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【ディオール】ミッツァ(フランソワ・ドゥマシー)

クリスチャン・ディオール
クリスチャン・ディオール
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ミッツァ

原名:Mitzah
種類:オード・パルファム
ブランド:クリスチャン・ディオール
調香師:フランソワ・ドゥマシー
発表年:2010年
対象性別:女性
価格:125ml/34,020円

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クリスチャン・ディオールの『美の女神』の香り

©DIORBEAUTY

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ディオールの「ラ コレクシオン プリヴェ クリスチャン ディオール」は、2004年に「コローニュ ブランシュ」「オー ノワール」「ボア ダルジャン」といった3種類の香りが発売され、2009年に「アンブル ニュイ」が発売されました。そして、2010年に一挙7種類の香りが発売され、「コローニュ ブランシュ」「オー ノワール」が廃盤となり全9種類となりました。

そのうちのひとつ「ミッツァ」は、ディオールの初代専属調香師フランソワ・ドゥマシーにより調香されました。

〝ミッツァ〟とは、クリスチャン・ディオールがメゾンをオープンした時の三人の女神(セシル・ビートンが「The Three Fates(三人の運命の女神)」と呼んだ)のうちの一人、ミッツァ・ブリカールの名を冠した香りです。

ミッツァは、ディオールにおいて、今で言うところのアーティスティック・ディレクターの役割を果たしており、ムッシュ・ディオールの相談役、つまり彼のミューズでした。ムッシュが『美の女神』と崇めるほどに、隙のないエレガンスに満ちた女性でした。

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クリスチャン・ディオールと三人の女神

前列左からマルグリット・カレ、クリスチャン・ディオール、ミッツァ・ブリカール、二列目左から二人目レイモンド・ゼーナッカー。©Christian Dior

クリスチャン・ディオールとミッツァ・ブリカール、1947年。©Christian Dior

セシル・ビートンが撮影したミッツァ・ブリカール、1950年。©Christian Dior

ディオールのドレスは、あらゆる体型の女性の身体の美しさに捧げられています。

クリスチャン・ディオール(だからこそ、ディオールの周りにはあらゆる体型の女性がいました)

クリスチャン・ディオールの成功は、三人の女神の存在なくしてあり得ませんでした。スフィンクスのような謎めいた青い瞳を持つレイモンド・ゼーナッカーは、ディオール自身が、「レイモンドは私の残りの半分です。彼女は私の空想に理性を与え、私の想像力に秩序を与え、私の自由に規律を与え、私の無謀さに先見の明を与え、争いの雰囲気に平和をもたらす方法を知っています」と称えるデザイン部門の最高責任者でした。

一方、マルグリット・カレは、30人の職人からなる自身のアトリエのメンバー全員を引き連れ、ジャン・パトゥから電撃移籍し、ディオールのアトリエの最高責任者となった人でした。 彼女はディオールのスケッチを見て、素材の選択から作品の制作に至るまで、それを現実のものにしていく能力に長けていました。 ディオール自身が「長年にわたって、彼女は私の一部、そう呼んでいいのであれば、洋裁をする私の一部になったのです」と言うほどでした。

そして、最後の一人がミッツァ・ブリカールなのです。正式には、帽子の製造部門の部長でしたが、ディオールが〝エレガンスの生きた化身〟と言い切るほどの存在でした。彼女は、英語をはじめ何ヶ国語も流暢に話し、常に豹柄の服を着て、多くのパール(カルティエの14連の真珠のネックレスが一番のお気に入り)とピンヒール、ヴェールのついたターバンなどの美しい帽子を被っていました。

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ミッツァ・ブリカールについて

三人の女神とイヴ・サンローラン、1958年。©Christian Dior

三人の女神とイヴ・サンローラン、1958年。©Christian Dior

左からロジェ・ヴィヴィエ、レイモンド・ゼーナッカー、マルグリット・カレ、マルク・ボアン、ミッツァ・ブリカール、1961年。©The Richard Avedon Foundation

ミッツァは、1900年11月12日にジャーメイン・ルイーズ・ノイシュタットの名でパリに生まれました。少し前までは、その神秘的なムードから、若き日をパリでストリッパーや高級売春婦として生きていたという伝説がありました。

本当のところは、1923年にルーマニアの外交官と結婚し、その頃にジャックドゥーセでデザイナーとして働いていました。そして1933年ごろにモリニューに移籍しました。この頃、同僚としてピエール・バルマンと一緒に働いていました。

ディオールが彼女と知り合ったのは、1937年のことでした。モリニューのオートクチュールハウスで38年の春コレクションをスズランで飾り立てていた彼女の姿を見た時でした。その後、第二次世界大戦中はバレンシアガで働いていました(戦時中はクリストバル・バレンシアガのスペインの豪邸で多くの時間を過ごしていました)。

そして、夫の死後1942年にユベール・ブリカールと結婚しました。このときの保証人はカルティエのジャンヌ・トゥーサンでした。二人は親友でした。やがて第二次世界大戦が終わり、1946年12月にパタンナーとしてディオールに迎えられたのでした。

彼女は、オテル・リッツ・パリに住み、正午前にディオールの本社に出勤していました。ディオールがレオパードとライラック色をハウスカラーにしたのは、プリカールの影響によるものでした。彼女の絶え間ない大胆な要求に対して、ディオールにアトリエの職人たちが不平を言った時、ディオールは静かに「彼女を他のクチュールメゾンで見ることになっても良いですか?私はそんな恐ろしいことを考えたくない」と言うほど信頼していました。

ある時、ニーマン・マーカスの元社長スタンリー・マーカスがミッツァに、「パリで好みの花屋はどこですか?」と尋ねたことがありました。すると彼女は平然と「カルティエ」と言ってのけたという有名な逸話があります。

ディオールの死後、イヴ・サンローランが主任デザイナー(1958年1月から1960年7月まで)を引き継いでいく支援を他の二人と共に行いました。その後のミッツァについては大層裕福な暮らしをした以外は、ほとんど知られていません。そして1977年12月13日にパリで亡くなりました。

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ディオールの〝魔性の温もり〟に包まれる。

ミッツァ・ブリカール、1950年。©Christian Dior

©Christian Dior

クリスチャン・ディオールの〝不滅のミューズ〟であるミッツァ・ブリカールの魅力を並べるなら、40代から50代の女性のエレガンスを体現し、レオパードやパール、ピンヒールを見事に自分の中に取り入れ、大人の女性の神秘的な側面を妖しく輝かせることに長けたところにあります。ただ美しいのではなく、一度見たら忘れられない途方もなくミステリアスな魅力に包まれた存在。

そんな彼女の名を冠したこの香りは、すべての香料が、ただひたすらに〝魔性の温もり〟を生み出すことだけに集中して、あなたの素肌と心にひろがってゆきます。とても危険な香りです。

まず最初に、カルダモンとコリアンダーのスパイスの情熱的な囁きからこの香りははじまります。最初から最後までローズが、そこにおられます。まるで真紅のリップを塗った唇のキリっとしたスパイシーローズの女性の横顔がそこに見えるようです。

すぐにうっとり、ねっとり、まったりと、指に指を絡め合わせ、舌に舌を絡め合わせるように、アンバーが滑らかに色っぽく交じり合うように広がってゆくのです。絶対に逃さない意志の強さを感じさせる静謐なるインセンスが最後まで背後に漂っています。

そんな酔わせるラム酒のような甘いアンバーに〝魔性の温もり〟を加えるように、バニラ、ラブダナムが注ぎ込まれてゆきます。まるでクリーミーなチョコレートが素肌に塗りこめられていくような、〝もっともっと欲しくなる〟感覚を全身に与えるように満ち広がってゆくのです。

やがてすべてを突き放すようなシナモンとパチョリを含んだワインのようなローズが開花してゆきます。そして冷たく微笑むような感覚に衝撃を受けながらも、すぐに肉感的なハニーが姿を現し、引き伸ばされ、キャラメルのようにすべてはひとまとめにまろやかな〝魔性のアンバーの温もり〟に飲み込まれてゆくのです。

気高くも軽やかに抑制されたオーラを解き放つラブダナムとインセンス、スパイスで彩られたオリエンタルローズの香り。まさにレオパードのターバンとファーコートとパールネックレスとピンヒールで完成したエレガンスの化身のような、煌めくオーラに包まれてゆく〝夢見るように眠りたくなる〟香りです。もしくは、〝誘惑の待ち伏せ〟の香りです。

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香水データ

香水名:ミッツァ
原名:Mitzah
種類:オード・パルファム
ブランド:クリスチャン・ディオール
調香師:フランソワ・ドゥマシー
発表年:2010年
対象性別:女性
価格:125ml/34,020円


トップノート:カルダモン、コリアンダー
ミドルノート:シナモン、ローズ
ラストノート:フレンチラブダナム、インセンス、パチョリ、ホワイトハニー、アンバー、バニラ