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『モロッコ』Vol.1|男装したマレーネ・ディートリッヒ

マレーネ・ディートリッヒ
マレーネ・ディートリッヒ
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マレーネ・ディートリッヒの男装

『モロッコ』が公開された当時(1930年)、アメリカでは、スラックスを履く女性はいませんでした。そのためパラマウントの重役は、観客は、ズボンをはいた女性になど目もくれないと、あるシーンの撮影を反対しました。

しかし、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督が、彼らに一言こう言い放ったのでした。「彼女はわたしが選んだものを着ます!」と。そして、ファッション界に影響を与える名シーンが生まれたのでした。

シルクハットをポンッと弾き、指2本で挨拶する仕草。男装したマレーネ・ディートリッヒ(1901-1991)が、女性にキスをするセンセーショナルなシーン。ファッションとは、デザイナーが作り上げ、それを着る人によって完成する所に最大の魅力があります。

「生きたファッション」を示した人たち。それが映画の黄金期(1930年代~1960年代)のスター達でした。さらに言うと、マレーネの男装が生きたのも、アイシャドウをつけたゲイリー・クーパー(1901-1961)の野性味溢れる〝宝塚的〟男性の魅力が対になっていたからでした。

実際のところ、第一次世界大戦が終わったころからガブリエル・ココ・シャネルはトラウザーを女性の装いに取り入れていたのですが、この作品の後、キャサリン・ヘプバーンが、マレーネのタキシード・ルックを私生活に取り入れ、一般化してゆきました。

一方、日本においては、宝塚歌劇団が1930年ごろから、女性が男性を演じる男役の様式美を、新しき日本の和の文化の中枢にどっしりと根を張らせる偉業を成し遂げていくのでした。

トップハットを斜めにかぶり、タバコを燻らす。

女性がメンズウェアを着ると、男性以上に素敵に着こなせる。

1940年のマレーネ・ディートリッヒ。

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サンローランのスモーキング革命

1966-67AWイヴ・サンローランの「スモーキング」。

イヴ・サンローラン自身に「スモーキング」のスタイリングをしてもらっているカトリーヌ・ドヌーブの写真。1966年9月28日。

1975年。パリのオブリオ通りで、ヘルムート・ニュートンによる、YSLスモーキング・ルックの撮影が行われた。モデルはビベケ・ヌドセン。フレンチ・ヴォーグ。©VOGUE

人が何かを愛するのは、そのなかに近づくことのできないものを求める場合だけだ。所有していないものしか人は愛さない。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて』~第五篇 囚われの女2

ローリング・ストーンズは、1966年にベトナム戦争反対の歌〝Paint It Black(黒く塗れ!)〟を発表しました。「赤なんていらない!色なんていらない!全てを黒く塗れ!」と歌いました。

この年、クリスチャン・ディオールのヘッド・デザイナー(1958~60)も勤めたことのあるイヴ・サンローランが、『モロッコ』のマレーネ・ディートリッヒに触発され「スモーキング」を発表しました。1965年にモンドリアン・ルックを発表し、絵画とファッションの融合を初めて実現していた彼にとって、この一年は、カトリーヌ・ドヌーブとの長い友情のはじまりの年でもありました。

そして、彼こそが黒を着た女性に、男性は決して適わないことを世界に向けて改めて表明したデザイナーだったのでした。だからこそ、相手の男性を輝かせてあげたい女性が決して選んではいけない色。それが黒。

「スモーキング」(これは黒だけが美しい)とは、男性の後ろと隣には立たないという女性の意志の表れでした。

自分が発表した作品の中からどれか一着だけ選べといわれたら、迷わずスモーキングを選ぶ。

イヴ・サンローラン 世界のスターデザイナー43/堀江瑠璃子著 2005年

1966年以降シーズン毎にイヴは、「スモーキング」のDNAを進化させたパンツスタイルを発表するようになります。そして、それは史上初めて既製服として、パンツスタイルの女性用スーツが販売された瞬間でした。

60年代に入り、女性は求めていました。男性のように〝戦える服〟を。そして、何よりも重要なことは、女性が着た方が、タキシードは遥かに美しいものになるという事実でした。男性の服装を女性が着たことに意味があるのではなく、男性の服装を女性が着た方が美しいことに意味がありました。

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流れ流れの渡り鳥アミー・ジョリーの登場

カロとヴェールのスタイルで登場するアミー・ジョリー

モロッコの波止場に現れるマレーネ・ディートリッヒが演じるアミー・ジョリーの姿からこの『異国の恋の物語』ははじまります。「越後獅子の唄」を口ずさんでいるようなとても悲しげな一人の女の姿。彼女はトランクひとつで酒場から酒場に流れてゆく渡り鳥なのです。

『男はつらいよ』で浅丘ルリ子が演じたとても素敵な女性リリー松岡様の原型とも言えるアミー・ジョリーは「私は誰の助けもいらないわ」と嘯いては、不器用に生きる女性なのです。

マレーネの表情が凛としていて、でありながらとても寂しげでとても美しいです。

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マレーネ・ディートリッヒの生涯最悪の日

ヴェールの奥にある物憂げな表情。

それはわたしの生涯の最悪の日だった。49回目にやっとうまくいったのだったと思う。48回目だったかもしれない。一日が終わった頃には、わたしは屈辱感と純然たる疲労とで体が震えていた。

マレーネ・ディートリッヒ

マレーナのアメリカ進出第一作目の映画『モロッコ』の撮影がハリウッドのパラマウントのスタジオで、1930年7月15日に始まりました。このモロッコの船着場で、トランクを落とし中身をぶちまけてしまうアミー・ジョリーの登場シーンが一番最初に撮影されたシーンでした。

スタンバーグ監督は、この時、マレーネのドイツ訛りの〝help〟の発音が完璧になるまで延々と繰り返させました。その執拗さに撮影終了後、化粧室に駆けて行きマレーネは号泣きし、「ドイツに帰国させてください」とスタンバーグに哀願したほどでした。

しかし、後年自伝において「今にしてようやく理解できるのだが、この最初の台詞と最初の場面が、マレーネ・ディートリッヒという新米ドイツ人女優の成功と、この映画の成功にとって、非常に重要だったのである」と記しています。

フォン・スタンバーグが指導してくれる前の私は、自分に期待されている課題の自覚もなく、始末に負えなかった。私は「取るに足らぬ人間」だった。創造者の神秘的な力が、その無なるものに生命を吹き込んだのである。彼の映画で私が演じた役に対して受けるどんな賞も、私に与えられるべきものではない。私は、無限の豊かさをもつ彼の着想と想像力のパレットに載っている、順応性ある素材以外の何ものでもなかった。

フォン・スタンバーグが私を使って撮った数々の映画がそれを語っている。その映画に優るものはかつてなく、これからもできないであろう。映画製作者たちは、永久にそれを模倣することしかできない。

ディートリッヒ自伝/マレーネ・ディートリッヒ著 1987年 [訳]石井栄子・伊藤容子・中島弘子

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アミー・ジョリーのファッション1

ヴェール・スタイル
  • カロとヴェール
  • ロングコート
  • ピンストライプのロングワンピース
  • ハイヒールパンプス

この作品から細眉はマレーネ・ディートリッヒを象徴するものになりました。

ピンストライプのワンピースだと分かるシーン。

ハイヒールがよく似合う美脚です。

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マレーネ自身が提案した、男装のアイデア。

後年撮影されたマレーネの男装写真。

黒と白の対比の素晴らしさがよく伝わるカラー化された写真。

マレーネ・ディートリッヒという女優は、ジョセフ・フォン・スタンバーグという偉大なる映画監督との共同作業により誕生した唯一無二の存在です。しかし、さらにもうひとり、大切な同志の名を忘れてはなりません。その人の名をトラヴィス・バントンと申します。

パラマウント社のチーフ衣装デザイナーだったトラヴィスは、クララ・ボウ、メアリー・ピックフォード、キャロル・ロンバード、メイ・ウェストといったハリウッドスターを女神の台座に座らせた功労者の一人であり、華麗なデザインよりも、都会的で洗練されたデザインを得意としました。そんなトラヴィスが、マレーネに会い、従来のハリウッドスターにはない知性と感性を感じたのでした。

マレーネは、少女時代にヴァイオリンのソリストを目指し、ゲーテを神のごとく崇め、リルケの詩を愛する女性でした。そんなマレーネから提案されたのが、女性が、男性の装いである黒のタキシードを着るというアイデアでした。実はマレーネは、ベルリンのパーティーで男性用のスーツとシルクハットを身に着けることを好んでいました。

それはマレーネが教養のある女性だったからこそ示すことが出来た、正装したときに感じさせる神聖さだったのかもしれません。だからこそ、男装=コスプレではなく、知性を露呈する女性の装いへと昇華し、定番化していったのでした。

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アミー・ジョリーのファッション2

タキシード
  • 黒のシルクハット。簡単に収納出来る伸縮自在のハットであり、それを斜めにかぶる。
  • 黒の燕尾服(テールコート)、広めのシルクのピークドラペル。胸ポケットに純白のポケットチーフ。ダブルの6ボタン、肩パッドにより作り上げられたワイドショルダーが、女性の華奢な肩にそっと差し伸べられた男性の手のように、男性的な魅力を兼ね備えさせる。そして、丈を短くし、ウエストに絞りを入れることにより、少年らしさと女性らしさを見事に同居させています。
  • 白いボウタイ
  • 白いベスト、ショールカラー、4つのボタンはマザーオブパール
  • 白いコットンのフォーマルシャツ、ウイングカラー、ビブフロント
  • ハイウエストのパンツのシルエットはゆったりしており、上半身のシャープなシルエットと見事に対比されています。ただし、生地の良さが、アングルにより、彼女のパンツを太くも細くも見せ、その中に秘められし美脚に対する妄想を否応なしに掻き立てます。
  • 黒のパテントレザーのオックスフォード

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ヴェスタ・ティリーから影響を受けたと、後にマレーネは告白しています。

このスタイルは、タカラジェンヌに大いなる影響を与えました。

公開当時のアメリカでは、女性のパンツルックは存在しませんでした。

トラヴィス・バントンのデザイン画。

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映画史上はじめて女性が女性にキスする瞬間。

劇場マネージャーとタキシードがほぼ同じもの。

タキシードを着てアミー・ジョリーが歌うシーン。〝Quand l’amour meurt(愛が終わる時)〟を口ずさみながら、楽屋で、男装していくマレーネの仕草がコケティッシュです。

実は劇場マネージャーとアミー・ジョリーのタキシードはほぼ同じものなのです(ラペルの幅などは違いますが、全体的に同じ)。女性と男性の間のアンバランスなバランス、これがアンドロギュヌスの美であり、1930年にして、すでに21世紀の美の萌芽が生み出されていました。

そこには少女が男装しているような雰囲気もあり、バックステージに引っ込むときに一礼する姿が、「あなたは本当に育ちのいい人なんですね」と感じさせるのでした。


そして、映画史上はじめて女性が女性にキスをするシーンが登場したのでした。この時、この女性から受け取った一輪の花を、ゲイリー・クーパーに向けて放り投げるのですが、この一連の所作が、今見てもとんでもなくダンディ(女性に対しては滅多に使うことはない褒め言葉)なのです。

作品データ

作品名:モロッコ Morocco (1930)
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
衣装:トラヴィス・バントン
出演者:マレーネ・ディートリッヒ/ゲイリー・クーパー