。ボンドガールや秘密兵器、強力な敵と白猫の要素さえも、スーツを着た秘密諜報部員=ボンドを光り輝かせるためのアクセサリーのようなものでした。
今見ると、ショーン・コネリーが着ているスーツは、シルエットが抜群に魅力的というわけでもありません(しかもほとんどグレースーツ!)。であるにも関わらず、いつの間にか、スーツを着て戦う男たちに支配されるこの世界に、私たちは〝うつしい男の世界〟の理想を見せ付けられているかのような感動を覚えるのです。「楽なものを楽に着る生き方」と「楽ではないがカッコいいものを着る生き方」の違いがそこにはあるのです。
ロバート・ブラウンジョンから学ぶファッション美学。
美とは整った顔立ち以上に、その人の強さ、人柄、個性から生まれるものなんだ。
フランソワ・ナーズ
アナログとデジタルが絶妙に融合しているオープニング・タイトルは、前作で担当したモーリス・ビンダーがプロデューサーと衝突したことにより、1970年にドラッグの過剰摂取により急死してしまうロバート・ブラウンジョン(『ゴールドフィンガー』の金粉オープニングタイトルも彼の手によるもの)が起用されました。
そのポップアートのような映像の、インスパイアの源は、モホリ=ナジ・ラースローの1920年代のアートからでした。ここ最近のボンド・ムービーのオープニングが少し窮屈に感じるのは、完全にデジタルに支配された空間がそこにあるからかもしれません。
私たちは人間です。それは本質的にデジタルに支配された空間に対する居心地の悪さと、倦怠感を感じる種族なのです。今、人々が、ファッションに対して感じる居心地の悪さは、ほとんどこの要因によるものです(若い人ほど敏感に嗅ぎ取っています)。この衣服はデジタルに支配されているのか?それとも、アナログの要素が程よくミックスされているのか?
ファストファッションの店に行くと、一つ気づかされることがあります。そこに集まる人々のファッション感度に多くの共通点が認められることです。間違いなくそれはファッションと呼ぶには値せず、コンビニでおにぎりを買うような行為に過ぎないのだということを。
まがりなりしもファッションと名のつくものであるならば、販売員というものが存在し、あるアイテムについての説明が必要なはずなのですが、ここにはそういった空間も存在せずに、整理整頓された生活着を思い思いに選んでいる<まさにカゴの中に押し込む>風景が存在するのです。
もうそろそろ、ファストファッションという呼び方を変えませんか?ファストクローズで良くないと思いませんか?ファッションという言葉は、個性を生み出す言葉なのです。
そして、ファストクローズから生み出される個性は存在しません。そこにあるのは、インスタやSNSの金太郎飴のようなまとめの羅列であり、この着こなしがこなれているやらイケてるといったありきたりなものしか存在しません。そもそもファッションから生み出される個性とは、そんな盗み見する類のものから生まれるものではないはずです。
アンソニー・シンクレア再び。
この作品においてボンドが着たスーツは、『007/ドクター・ノオ』のボンド・スーツを担当したアンソニー・シンクレアにより仕立てられたものでした。
彼のスーツは、1950年代に退役軍人のためのスーツをテーラリングしている時に編み出されたコンジット・カットと呼ばれるものでした。その特徴は、当時、ダブルのスーツが主流だったサヴィル・ロウにおいて、シングルで砂時計のようなシェイプを生み出し、筋骨隆々の肉体美を、スーツを通してエレガントに演出するシルエットを創造するものでした。
このコンジット・カットをボンドの公認スーツとしたのは、実際に自分自身が、アンソニー・シンクレアの上客であった、(元戦車部隊指揮官であり退役軍人でもある)監督のテレンス・ヤングでした。彼のこなれたスーツの着こなしについては、上の写真を見ていただければご理解いただけると思います。彼こそが、ボンドスタイルを生み出した男だと言っても過言ではないのです。
現在の金額で換算すると総額300万円~350万円の予算を、本作のボンドの衣装のために割きました。ちなみにターンブル&アッサーのシャツは当時の価格で1枚30ドル(今の貨幣価値で言うと大体45000円~60000円)でした。
タキシードを着て登場する偽ボンド
暗闇の中でタキシードを着たジェームズ・ボンドが、ワルサーPPKを片手に緊張の面持ちで歩いています。そんな彼の姿を息を潜めうかがうしなやかな獣のようなレッド・グラント(ロバート・ショウ)の姿。金髪が月夜に照らされ、逞しくも美しい面構えの男性です。
そして、静かにグラントは、腕時計のリューズを引っ張り、隠されたワイヤーの暗殺兵器でボンドを絞殺するのです。この衝撃的なオープニング・シークエンスは、当初、映画の後半で登場する予定のシーンだったのを、編集を担当していたピーター・ハント(後に『女王陛下の007』を監督)がトップに持ってきたのでした。
このシーンから、タイトルソングの前にはじまるアクションシーンというボンドムービーのお約束ははじまったのでした。
ジェームズ・ボンドのファッション1
ミッドナイトブルー・タキシード
- テーラー:アンソニー・シンクレア
- ディナージャケット、シングル、一つボタン、サテン・ショールラペル、ガントレット・カフス、ベントレス
- ホワイト・フォーマルシャツ、スプレッドカラー、フロントプリーツ、マザーオブパールのボタン
- ミッドナイトブルーサテンボウタイ、バットウィング型
- 白のリネンのハンカチーフ
- 黒パテントレザー、プレイントウ・オックスフォード
本作で唯一ボンドが着るカジュアルウェア
物語が17分15秒経ち、はじめてジェームズ・ボンドが登場します。前作『007/ドクター・ノオ』にも出演したパター・ガール=シルヴィア・トレンチ(ユーニス・ゲイソン)も一緒にです。ボンドと逢瀬を楽しんでいる時に、マネーペニーから連絡があり、ボンドに「昔の案件を処理している」と言われ、「もう私は昔の案件!?」と軽く怒ってみせる役柄です。
この時にボンドが着ているシャツが少し大きい作りに見えるのは、元々発注していたシャツを監督のテレンス・ヤングが気に入らなかったため、自分が着ていたシャツを脱いでボンドに着せたためでした。
ジェームズ・ボンドのファッション2
唯一のカジュアルウェア
- ブルーのギンガムチェックのボタンダウンシャツ、2つのパッチポケット、シルバーの金属ボタン
- 水色のスイムパンツ、かなりタイト、コインポケットつき
- ロレックス・サブマリーナー6538
2つボタンのスーツについて(Qとの初対面)
60年代に2つボタンが流行したのは、アメリカにおいてであって、イギリスでは70年代まで2つボタンはほとんど受け入れられませんでした。アンソニー・シンクレアはそういう意味において、孤高のテーラーだったとも言えます。
ちなみにこのスーツの時に、ジェームズ・ボンドがはじめてQと対面することになりました。デスモンド・リュウェリン(1914-1999)は、以後、初代Qとして、『007/死ぬのは奴らだ』(1973)以外のすべての作品に、『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』(1999)まで出演することになります。
ジェームズ・ボンドのファッション3
MI6オフィススーツ
- テーラー:アンソニー・シンクレア
- ダークネイビーブルー・ウールスーツ、シングル、2つボタン、ナローラペル、シングルベント、サイドアジャスターつきスーツパンツ
- ターンブル&アッサー、ペールブルー・ポプリン・シャツ、ターンバック・カクテル・カフス
- ネイビーブルーシルクネクタイ
- 白のリネンのポケットチーフ
- ブラックレザー、3アイレット・プレイントウ・ダービー、ブラッチャー
- ジェームス・ロック & カンパニーのオリーブブラウン・フェルト
作品データ
作品名:007/ロシアより愛をこめて From Russia with Love (1963)
監督:テレンス・ヤング
衣装:ジョセリン・リカーズ
出演者:ショーン・コネリー/ダニエラ・ビアンキ/ロバート・ショウ/ロッテ・レーニャ