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キム・チャールズさん|インダルト パリ【フレグランス アイコン インタビューズ 第一回】

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©INDULT PARIS
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キム・チャールズさん|インダルト パリ(Kim Charles|INDULT PARIS)

「私はもともと香水業界の人からはじまったのではなく、香水オタクからこの業界に飛び込んだ人なんです」

キム・チャールズさん ©INDULT PARIS

2024年10月のサロン ド パルファンで彗星のように現れ、香水愛好家の話題を独占したフランスのニッチ・フレグランス・ブランド インダルト パリ。それは今までほとんど知られていなかったフランシス・クルジャンの幻の名香の数々が日本初上陸した瞬間でした。

特に、ゲランの「ドゥーブル ヴァニーユ」を調香する一年前に生み出した、元祖バニラ・フレグランス「ティオタ」と、掟破りのライチローズ「マナカラ」は、彼らのハートを鷲掴みにしました。

インダルト パリは2006年4月9日に創業されました。創業者は、ジュリアン・マセリとフランシス・クルジャンでした。実際にフレグランスの販売が開始されたのは2007年1月からでしたが、999本限定の生産数で販売していくというコンセプトが上手く継続できず、2009年にクルジャンが「メゾン フランシス クルジャン」を創業し、そちらに集中したこともあり、2010年にはブランドは休止状態になっていました。

そんな状況のインダルト パリの香りに一瞬で虜になった男性がいました。このイチ香水愛好家の男性は、今まで香水業界に関わったことがないにも関わらず、これは神の啓示だとばかりに、インダルト パリの復活を心に誓い、ブランドをクルジャンから購入したのでした。それは2011年の出来事でした。

この男性の名をキム・クリストファー・チャールズと申します。

西條さんとキム・チャールズさん ©INDULT PARIS

香水業界の人ではなく、イチ香水オタクの人が、フレグランス・ブランドのオーナーになった〟という香水業界でも極めてユニークな存在であるキムさんと日本の総代理店である芳恩舎の西條さんと、2025年4月20某日、麻布台ヒルズにてイタリアン・ディナーをご一緒させて頂きました。そしてこの機会にキムさんにインタビューさせて頂きました。

ディナーに同席して頂いたブーディカ ザ ヴィクトリアスの森戸さんの、私より遥かに精度の高い英語力により、インタビューを助けて頂いたことに感謝申し上げます。
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ブルガリの「ブラック」だけを18本使い続けてきた男

今では幻のブルガリ「ブラック」©Bvlgari

――― 素晴らしいディナーにご招待頂きありがとうございます。昨年の10月のサロン ド パルファンではじめてお会いして以来の再会となりますが、日本に来られたのは二度目ですか?

はい。二度目です。前回は、新宿伊勢丹のサロン ド パルファンに伺った後、レイナ(西條さん)と京都に行きシンペイ(ルシヤージュ京都の米倉さん)と会い、親交を深めました。そのあと、金沢にも行きました。今回は、レイナの故郷である仙台にあるSUKIYAに行き、そのあと、レイナの家族と一緒に青森まで桜を見に行きました。弘前城という日本の武士が住んでいた大きなキャッスルが桜と一緒に見えて、とても感動しました。

――― 温泉にも行かれましたか?

はい。私は日本人とよく似ていて、トーカブルなタイプではなく、静かに話すのが好きなタイプです。だから、温泉や静かな日本の田舎の空気にとても安心感を覚えます。

――― 日本で桜を見たいと仰っていたとのことですが、インダルト パリの新作フレグランスは、サクラをテーマにした香り、または日本をテーマにした香りになるのでしょうか?

それはよく考えてみないと分からないですが、日本やアジアをテーマにした香りについて興味があります。ちなみにこのあと、京都のルシヤージュさんでイベントをした後、香港のディストリビューターに会う予定です。

――― キムさんについて聞かせて欲しいのですが、キムさんはフランスのパリに住んでいるということですが、元々はイギリスの方ですか?

はい。私はその名の通り、イギリス出身です。しかし幼少期はずっと父親の仕事の都合で、シンガポールやバリ島などアジアの南国で生活していました。だから、私の匂いのルーツはアジアだと思います。トロピカルな香りを嗅ぐと、即座に幼少時代の記憶が呼び覚まされます。

そして、少年期に、ロンドンのボーディングスクールに入りました。正直、なかなか馴染めなかったのですが、私がイギリスの文化を受け入れるようになったのは、ポール・スミスやサヴィル・ロウのスーツなどのファッションからだと思います。今でもジェームズ・ボンドのようなスタイルと時計が好きです。日本に来てすぐに、レイナに一番最初に、素敵な時計屋はどこにあるか?など色々尋ねたほどです。

――― キムさんをはじめて見た時、スーツの着こなしも抜群でとてもお洒落な方だと思いました。それはそのようなバックグラウンドから来たものなのですね。そして学生時代から、フレグランスもこだわって選ばれていたのですか?

いいえ、私のフレグランス・デビューは遅く、しかも最初に出会った香りをずっと使い続けていました。

――― えっ!一切、浮気せずにですか?

(温和な笑みを浮かべながら)はい、ブルガリの「ブラック」という香りをご存知ですか?今は廃盤になっているフレグランスです。私は焦げたゴムのようなドライダウンが好きでこのフレグランスをずっと使い続けていました。

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2011年に香水にハマり、僅か4か月後にクルジャンと会う事になる。

「マナカラ」©INDULT PARIS

――― とても意外です。ではキムさんがフレグランスに興味を持たれたのは、もっと後の事なのですか?

私がフレグランスに興味を持ったのは、2011年1月からです。

以前、私はスペインとフランスで仕事をしているうちに美しいフランスの貴族(タンレー城の当主の娘)の女性と出会い、身分違いの結婚をしました。私には4人の子供がいます。3人が息子で、一番下が娘です。色々あって、別れることになったのですが、私は今もパリに住んでおり、元妻とは良好な関係を築いています。ですが妻はフレグランスが好きではなかったので、結婚生活の間、フレグランスにこだわることはありませんでいた。

そんな私がフレグランスに情熱を奪われるようになったのは、18本使い続けていた「ブラック」を買い足そうと、セフォラをはじめとする香水販売店を訪れた時、どの店にも置いていなかったことからでした。そしてネットで検索をかけた時に出てきたのがBasenotesという香水愛好家の交流サイトでした。

一般的にFragranticaは、香水初心者から香水中級者が集まる『メガコミュニティー』のイメージであり、Basenotesは、香水上級者や業界人が議論を交わす『香水業界人コミュニティー』のイメージがあります。

――― Basenotesとは、Fragranticaよりもマニアックな香水愛好家の交流サイトですよね?

そうです。私は元々凝り性なところがあって、ファッションや時計に対してもそうなのですが、徹底的にひとつの事柄について突き詰めたくなるのです。そんな私が、フレグランスに出会い、最初の30日間で60時間ほどかけてBasenotesを徹底的に読み漁り、香るべきフレグランスと、行くべきショップをリストアップし、3日間のフレグランスツアーを組みました。

そして12ヶ所のショップを訪問し、200本以上のボトルの香りを嗅ぎ、22人以上の香水業界人と話す機会を得ました。その結果、7本のフレグランス(合計350ml)と19本目の「ブラック」を購入することになりました。ちなみにそれまで私はブルガリの「ブラック」しかフレグランスを購入したことがありませんでした。

――― なるほどフレグランスに興味をもって、最初の一ヶ月に7本の新しい香りを購入したのですね。そして「マナカラ」と出会ったのですか?

はい。ですがその前にフレデリック・マルとセルジュ・ルタンスとメゾン・フランシス・クルジャンいうフレグランス・ブランドに衝撃を受けました。

特に「ベチベル エクストラオーディネール」と「ムスク ラバジュール」「カーナル フラワー」「ムスククビライカーン」「シェルギイ」、キリアンの「ストレート トゥ ヘブン」、ゲランの「トンカ アンペリアル」「アビルージュ」、トム・フォードの「タスカン レザー」、ディオールの「オー ノワール」、イストワール ドゥ パルファンの「1740 – マルキ ド サド」に衝撃を受けました。そしてよりフレグランスの世界にハマるようになりました。

それからすぐに「マナカラ」に出会うことになりました。それまで即決で香りを購入しようと決めたことはなかったのですが、まったく聞いたことのないブランドが作ったこの香りをひと嗅ぎして惚れ込み、その場で購入しました。

私がこれまで体感したことのない香りの良さにびっくりして、家に戻ってからウェブで検索してみると、私が好んで購入していたフランシス・クルジャンが調香師である事を知りびっくりしました。

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2011年5月28日、フランシス・クルジャンとの2時間の対話。

パリのニッチフレグランスショップ ©JOVOY Paris

アルジェ通り5番地にあるメゾン・フランシス・クルジャンのブティック。

フランシス・クルジャン

――― でははじめてクルジャンさんとお会いしたのは、どのような機会ででしたか?

それは、イチ顧客の形でです。

Basenotesで私がパリ在住ということもあり、ニッチ・フレグランスが集まる伝説のショップ、JOVOYで色々な人からフレグランスを購入して欲しいという依頼を受けるようになりました。そしてJOVOYで大量にフレグランスを購入するようになり、VIP扱いされるようになりました。

「マナカラ」を購入した日に、メゾン・フランシス・クルジャンの「アクア ユニヴェルサリス フォルテ」の新作発表会の招待状が届いていたことを思い出したのでした。

――― それはパリのアルジェ通り5番地にあるメゾン・フランシス・クルジャンのブティックで行われたものですか?

はい、そうです。2011年の5月28日のことでした。「アブソリュ プール ル ソワール」という香りをご存知ですか?私は当時一年前に発売されていたこの香りにすっかりハマっていました。すごくアニマリックな香りです。

――― 日本未上陸の香りですが、私もパリでこのフレグランスに遭遇し、圧倒され、購入したことを覚えています(この後「アブソリュ プール ル ソワール」の素晴らしさを賞賛する会話が10分ほど続いたのですが、本編から外れるため省略します)。

さて、新作発表会のため、私がブティックに到着すると、二人の先客が、それぞれ販売員の接客を受けていました。そして私の所に「何かお手伝いしましょうか?」と物腰の優雅な男性がやって来ました。小柄なのですが、引き締まった肉体に白いシャツでパリっと決めた若々しい男性でした。そうです、この男性こそフランシス・クルジャンでした。

はじめて彼に会えたことに感動した私はバックパックに入れていたクルジャンが調香した「ル マル」など3本のフレグランスにサインをお願いしました。

この時、私が持っていた「マナカラ」を見て彼はびっくりしました。そして彼が調香した香りについて2時間に渡り色々話しているうちに、インダルト パリというブランドが近々消滅することを知りました。この時、私はこのブランドを救わねばと、まるで神の啓示を受けたような気分になりました。

――― えっ!このクルジャンさんとの一回目の出会いがきっかけとなり、インダルト パリという消滅する予定のブランドを救済しようと決心したのですか?

はい、即決しました。実際の所私はこの時「マナカラ」以外の香りを嗅いだことはありませんでした。ですがクルジャンのそれぞれの香りに対する情熱的な説明を聞いただけで、私には十分でした。

――― 本当に不思議な情景ですね。メゾン・フランシス・クルジャンの新作発表会で、クルジャンさんがあなたにインダルト パリのひとつひとつの香りについて情熱的に説明している訳ですから。

(茶目っ気のある微笑みを浮かべながら)プレス関係者はそんな私たちを見てかなり戸惑っていたようでした。そして一年半後の2013年に全ての手続きが完了し、私は晴れてインダルト パリのオーナーになりました。

――― 少し話を整理させてください。ということは2011年1月までブルガリの「ブラック」しかフレグランスについて知らなかったあなたは、わずか5か月後にクルジャンさんとフレグランスについて会話する機会を手にし、彼が手放したブランドを購入することになったということですか?

はい、その通りです。

――― すごい話ですね!そして2013年からインダルト パリは順調に復活していったのですか?

いいえ、ボトルデザインの変更や、ディストリビューターを見つけたりと3年間はとても苦労しました。当初ラッキー・セントとその実店舗であるセントバーでだけ扱われていました。そして2016年にようやく軌道に乗りはじめました。

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2016年、ドミニク・ロピオンに調香を依頼する。

香りの哲人、調香師界のアリストテレス、ドミニク・ロピオン

――― 現在、インダルト パリからは4作品しか発売されていませんが、なぜ商品を増やさなかったのでしょうか?

私は商品数をむやみに増やしたいとは思いません。それは私が香水業界の人ではなく、イチ香水マニアからこの業界に参画したところが大きいと思います。私が色々なフレグランスを求めてショップを巡っていた時、明らかに多くの新規参入者が金銭的な利益を最優先に考え、コンセプトさえ良ければ、自社製品は売れると考えていることに気付きました。

よくあるでしょう。香水について語り合うネット・コミュニティーを下に見る姿勢のニッチ・フレグランス・ブランド、「ただ感じなさい」とか言うブランド…。私はひとつひとつの香りが生まれた背景を大切にしないブランドは認めません。つまり私は今も香水オタクなんです。

――― すごく感銘を受けました。つまり新作については慎重に動かれていたということですね。

はい、ここで少しインダルトパリの商品リリースについて振り返ってみましょう。まず最初に「ティオタ」「マナカラ」「イスバラヤ」からはじまり、2008年にパリのセレクトショップ、コレット限定の「C-16」とラッキー・セント限定の「レーヴ アン キュイール(Rêve en Cuir)」が調香されました。ちなみに「レーヴ アン キュイール」は2013年に一度復活し、それを2024年に再解釈したのが「キュイール404」です。

つまり私が買収した時点でインダルト パリはフランシス・クルジャンによる5つのフレグランスを持っていました。私は最初の3年間、バイヤーの方々からもっともっと商品数を増やさないといけないというアドバイスを受けたのですが、私の考えは当初からひとつでした。

私が香水マニアとして、フレグランスを真剣に集めはじめていた時に、ひと嗅ぎで惚れたそんな奇跡の香りを新しいラインナップに加えたいと考え、「C-16」以外の4作品を『フランシス・クルジャン・コレクション』としました。

そして次に新しい調香師によるコレクションを発表したいと考え、私が愛するフレグランスを沢山作って下さっているドミニク・ロピオン氏にコンタクトを取りました。

――― あのドミニク・ロピオンさんと実際に会って話されたのですか?

はい、頻繁に会いました。実際の所、ドミニクは、当時、スマホやメールアドレスを持ってなかったので、直接会うしかコンタクトする手段はなかったのです。そしてパリでランチやディナーを一緒にすごし、インダルト パリについて打ち合わせしたのですが、最終的に実現しませんでした。

「My Ju-Ju」©INDULT PARIS

――― キムさんがクリエイティブ・ディレクターとしてはじめて創造したフレグランスは、2021年の「My Ju-Ju」ですか?

はい。ありがたいことに日本の有名な香水業界関係者の方が、ナタリー・ ファイツァーを紹介してくれたので、彼女に調香を依頼することになりました。ちょうどパンデミックと重なり大変苦労しましたが、なんとか新作をリリースすることが出来ました。この香りが私のはじめての作品となりました。

彼女はエルメスの「オー デ メルヴェイユ」などを調香した人です。そしてちょうどこの頃から息子たちが、私のビジネスに本格的に協力してくれるようになりました。以後、ビジネスは右肩上がりで軌道に乗っています。

ちなみにこの香りは、近々日本で復刻する予定です(そういってキムさんは直々にボトルを採り出し「My Ju-Ju」を私の腕に吹きかけてくれました)。

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日本の香水業界について、そして新作と調香師について。

――― エッシェンス(ヨーロッパ最大級のニッチ・フレグランスの見本市)に参加されたのはいつからですか?

2023年からですが、パンデミックが終わっていなかったので、2024年に本格的に出店しました。丁度、Edit(h)さんの隣で出店していて、そしてレイナと出会いました。

――― インダルト パリ日本初お披露目がサロン ド パルファンだった訳ですが、キムさんも来日され、イベントに参加され、どう感じましたか?

私は、世界中のフレグランス・ショップやイベントに興味があったので、2011年以降、凝り性な私はしらみつぶしに見て回りました。素晴らしいものもあれば、そうでないものもありました。そんな世界的な基準から見ても、日本のイベントは熱気があり、お客様のひとつひとつの香りに対する愛と探求心が底なしに深いなと感じました。

そしてカイエデモードさんにインタビューをして欲しいとお願いしたのは、レイナから、カイエデモードさんのエックスやウェブサイトが、サロン ド パルファンでインダルト パリ旋風が起こる原動力となったと聞かされたからでした。

――― そう言って頂け、とても光栄です。多くの日本人の皆様と相性が良い調香師フランシス・クルジャンの幻の名香が復活したという話題性により、皆様の心が動いたのだと感じています。ところで、二度に渡る来日の中で、お会いして最も刺激を受けた香水業界人は誰でしたか?

う~ん。(しばらく考えた上で)やはりシンペイだろう。彼は京都で私がいまでかつて見たことのないほど素晴らしいフレグランスのセレクト・ショップを誕生させました。世界的に見てもこのショップは快挙であり、奇跡的です。スタッフの方々も優秀でビックリしました。そして何よりも彼は、情熱的だと感じました。私は彼のために何か出来ることはないかと尋ねました?

――― なるほど、だからこそ都内のどの場所でもなくルシヤージュ京都さんがインダルト パリを常設で取り扱う第一号の店舗となったのですね。ところで、何か出来る事ということは、かつてインダルト パリがラッキー・セントやコレット限定の香りを生み出したように、キムさんと米倉さんと世界的な調香師がコラボした限定フレグランスが生まれる可能性があるということでしょうか?

少なくとも、私は前向きに考えています。

そしてもう一人私が感銘を受けている日本の香水業界人がいます。それはケンタロウ(Edit(h)の葛和さん)です。彼は情熱的で誠実で、勉強熱心だ。シンペイとケンタロウがこれからの日本の香水業界を引っ張っていくだろう。

――― たとえば今、最も注目している調香師は誰ですか?

そうですね。さっき麻布台のNOSE SHOPという素敵なフレグランス・ショップでフレグランスを一本購入したのですが、私はこの調香師が大好きです。クエンティン・ビスクです。彼こそが「ネクスト・クルジャン」だと考えています。

――― なるほど。もし彼がインダルト パリのフレグランスを調香するなら、どのような香りを作ってもらいたいと考えますか?

パティシエが監修するスイーツの香りに今興味があります。いずれにしてもインダルト パリは、派手で分かりやすい香りよりも〝クワイエット・ラグジュアリー〟をテーマに次の香りは生み出していきたいと考えています。

そうだ!最後に面白いアドバイスをこの記事を読んでくれている読者の皆様にお伝えしよう。「ティオタ」は、純粋なバニラの香りなので、どんな香りともレイヤードの相性が抜群なんだ。

例えばストロベリーの香りと一緒に使えば、そのストロベリーの香りの種類により、ショートケーキにもシェイクにもミルフィーユにもなり、バラの香りと使えばマカロンになる遊び心を擽るフレグランスなんだ。そして私が発見した最高の組み合わせがキリアンの「エンジェルズ シェア」との組み合わせです。

とにかくこの組み合わせを一度試して欲しい。

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INDULT PARISについて(基本情報)

2009年に「メゾン フランシス クルジャン」を創業する3年前にあたる2006年4月9日に、フランシス・クルジャンが、ジュリアン・マセリと共にインダルト パリを設立しました(2007年1月より香水販売は開始された)。

ブランド名はラテン語の〝Indultum=恩恵〟に由来し、フランス国王またはローマ法王が高貴な個人に与える特権を意味します。それぞれ999本限定の生産数の3種類の香りからはじまりました。

2010年すっかり衰退しつつあったこのブランドをクルジャンから譲り受けたキム・チャールズにより、2013年、ブランドは復活し、2024年10月〝天国にいちばん近い純粋なバニラの香り〟と世界中で今もSNSで話題になり続けている香り「ティオタ」と共に、日本に初上陸を果たしたのでした。

オンライン・ショップ

全作品

イスバラヤ(2006)
ティオタ(2006)
マナカラ(2006)
キュイール404(2008→2024)