究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

『ティファニーで朝食を』4|オードリー・ヘプバーンとナタリー・ポートマン

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン女を磨くアイコン映画女優
この記事は約3分で読めます。
2ページの記事です。
スポンサーリンク

作品データ

作品名:ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany’s(1961)
監督:ブレイク・エドワーズ
衣装:ユベール・ド・ジバンシィ/イーディス・ヘッド/ポーリーン・トリジェール
出演者:オードリー・ヘプバーン/ジョージ・ペパード/パトリシア・ニール/ミッキー・ルーニー/マーティン・バルサム

スポンサーリンク

幻のスティーブ・マックィーン

1175074a8404c8fb028888d747c16faa

トルーマン・カポーティ。写真:リチャード・アヴェドン、1958年。

『ティファニーで朝食を』は、トルーマン・カポーティによって1958年に発表された中編小説です。当初、カポーティは、マリリン・モンローが主役の条件で、パラマウントに映画化権を売りました。しかし、モンローのアクティング・コーチだったポーラ・ストラスバーグは、セックスシンボルのイメージを増長するようなコールガールを演じるべきではないと助言し、モンローは断りました。

その後、キム・ノヴァクにも断られる一方で、オードリー・ヘプバーンは、今までと全く違う役柄を演じたかったので、ホリー役に興味を持ちました。相手役のポールは、当初、スティーブ・マックィーンの予定でしたが、テレビ西部劇『拳銃無宿』の契約のため出演できませんでした。『荒野の七人』(1960年)で映画スターの仲間入りを果たしていたマックィーンが出演していたら、全く別物の作品になったでしょう。

スポンサーリンク

ポーリーン・トリジェール

fa8b95f7adf861ec23708cc38c3b63ec

ポーリーン・トリジェール。1962年。

pauline-trigere-seated-fits-a-dress-on-a-model-while-giglis-wife-sue-ellen-tries-on-a-pink-dress-photo-by-ormond-gigli-1962

フィッティング風景。1962年。

5ce9401875f46e6aeb6ec4d883790147

ポーリーンの代表作ジャンプスーツ。Vogue 1964年9月号。

paulinetrigere_15

ポーリーン・トリジェールを着るスージー・パーカー。1955年。

dttd-pauline_trigere1

この作品には、3人のファッション・デザイナーが関わっています。一人はオードリー・ヘプバーンのフォーマルな衣装の担当としてのユベール・ド・ジバンシィ。そして、オードリーのカジュアルな衣装と、他の出演者(パトリシア・ニールを除く)の衣装を担当した、イーディス・ヘッド(ジョージ・ペパードのアイビールックが素晴らしい)。

最後に、パトリシア・ニールの衣装を担当したポーリーン・トリジェール(1912-2002)です。パリ生まれのアメリカのデザイナーです。彼女は、パリのロシア系ユダヤ人の家庭に生まれました。父親は軍服を主に仕立てるテーラーで、母親はドレスメーカーでした。10歳より母の手伝いをしていましたが、欧州の政治情勢の悪化により、1937年にニューヨークに移住。

1941年よりハティ・カーネギー社でトラヴィス・バントン(『モロッコ』などのマレーネ・ディートリッヒのコスチューム・デザインを担当したハリウッドのコスチューム・デザイナーだが、1941年当時アルコール中毒で、ハリウッドを追放されていた)のアシスタントとしてキャリアをスタートする。すぐに独立し、1949年コティ賞を受賞する。ポーリーンはスケッチなしで立体裁断をするデザイナーでした。

1960年代にジャンプスーツを、1967年、アイコンのひとつになるラインストーン・ブラを発表。更に、1961年史上初のアフリカン・アメリカンのモデルとしてビバリー・ヴァルデスを雇用しました。彼女の顧客として有名な人は、ベティ・デイビス、クローデット・コルベール、ウィノナ・ライダーでした。

タイトルとURLをコピーしました