ボワ デ ジル
原名:Bois des Iles
種類:オード・パルファム
ブランド:シャネル
調香師:エルネスト・ボー、ジャック・ポルジュ
発表年:1926年、2007年
対象性別:女性
価格:75ml/37,400円、200ml/66,000円
公式ホームページ:シャネル
史上初めて、女性のために作られたウッディ・フレグランス

©CHANEL

1920年代にパリを熱狂させた黒人女性がいました。その人の名をジョセフィン・ベーカーと申します。
2007年にシャネルのプレステージ・コレクションとして「レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネル」がスタートしました。最初の10種類の香りのひとつとして「ボワ デ ジル」(オード・トワレ)が、シャネルの3代目専属調香師ジャック・ポルジュによって調香されました。それは1920年代に発売されたシャネルの4種類の人気フレグランスを現代風に復刻させた香りのひとつでした。
「ボワ デ ジル」とは、フランス語で〝島々から贈られた最上級の木々(島々の森)〟の意味です。オリジナル・ヴァージョンは、1926年にシャネルの初代専属調香師エルネスト・ボーにより調香されました。
第一次世界大戦でフランス(1911年の人口は3,778万人)は、およそ170万人の死者を出しました。そのため政府は移民の門戸を開きました。そしてフランス植民地の島々から、たくさんのアフリカ系黒人たちがやって来ました。
彼らの新しい熱風が、狂騒の1920年代のパリに吹き込み、人々は、エキゾチックな暗黒大陸アフリカへの憧れと恐れを募らせてゆきました。パリの夜は眠りません。当時、ココ・シャネルは、モンマルトルのアフリカン・ダンスホールで踊りあかし、響き渡るジャズのビートに酔いしれていました。
「ボワ デ ジル」は、そんなパリの街にあふれるエキゾチックなエネルギーの波を、スパイスの渦巻く星雲に託し、官能的なイランイランとサンダルウッドに舞い散らせた、遠く離れた島々への憧憬の旅へと誘う〝香りの暗黒への招待状〟です。
「黒いヴィーナス」の香り

彼女の少女時代は極貧と人種差別との闘いでした。

そして、170cmのしなやかな肢体を駆使して、黒いヴィーナスと呼ばれる存在になりました。
「黒いヴィーナス」の香り。
ジョセフィン・ベーカー(1906-1975)というトップレスダンサーがいました。彼女は、1925年にパリのシャンゼリゼ劇場において「レビュー・ネグロ(黒人レビュー)」で、一世を風靡し、アーネスト・ヘミングウェイをして「私が今まで見た中で最もセンセーショナルな女性だ」と言わしめた人でした。
ミズーリ州セントルイス生まれのジョセフィンは、パリの人々にはじめてチャールストンを披露し、瞬く間に彼らのセックス・シンボルとなりました。ココ・シャネル、パブロ・ピカソも彼女に魅了された一人でした。
やがて、彼女は、フランスのナチス・ドイツ侵略に対するレジスタンス活動に参加し、さらには、世界中の黒人の公民権のために戦う人になったのです。「黒いヴィーナス」は「黒い鉄の女」になったのでした。
オリジナルの「ボワ デ ジル」は、そんなジョセフィンのように、人生に対して限界を設けない女性への賛歌としての、「史上初めて、女性のために生み出されたウッディのフレグランス」でした。
チャイコフスキーの『スペードの女王』が微笑む香り

©CHANEL
スペードの女王はひそかな悪意を意味している。
『スペードの女王』プーシキン
さらに、エルネスト・ボーは、この香りのスパイスとして、ピョートル・チャイコフスキーのオペラ『スペードの女王』を、モスクワの王立劇場で鑑賞した時に心奪われた感覚を挿入しました。この頃、ロシアの二月革命によりロマノフ王朝が1917年に崩壊し、ロシアからの貴族階級の移民がパリに住んでいたこともあり、チャイコフスキー人気が再熱していました。
1837年に決闘で死ぬことになるアレクサンドル・プーシキンが、1834年に発表した短編小説『スペードの女王』をチャイコフスキーがオペラ化したのは、亡くなる3年前の1890年のことでした。
この作品の前後にはバレエの傑作『眠れる森の美女』と『くるみ割り人形』が作曲され、絶頂期のチャイコフスキーの感性は、人々の不幸の中から、自らの栄光を勝ち取らんとする主人公ゲルマンが滅んでいく姿を、ダイナミックかつメランコリックな壮麗なるオペラへと昇華しています。
エルネスト・ボーは、純真な女性の愛を利用し、野心のために冷酷な賭けに挑み、滅んでいく男の物語を香りの世界に転生させることによって、我が身にも〝スぺ-ドの女王の微笑み〟をもたらそうとかんがえたのでした。のちに、ボーは、この作品を、自身の作品の中でもっともお気に入りの作品として挙げています。

1929年から1936年にかけて、マホガニー材が使用されたケースで販売されていました。
この香りが原型となり、1990年に「エゴイスト」が生みだされました。ちなみにこの香りと最も比較される香りが、ゲランの「サムサラ」(1988)です。
エルメスト・ボーが最も愛した香り

©CHANEL
「ボワ デ ジル」は、1983年に、ジャック・ポルジュにより、オリジナルに出来るだけ忠実に再調香されました。そして2007年に「レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネル」のために再々調香されました。
1926年ヴァージョンに使用されていたインドのマイソール産のサンダルウッド(50%もの精油が使用されていた)は、絶滅の危機に瀕していたので、もう使用されていません(マイソール産のサンダルウッドの香りを再現するためのジャック・ポルジュとクリストファー・シェルドレイクの物語だけで一冊の冒険小説が出来上がるでしょう)。
〝スペードの女王〟があなたに微笑みかけるように、スプレーの一吹きと同時に、(No.5よりははるかに軽やかな)アルデハイドのソーピィーな蜃気楼が広がる中、ベルガモットとマンダリン・オレンジの明るくシュワっとしたシトラスシャワーに、謎めいたコリアンダーとクミンが溶け込んでゆくようにして、独特な甘い香りが生み出す狂騒の20年代が、素肌の上で、その幕を切って落とします。
すぐに、サンダルウッドが荘厳な空気と共に到来し、花のような香り、繊細に煌めくスパイスの香り、神秘的なスモークの香り、退廃的にクリーミーで官能的な香りといったそれぞれの側面を、アルデハイドの蜃気楼の中から解き放ってゆきます。とても贅沢な木の息吹を感じさせます。
そしてムスクの風に乗って、艶やかに甘く濃厚なイランイランとアンニュイなジャスミンの異国情緒あふれる円やかな甘さと共に、スズラン、アイリス、オレンジ・ブロッサム、そしてローズといった豪華絢爛たるイエローフローラルブーケが、シャネルの美学である、控えめな美しさを、サンダルウッドの背景で広がらせてゆきます。
やがて、母なる大地を思わせるアーシィーなベチバーと闇のように香ばしいトンカビーンがバニラと混じり合い、酔わせるバーボンのような甘さを振り撒きながら、アルデハイドの蜃気楼に包まれたサンダルウッド×イランイランと溶け合い、ひとまとめに素肌の上でスパイシーなアンバーのバターのように引き伸ばされてゆくのです。
まさに明るく輝く黄色い花々と神秘的な森の、光と闇の戦いが素肌の上で、ドラマティックかつロマンティックな古典劇のように繰り広げられていくようです。
〝ウッディなNo.5〟とも呼ばれるこの香りは、2016年9月には、オード・パルファム・ヴァージョンが発売され、これが現行品となっています。
タニア・サンチェスは『世界香水ガイド』で、「本当のインドのサンダルウッド(白檀)を、一度でもつけたことのある人にはわかる。それは、それだけで完全な香水。ミルキーで、ローズのようで、アンバー、ウッディ、グリーンのようですばらしい」
「エルネスト・ボーが、豪華な「キュイール ドゥ ルシー」でレザーに試したことを、こんどは心地よいボワ デ ジルでサンダルウッドにしてみた」
「暗く、密やかで、ベルベットのような温かさ、うっとりして倒れこみそうに柔かい。市場にある材料でそれを表現できたのはこれだけ。シャネルはドライダウンがジンジャーブレッドだといっている。バニラのバルサムとスパイスはまさにそのとおり。でもそれではこの香水の深みが伝わらない」
「アルデハイドがすべてのものにパウダリーな輝きを振りまいていて、まるで「No.5」の黒髪の姉のように感じさせる瞬間がある。シトラスとローズのかぐわしいトップノートはコーラのフルーティな輝きとともに完璧だ」
「80歳を超えるというのに、シャネルがその間の活発な試みの中で生んだどの作品にくらべても、エイジレスな魅力がある。シャネルの最高のフレグランスが、材質やデザインの違うリトル・ブラックドレス ―― お洒落で、たよりになる、すばらしい仕立ての ―― だとすれば、ボワ デ ジルはカシミア素材。この世の冷たさから守ってほしいときに身につけ、何年にもわたって愛用」と5つ星(5段階評価)の評価をつけています。
香水データ
香水名:ボワ デ ジル
原名:Bois des Iles
種類:オード・パルファム
ブランド:シャネル
調香師:エルネスト・ボー、ジャック・ポルジュ
発表年:1926年、2007年
対象性別:女性
価格:75ml/37,400円、200ml/66,000円
公式ホームページ:シャネル
トップノート:カラブリアン・ベルガモット、シチリア産マンダリン・オレンジ
ミドルノート:サンダルウッド、コモロ産イランイラン
ラストノート:トンカビーン、バーボンバニラ、ベチバー、樹脂