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【ブルジョワ】ソワール ド パリ(エルネスト・ボー/フランソワ・ドゥマシー/ジャック・ポルジュ)

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©BOURJOIS
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ソワール ド パリ

原名:Soir de Paris
種類:オード・パルファム
ブランド:ブルジョワ
調香師:エルネスト・ボー→フランソワ・ドゥマシージャック・ポルジュ
発表年:1928年→1992年
対象性別:女性
価格:不明


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ブルジョワというブランドについて

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この香りのイメージは初夏の黄昏どき。夜に向かって花々が昼間とは違う顔をのぞかせ、しっとりとした甘い香りを漂わせる、一日の中で最もロマンティックな色に染まるときを表しています。もちろん、セーヌ川を歩く恋人達のシルエットが浮かぶパリの夕暮れです。

『香水ブランド物語』平田幸子

1928年にブルジョワから発売された「ソワール ド パリ」は、シャネルの「N°5(No.5)」の調香をしたエルネスト・ボーにより調香されました。〝パリの夜、巴里の宵〟という名のこの香りのために、1969年の生産終了までの間に、数多くの広告キャンペーンが行われました。

ブルジョワは、1863年に、舞台用のメイクアップ製品を、役者たちのために、従来の脂っぽいものから進化・開発し、一般の人々に対しても販売することを目的とした会社として、俳優のジョゼフ=アルベール・ポンサンによりパリで創業されました。

1868年に、ビジネスパートナーのアレクサンドル=ナポレオン・ブルジョワが後継者としてすべてを託され、1879年に〝肌を柔らかく白くする〟ジャワ島のライスパウダー(プードル・ドゥ・ジャヴァ)がヨーロッパで大ヒットしました。さらにブラン・ドゥ・ペルルなどのヒット商品により、事業拡大し、のちにヨーロッパのメイクアップブランドの元祖と呼ばれるほどになりました。

1898年に、シャネルを買収することになるピエールとポール・ヴェルテメール兄弟の父エルネストが、この会社の半分の株式を買収しました。そして、二人の息子が事業に関わることにより、1913年には、ブランドを代表するマカロン型チーク、ブラッシュ パステル ジュが発売され、大ヒットしました。

1917年以降はヴェルテメール兄弟が完全に経営権を把握し、本格的なアメリカ進出を果たし、ブルジョワは興隆期を迎えることになるのでした。

ちなみに日本でブルジョワと言えば、マカロンのようなフォルムの容器に入ったリーズナブルで良質なコスメを連想させるでしょう。1980年代に日本に進出し、「焼き上げる製法」により製造されたチークやアイシャドウにより、女子高生から20代のOLの間で絶大なる人気を誇りながらも、2014年に人知れず日本から撤退しました(ちなみに2015年4月にコティに売却されました)。

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シャネルのNo.5を生み出したエルネスト・ボーによる〝巴里の宵〟

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それはさておき、1921年にシャネルの「No.5」を生み出したエルネスト・ボーを、ヴェルテメール兄弟は、1924年4月4日にガブリエル・ココ・シャネルからシャネルの香水の権利を手にしたことにより、パルファン・シャネル社を設立し、エルネストを専属調香師にしたのでした(シャネル共々)。

そして、1924年にブランドのファースト・フレグランス「モン パルファム」がエルネストにより調香されました。さらに1925年からアメリカ市場を視野に入れたフレグランスの開発を開始し、1928年に、ニューヨークで「イブニング イン パリ」という名の香りが発表されたのでした。

この香りのコンセプトは香水のボトルの中に、光の都=パリの夜を入れるということでした。コバルトブルーのボトル本体に、エッフェル塔をイメージしたシルバーの三角形のプレートが装飾され、その上には、三日月と星が彫り込まれています。雫のように見える細長い白の刷りガラスが装着されたアール・デコ調のボトル・デザインはジャン・エリューによるものです。

「イブニング イン パリ」の広告 ©BOURJOIS

「イブニング イン パリ」の広告 ©BOURJOIS

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アメリカで最初に発売され、翌年フランスに逆輸入される。

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魅惑の巴里が、その輝きを惜しみなく見せてくれるひととき、それは初夏の黄昏どきのひとときです。セーヌ河畔でカップルは愛を囁き合い、くちづけを交わし、エッフェル塔は静かに見守ってくれているこの瞬間、人々の心は甘い余韻で満たされています。

そんな魅惑の巴里のロマンティックな空気を連想させるように、円やかなフルーツに軽やかな甘いくちづけを思わせるヴァイオレットと(高級石鹸のような)アルデハイド、青々としたベルガモットとタラゴンが注ぎ込まれてゆきます。

そしてだんだんとローズ、ジャスミン、スズランといった花々が、深まってゆきます。さらにアイリスとヘリオトロープの軽やかさが、ヴァイオレットと結びつき、何ともいえないメランコリーなムードで包み込んでくれます。

やがてクリーミーなサンダルウッドとアンバーとムスクの香りが広がる中、ヴァイオレットを中心としたフローラルブーケにカーネーションを忍ばせ、優しくしとやかな甘い余韻に身も心も満たされてゆくのです。

「No.5」を思わせるフローラルアルデヒドでありながら、花々はより円やかに甘く、アニマリックも強くなく、官能性よりも、しとやかな女性の美しさが立ち上ていくようです。

1929年にはフランスに「ソワール ド パリ」の名で逆輸入され、世界中で発売されるようになりました。

「たった9フランで贅沢な香水を」のキャッチコピーにより、世界大恐慌の下、中流階級の間に広がり、アメリカのマーケットにおいても、ゲランやシャネルのように高価ではない安い価格設定で、パリの高級感を味わえるということで人気を博しました。

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1969年に一度滅亡した香り

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やがて1945年から46年にかけて、ヨーロッパ戦線からアメリカに帰国する米軍兵士たちが、恋人のためにこぞって購入することによって爆発的ヒットとなりました(アメリカ発祥の香りであるにも関わらず)。

以後、1950年代に、世界中の女性の中で最も所持されている香水としてもてはやされ、コカコーラのボトルと同じくらいにアメリカ人に愛着のあるボトルとなりました。しかし、時代の流れと共に、人気は衰退してゆき、1969年に廃盤になりました。

近代トルコ建国の父、ケマル・アタチュルクは、遺言書で自身の棺にこの香りのボトルを入れて埋葬するようにと明文化したほどでした(実は、彼が死んだときベッドのサイドテーブルにこの香水瓶があった)。さらにはサウジアラビアのファイサル王子は、フランス大使からの献上品にこの香りを所望されました。

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ゴルゴ13に登場する「ソワール ド パリ」

©Saito Production

1985年11月に発表されたさいとう・たかをの『ゴルゴ13』「見えない翼」の中で、「ソワール ド パリ(香水)で体臭はごまかしても・・・括約筋はロシア女(マダムロシャス)のものだ・・・KGBか・・・?」という印象的なセリフがあります。

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1992年に不死鳥の如く甦った「ソワール ド パリ」

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まだシャネルと同じくヴェルテメール兄弟が所有していた1992年に、「ソワール ド パリ」は、フランソワ・ドゥマシーと当時のシャネルの専属調香師ジャック・ポルジュにより、オリジナルとはほとんど共通点が存在しない、リンゴのようにフルーティな香りからはじまる、ランコムの「トレゾァ」に似た、より甘く、よりパウダリーな調香で復活しました。

トップノート:ベルガモット、ピーチ、アプリコット、ヴァイオレット
ミドルノート:ローズ、ヘリオトロープ、ジャスミン、イランイラン、スズラン、アイリス
ラストノート:アンバー、ムスク、サンダルウッド、バニラ

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香水データ

香水名:ソワール ド パリ
原名:Soir de Paris
種類:オード・パルファム
ブランド:ブルジョワ
調香師:エルネスト・ボー→フランソワ・ドゥマシージャック・ポルジュ
発表年:1928年→1992年
対象性別:女性
価格:不明



トップノート:ベルガモット、ヴァイオレット、タラゴン、シクラメン
ミドルノート:リンデン・ブロッサム、クローバー、ライラック、ローズ、ジャスミン、スズラン、ニオイイリス、カーネーション
ラストノート:ベチバー、エゴノキ属、アンバー、インセンス、ムスク、ベンゾイン、ヘリオトロープ