⑤エンジェル(ティエリー・ミュグレー)
発表年:1992年
調香師:オリヴィエ・クレスプ、イヴ・ド・チリン
対象性別:女性
歴史上最も重要な香りのひとつでありながら、日本中のどこにも販売されていない香り、それが史上初のグルマンノートであるティエリー・ミュグレーの「エンジェル」です。この作品以後、香りに対する評価の基準として、「おいしそう」という表現が加わることになりました。
1992年に発売されたこのオリエンタル・バニラの香りは、オリヴィエ・クレスプとイヴ・ド・チリンにより調香されました。発売当初その斬新な香りにより、多くの代理店が取り扱いを渋り、すぐにはヒットしなかったのですが、じわじわと愛好家が広がり、21世紀に入り、世界で3本の指に入るベストセラー・フレグランスの地位に登りつめたのでした。
⑥フローラボタニカ(バレンシアガ)
発表年:2012年
調香師:オリヴィエ・ポルジュ、ジャン・ クリストフ・エロー
対象性別:女性
バレンシアガが、若者たちのフレグランス・マーケットに向けて2012年9月にローンチしたフレグランス「フローラボタニカ」。さわやかなフローラルノートとミステリアスなグリーンノートの2つのノートで構成されているこの香りは、オリヴィエ・ポルジュとジャン・ クリストフ・エローによる調香です。
⑦ジョイ(ジャンパトゥ)
発表年:1930年
調香師:アンリ・アルメラス
対象性別:女性
1929年、ファッション・デザイナー、ジャン・パトゥは、ブランド存亡の危機に立たされました。それは第二次世界大戦が始まる要因になった未曾有の世界大恐慌によってです。ジャンは、起死回生の一手を本業の服飾には求めませんでした。なぜなら、今までの顧客層はもはや大恐慌により、高額な買い物が出来なくなっていたからでした。
そこで、ジャンは、スペイン人の専属調香師アンリ・アルメラスに新しい香水を調香するように指示を出しました。「たとえ新しい服が買えなくても、世界中の女性が元気になるような、今まで存在しなかった最高峰の香水を作ってください」と。しかし、ジャンは、作り出された全ての試作品をボツにしました。そして、困惑しているアンリにアドバイスします。「ドレスをいっそう目立たせたいとき、私は高価な素材か布を2倍使う。この香水も同じように濃度を2倍にして下さい」と。商品化するには高価すぎる原料で作った商品化は不可能だとアンリが考えた試作品が、商品化の道を歩むことになります。それは合成ムスク以外は全て天然香料という贅沢な香水でした。
まさに野生の花束の香り。10600個のグラース産ジャスミンと、28ダース(336個)のブルガリアンローズが僅か30mlの香水のために使用されました(シャネルのNo.5よりもさらに多くのジャスミンとローズを用いた)。更に、アールデコの代表的デザイナー、ルイ・スーがボトルデザインを手がけました。中国の鼻煙壺という、翡翠や琥珀を使い、彫刻を施した容器をモチーフしたデザインです。そして、この香水は、歴代2位の売り上げを記録する伝説的香水の道を歩むのでした(1位はシャネルNo.5)。
⑧シャリマー スフル ドゥ パルファン(ゲラン)
発表年:2014年
調香師:ティエリー・ワッサー
対象性別:女性
1925年に発売された史上初のオリエンタル・フレグランス「シャリマー」を、ゲランの五代目調香師ティエリー・ワッサーが、モダンに調香したフローラル・オリエントの香りです。
ブルーのボトル・デザイン、通称ブルー・シャリマー。スフルとはフランス語でそよ風の意味です。日本では定番ボトルは発売されずに、毎年12月に限定ボトルのみが販売されています。
⑨ファースト(ヴァンクリーフ&アーペル)
発表年:1976年
調香師:ジャン=クロード・エレナ
対象性別:女性
古典的なフローラルの香りに気品溢れる輝きを与えてきたアルデヒドを使用するということは、1970年代においては、古めかしい香りの創造につながるものでした。その危険性を冒しつつも、若き日のエレナは、フローラルノートにグリーンノートとブラック・カラントの香りを取り入れ、アルデヒドの新たな一面を見つけ出したのでした。
No.5のように厚手の香りのベールをアルデヒドによって創るのではなく、薄手の香りのベールを創っているのも特徴です。こうして、終始きらきらした気品に包まれたジュエリー・フレグランスは創造されたのでした。