「衣服の汚れと破れの美学」を史上初めて描いた作品
「俺は耳でできている男だからね。実際にタイムズ・スクエアでスタンリーのような男たちを観察して物にした」と回想するマーロン・ブランドは、公開当時、誰も演じることが出来なかった芝居を披露しました。
それは、「ステラ~!」(恐らく『ロッキー』の「エイドリアン!」の原型)と凄まじい雄叫びをあげる伝説のシーンです。それはまさに男性の持つ幼児性と獣性の境界線の上を歩くような芝居であり、アメリカの労働者階級の男の血と汗と涙と唾液と、そして、精液までも体現した芝居でした。
そして、そういったスタンリーの魅力を万全に演出する効果的な方法として、引き裂かれたTシャツの存在がありました。
まさにこのシャツが引き裂かれる臨場感が、1970年代のブルース・リー、1980年代のハルク・ホーガン、そして、1990年代の「北斗の拳」のケンシロウに継承され、ポップカルチャーの領域に昇華していくのでした。
タンクトップ・レボリューション
がっちりした体操選手のような体躯。ウエイト・リフターのような腕、チャールズ・アトラスのような胸板にまったく赤の他人の頭が、この筋肉質の身体にくっついているようだった。その顔は詩人の顔であり、やさしくて天使のように優雅だった。その目は、温かいけれども悲しみをたたえていた。その唇はほとんど女性的でさえあった。
トルーマン・カポーティ
そして、ほとんどメンズ・ファッション誌で言及されることはないのですが、この作品により、タンクトップが、下着からカジュアルウェアに昇格していく導火線に火がつけられたのでした。以後、ブルース・リーの登場により(日本においては、裸の大将を経て)タンクトップは、カジュアルウェアの地位を獲得していくのでした。
元々は20世紀はじめに女性の競泳水着が原型であるタンクトップは、すぐに男性の水着にも取り入れられるようになり、下着として形を変えていきます。このタンクトップをカジュアルウェアとして着るようになったのは、リトルイタリーのイタリア系移民の若きギャング達だったと言われています。
スタンリー・コワルスキー・ルック2
タンクトップ
- タンクトップ
- ジーンズ
- 作業帽(ひさしのついた帽子)
中背で、174,5センチ、頑丈で引き締まった体格をしている。その動作や態度のはしばしに、生きていることへの動物的な喜びがあらわれている。男として物心がついたころから、彼の生活の中心は女相手の快楽であった。それも、快楽に身を任せて意気地なく溺れるのではなく、雌鳥の群の中の豪勢な羽をつけた一羽の雄鶏のように、力と誇りとをもって、快楽を与えつつかつ受け取るのである。
彼は一目で女たちを性的な分類でもって評価する、そして卑猥な姿態を想像しながら、どのようにほほえみかけるのかを決めるのである。
『欲望という名の電車』テネシー・ウィリアムズ
猿の惑星に到達したキム・ハンター
ブランチ・デュボアの妹でありスタンリーの妻でもあるステラを演じたキム・ハンター(1922-2002)は、本作でアカデミー助演女優賞を獲得しました(ブロードウェイの舞台のリハーサルのため出席できなかったキムの代わりに、なんとベティ・デイビスがオスカーを代理人として受け取りました)。
アクターズスタジオ出身の彼女は、これからという時に、赤狩りによりブラックリストに載り、1950年代の女優としてのキャリアを失いました。そして、『猿の惑星』(1968)でチンパンジーのジーラ博士(コーネリアスの恋人)を演じ、再び脚光を浴びるようになりました。
作品データ
作品名:欲望という名の電車 A Streetcar Named Desire (1951)
監督:エリア・カザン
衣装:ルシンダ・バラード
出演者:ヴィヴィアン・リー/マーロン・ブランド/キム・ハンター/カール・マルデン