彗星のように現れたフェイ・ダナウェイというファッション・アイコン
ボニー・ルックの中心には、ベレー帽が存在します。これらのベレー帽は、ジョルジオ・アルマーニを発掘したニノ・セルッティにより、提供されたものでした。
60年代を代表するファッション・アイコンとして彗星のように現れたフェイ・ダナウェイ(1941-)。彼女は、1968年のアカデミー賞授賞式においても、セオドア・ヴァン・ランクルの衣装を着て話題になりました。ロング・スリーブのブラック・シフォン・ガウンとオーストリッチ・フェザー・コートという華やかなファッションにオールバックに纏めたヘアスタイルがセクシーでした。
そして、その後も、セオドアとタッグを組み、『華麗なる賭け』(1968)、『恋人たちの場所』(1969)『アレンジメント/愛の旋律』(1969)でも、時代をリードするファッション・センスを見せることになります(この時期、フェイ自身、プライベートにおいても、セオドアのデザインするファッションだけを着ていました)。
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/3df573f77144a6bfa00f6f6035a79672-e1700204627824.jpg)
フェイ・ダナウェイは、1968年のアカデミー主演女優賞にノミネートされました。
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/74895e8f0eb55273f2892098c6c3d2c3-faye-dunaway-canada.jpg)
衣装の雰囲気が良く分かる写真。
未使用の衣装と、プレミアのボニー・ルック
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/43619b6e3c881567256f44f5eb565ab1-milton-greene-golden-girls.jpg)
作中登場しなかったミニスカートにベレー帽を合わせる60年代的なボニー・ルック。
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/71466b2d7062c55532dc2def958753d0.jpg)
ネイビーカラーのベレー帽
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/ed3f66abcfc748fad66c5ee89d017813.jpg)
プレミアでベレー帽をかぶるフェイ・ダナウェイとウォーレン・ベイティ
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2022/11/tumblr_mkhukiquBP1rz5aneo1_500.jpg)
素晴らしいファーコートです。
セオドア・ヴァン・ランクル
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/550e11e65c13f461dd07770595b096b0.jpg)
デザイン画を描くセオドア・ヴァン・ランクル。
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2022/11/TR36ENALOMI6DNV2X6FANOSMCY-e1703381311811.jpg)
ミニスカートを履いているセオドア。
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/f089a8a9c76c83ba0f9c185f328c42fb.jpg)
ベレー帽をかぶるセオドア。
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/e3274ee7a26d311209aadc8fc4053a52.jpg)
ミニスカートを履いたデザイナーがミニスカート・ブームに終止符を打ちました。
![](https://cahiersdemode.com/wp-content/uploads/2017/10/e3e597adfa0283207cfd335e3d97cead.jpg)
フェイ・ダナウェイとセオドア・ヴァン・ランクル。
最後に本作における〝もう一人のボニー〟とも言えるボニー・ルックの陰の功労者の名前をご紹介しましょう。その名は、セオドア・ヴァン・ランクル(1928-2011)。本作で衣装デザイナーをつとめた女性です。彼女が映画のための衣装デザインを担当したのは、本作が初めてでした。
セオドア・ヴァン・ランクルは、財閥の大富豪の隠し子として生まれました。母親と共にカリフォルニアに移住し、20代前半に百貨店のファッション・イラストレーターとして働くことになりました。そして1960年代に、『ナイアガラ』(1953)や『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)の衣装デザインを担当したドロシー・ジーキンスにスケッチ係として雇われました。二人の相性は最悪で、一週間でセオドアはドロシーの元を去りました。
しかし、ドロシーは彼女の才能を見抜いていました。そのため彼女を本作のデザイナーとして推薦したのでした。「あなたをワーナーが撮るB級の西部劇のデザイナーとして推薦しました」と言う一本の電話を受け取ったセオドアは、そのB級映画が歴史的な映画になるとは夢にも思いませんでした。
初めての映画の衣装の仕事に対して恐れを感じながら、ビバリー・ヒルズでテキスタイルを購入していた時に、イーディス・ヘッドに会いました。その時、この作品の衣装選びのヒントを得ようとアドバイスを求めました。「すべて花柄のシフォンを使いなさい」ということでした。しかし、セオドアはこのアドバイスは時代の流れにそぐわないと考えたのでした。
ブリジット・バルドーの「ボニーとクライド」
(1967年、セルジュ・ゲンズブールはブリジット・バルドーのために作曲したシャンソンを聴かせたいと会いに来た。緊張するバルドーに)彼はシャンパンがあるかたずねた。「ええ、いつでも置いてあるわ。」「じゃあ、一杯やろうじゃないか。ドン・ペリニョンだろうね。それともドン・リュイナールかな。クリスタル・ロドレールでもいいけど」「モエ・エ・シャンドンしかないけど」「しかたないな。明日、ドン・ペリニョンを一箱届けさせるよ」
ブリジッド・バルドー自伝
彼の生涯を彩った女性たちは数多く、私と生活をともにした男性もたくさんいたのに、今日でもゲンズブールについて語られるとき、いつでもバルドーが引き合いに出される。あの日、あの夜、あの瞬間から、彼以外の存在、彼以外の男性は私の目に入らなくなってしまった。彼を愛することで、私はふたたび生きる喜びを見出し、美しくなり、私は彼のミューズとなった。
ブリジット・バルドー自伝
1967年のパリのプレミアにおいてフェイ・ダナウェイは、ベレー帽を被ったボニー・ルックの女性たちに、ロックスターのような熱狂の中迎えられました。それはロンドンにおいても同じでした。彼女はまるでビートルズやローリング・ストーンズのような存在になったのでした。
そしてこのスタイルがバルドーにも大いなる影響を与えたのでした。
作品データ
作品名:俺たちに明日はない Bonnie and Clyde(1967)
監督:アーサー・ペン
衣装:セオドア・ヴァン・ランクル
出演者:フェイ・ダナウェイ/ウォーレン・ベイティ/マイケル・J・ポラード/ジーン・ハックマン