オードリー・ヘプバーン

オードリー・ヘプバーン2 『ローマの休日』2(2ページ)

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作品データ

作品名:ローマの休日 Roman Holiday (1953)
監督:ウィリアム・ワイラー
衣装:イーディス・ヘッド
出演者:オードリー・ヘプバーン/グレゴリー・ペック/エディ・アルバート

オードリー・ヘプバーン=アン王女のロイヤル・ドレス

「彼女はまさに天使のようで、キュビズムの絵画を思わせる」イーディス・ヘッド

「彼女はまさに天使のようで、キュビズムの絵画を思わせる」イーディス・ヘッド

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もっとも有名なアン王女の写真。

Audrey Hepburn as Princess Ann in Roman Holiday, 1953

永遠にNo.1のウエディング・ドレスの誕生。

最高のコメディセンス!〝パンプス脱げちゃった〟シーン。

プリンセス・アン・ルック3 ローブ・デコルテ
  • デザイナー:イーディス・ヘッド(アカデミー衣裳デザイン賞8回受賞。本作でも受賞)
  • シルクのブロケード生地で作られたピンクのボールガウンのドレス。上品なカープカラーにリボンと肩章が付いた、大きく花弁が開いたかのようにカットされ、デコルテが強調される胸元が露わになるスタイルのローブ・デコルテ
  • ダイヤモンドを散りばめた高さのあるティアラと、ダイヤモンド・イヤリング、ダイヤモンド・ネックレス。
  • 白のロンググローブ。
  • 白もしくはペールカラーのハイヒールパンプス。

彼女は笑いながら背中を丸めて床に座り(いつも椅子より床のほうを好んだ)、無邪気でかわいい小学生の女の子のように脚を折り曲げて、鋭いナイフのように問題の核心に切り込む率直さで、「プリンセスにあのデコルテは似合わないと思うわ、イーディス!」などといってのけた。

イーディス・ヘッド

元々は、1940年代後半に、『或る夜の出来事』『素晴らしき哉、人生!』のフランク・キャプラ監督により、エリザベス・テイラーとケーリー・グラント主演で、映画化が予定されていた企画でした。

オードリー・ヘプバーンのニュールック

「シンプルに飾ったほうが女優は美しくなる」というイーディスの衣裳哲学が詰まったドレスでした。このドレスは、ヴィクトリア朝風でありながら、オードリーのトルソーのように細いモデル体型を生かしに生かした現実味のないシェイプで構成されています。驚異的なウエストの絞りとボールガウンの膨らみの対比が、神話性を高める役割を果たしています。

Christian Dior bar suit 1947

Christian Dior bar suit 〝New Look〟1947

わたしは50年代を再生と自信回復の時代として記憶しています。あの時代には機会と活力と熱気の復活が・・・笑いと陽気さへの回帰があった。世界はふたたび機能しはじめていた。とりわけ、あらゆる贅沢のなかでも最大の贅沢が<自由と平和>への感謝と安心感から生まれた素晴らしい希望があった。

オードリー・ヘプバーン

映画撮影当時、1950年代に突入し、第二次世界大戦(1945年終了)後ようやく世界が復興に向けて歩みだしていました。それまで上流階級だけを対象にしていた高級なパリのファッションが、素材産業の発展に伴い、ファッション産業として大衆の手に届くものに進化を遂げています。そのきっかけになったのが、クリスチャン・ディオールが1947年に発表した≪ニュー・ルック≫でした。

ファンタジーを生み出せるのは無名の存在のみ

イーディス・ヘッド、デザイン画。

イーディス・ヘッド、デザイン画。

イーディス・ヘッド、デザイン画。

イーディス・ヘッド、デザイン画。

イーディス・ヘッド、デザイン画。

イーディス・ヘッド、デザイン画。

Audrey Hepburn meets designer Edith Head during her first photo shoot at Paramount

オードリーがはじめてイーディス・ヘッドに会った日。

若いころ、わたしはエリザベス・テイラーとイングリッド・バーグマンの中間に憧れていた。でも結局どちらにもなれなかった。

オードリー・ヘプバーン

映画の中で真のファンタジーが生み出されることは極めて稀です。『ローマの休日』が、今もなお女性を惹きつけて止まない(つまり何度見ても飽きず、しまいには、食事をつくる準備中に流すレパートリーになったりする)その理由は、無名時代のオードリーがそこにいたからです。そして、物語のシンプルさ。その根底に存在する能天気さ(お馬鹿っぽさ)にホッと、仕事で疲れた身体も心も安らぎを覚えるのです。

(ワイラー監督から学んだことは)ほとんどすべてといってもよいと思います。単純さと真実だけが重要だ、というのが彼の考えでした。それは内面からにじみ出てくるのでなければならない、作りものであってはならないと。わたしはその言葉をずっとおぼえています。

オードリー・ヘプバーン

だってそうでしょう?敗戦国で、ブラジルのリオ並みに治安の悪かったイタリア・ローマの街のど真ん中で、ロングヘアーの見るからに世間知らずな服装に身を包んだ美人が無防備に眠り、無事にイケメン新聞記者ジョー・ブラッドレーに保護され、翌日に、助けられたジョーにスイカ片手に尾行されても、一切気づかず、合流後、ああも堂々とカメラで隠し撮りされるアン王女の姿は、どう考えたって、オードリー・ヘプバーンではなく、アン王女なのです。オードリーがローマの街にいるのではなく、逃亡したアン王女がローマの街にいるんだと感じさせる魔法がこの作品には存在します。

スターがプリンセスという配役に完全に同化出来たことは映画史上極めて稀なことです。しかし、このファンタジーを生み出せる能力こそが、ファッション・アイコンと呼ばれる女優に共通している要素であり、それは間違いなく、女優自身の力だけでなく、共演者、監督、照明、脚本。そして、何よりも衣裳と時代の空気によって生み出されたものなのです。グレゴリー・ペックは後に、こう回想しています。

あのすばらしいローマの夏に、オードリーのデビュー作で相手役をつとめ、手を差し延べて、彼女がスピンやピルエットをするときにバランスを崩さないように支えてあげることが出来たことは、わたしにとって大きな幸運だった。あの何ヶ月かはおそらくわたしの映画出演のなかで最も幸福な体験だった。

グレゴリー・ペック

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