マレーネ・ディートリッヒ

マレーネ・ディートリッヒ1 『モロッコ』1(2ページ)

    作品名:モロッコ Morocco (1930)
    監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
    衣装:トラヴィス・バントン
    出演者:マレーネ・ディートリヒ / ゲイリー・クーパー




    「私が最も喜ばせたかった男性」

    21世紀に入りもてはやされているものは、果たして本当に私の心を打つものなのだろうか?そんなことをずいぶん昔から考えていました。テレビ、ゲーム、スマホがなかった時代の人々はもっと有意義に時を過ごしていたのではないだろうか?私は機械に囲まれ、今ではずいぶん機械に支配されているのではないだろうか?

    そんな時に、ふと考えるのは、マレーネ・ディートリッヒのこの言葉です。

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    しかし、彼のことを語るときどうして黙っていられようか。私にとって彼がどれほど重要であったか、そして、私の経験したことは、他の女優が、たとえどれほど立派な監督に指導されようと、誰一人経験できないものであったことを明らかにしようとする時、口をつぐむわけにはいかない。私たちが共に肩を並べて仕事に励んだあの日々を忘れることはできない。その間彼は、いらだちや疲れの片鱗さえ見せなかった。彼は自分を忘れ、自分の願いも要求も忘れ、常に私のためにそこにいたのだ。(中略)

    私は年齢を重ね、いろいろなことを学びました。あなたが考え、努力する時肩にかかる孤独の重圧、スタジオに対する責任、そして、何よりも私に対する責任、それらを推し量ることができるようになりました。私はただ泣くばかり、他にどうすることもできません。「遅過ぎる」とカラスが鳴きました、「もう遅過ぎる」と。ジョセフ・フォン・スタンバーグは比類なき天才でした。あの世代と映画の世界に、ただ一人しかいない天才でした。

    ディートリッヒ自伝/マレーネ・ディートリッヒ著 1987年 [訳]石井栄子・伊藤容子・中島弘子

    長い引用です。しかし、この引用から伝わる、一人の一流の女性が、一人の一流の男性に対して、ここまで熱い想いを持てることが、私の心を打ちます。マレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)という女優且つ偉大なる歌手を、ファッション媒体が取り上げるときに必ず出るキーワードが『100万ドルの美脚』です。

    しかし、このキーワードは、マレーネが、ファッション・アイコンとして、現在も世界中のファッション感度の高い女性の心を掴む本質を何一つ捉えていません。彼女の欧米における崇拝の意味は、自分の美脚に100万ドルの保険を賭け(事実ではないが)、永遠にハリウッドに君臨する女神としての格好良さではなく、「完璧とは程遠い女性が、完璧を演出したという奇跡のファンタジー」に対してなのです。マレーネ自身がよく理解していたように、決して絶世の美人とは言い難い自分自身がなぜここまでの輝きを手にすることが出来たのか?それは一人の男性の存在。ジョセフ・フォン・スタンバーグによってでした。

    なぜ私はマレーネを思い出したのでしょうか?彼女が生きたのは20世紀。一方、21世紀の現在。美しいという言葉は、嫌というほど氾濫していますが、ダイエット、整形、良いコスメを使ったから、良いブランドを身に着けてるから、生まれながらに美しいやら、何とも、神話性のない美のトピックばかりが氾濫しています。私達は、美に必要な神話性を失ったのではないでしょうか?美を演出するファッションは、もしかすると99%の嘘で作られており、しかし、この嘘は、神話性という言葉こそ相応しいのであり、この神話性こそが、ファッションを楽しむ最も重要な要素だったのではないか?機械の正確さよりも、神話の不正確さを愛したい。そう感じさせてくれるあなた。それが私の中のマレーネ・ディートリッヒなのです。



    ファッション・アイコンは創造されるもの

    Josef von Sternberg and Marlene Dietrich, Berlin, 1930.

    "『街の灯』撮影のセットでチャップリンと話すスタンバーグとデマレーネ・ディートリッヒ<br

    『街の灯』撮影のセットでチャップリンと話すスタンバーグとマレーネ・ディートリッヒ(彼女はチャップリンが好きではなかった)。手前には映画のヒロインのヴァージニア・チェリルがいる。1931年。

    1930年、前述のスタンバーグがドイツで撮影した『嘆きの天使』で、マレーネ・ディートリッヒはファム・ファタールな踊り子を演じました。「学問一筋に生きてきた中年男性を破滅へと導く、天使の顔をした悪魔(若さが導く無意識の悪性)」のイメージで、まさにグスタフ・クリムトの絵から抜け出してきたかのような存在感を示したマレーネが、ハリウッドに招かれ、出演したのが、『モロッコ』でした。

    ベルリンからニューヨークに豪華船で到着したマレーネは、当時すでに29歳で、既婚者であり、1児の母でした。その時の逸話がすでに素晴らしい神話性に満ち溢れています。迎えに来たパラマウント社の宣伝担当者は、彼女のベージュのスーツを見て一言、「もっと豪華な服装に着替えてからじゃないと船を降りてはだめだ!」と言い放ちました。そして、そのときにマレーネが着替えたのが上記の写真の黒のドレスとミンクのコートだったのです。このミンクのコートは、『嘆きの天使』のギャラで購入したものでした。そうこの時からマレーネの戦いは始まっていたのでした。そして、ファッションが映画の力を借り、神話性を作る時代の本格的な幕が上がったのです。

    それはわたしの生涯の最悪の日だった。49回目にやっとうまくいったのだったと思う。48回目だったかもしれない。一日が終わった頃には、わたしは屈辱感と純然たる疲労とで体が震えていた。

    マレーネ・ディートリッヒ

    アメリカ進出第一作目の映画『モロッコ』の撮影がハリウッドのパラマウントのスタジオで、1930年7月15日に始まりました。モロッコの船着場で、トランクを落とし中身をぶちまけてしまうマレーネ扮する流れ者の歌手アミー・ジョリーの登場シーンが最初に撮影されました。監督であるスタンバーグは、この時、マレーネのドイツ訛りの〝help〟の発音を、完璧に発音するまで延々と繰り返させました。その執拗さに撮影終了後、化粧室に駆けて行き号泣きしたマレーネでした。「ドイツに帰国させてください」とスタンバーグに哀願したのでした。しかし、後年自伝において「今にしてようやく理解できるのだが、この最初の台詞と最初の場面が、マレーネ・ディートリッヒという新米ドイツ人女優の成功と、この映画の成功にとって、非常に重要だったのである」と記しています。

    フォン・スタンバーグが指導してくれる前の私は、自分に期待されている課題の自覚もなく、始末に負えなかった。私は「取るに足らぬ人間」だった。創造者の神秘的な力が、その無なるものに生命を吹き込んだのである。彼の映画で私が演じた役に対して受けるどんな賞も、私に与えられるべきものではない。私は、無限の豊かさをもつ彼の着想と想像力のパレットに載っている、順応性ある素材以外の何ものでもなかった。

    フォン・スタンバーグが私を使って撮った数々の映画がそれを語っている。その映画に優るものはかつてなく、これからもできないであろう。映画製作者たちは、永久にそれを模倣することしかできない。

    ディートリッヒ自伝/マレーネ・ディートリッヒ著 1987年 [訳]石井栄子・伊藤容子・中島弘子

    〝マレーネ・ディートリッヒ〟とは、極めて謙虚に美を追求する彼女自身のストイックなスタイルと、ジョセフ・フォン・スタンバーグという、〝カメラのレオナルド・ダ・ヴィンチ〟と後に呼ばれることになる映像の魔術師によって生み出された奇跡なのです。1969年『地獄に堕ちた勇者ども』においてルキノ・ヴィスコンティの演出によりヘルムート・バーガーが、マレーネが『嘆きの天使』で演じたローラ・ローラの女装をし、~ 若い男に用はない 欲しいのは本当の男 ~♪と歌いました。その姿に、マレーネは、「スタンバーグが私を生み出した奇跡を、ほかに見たのは、この時だけだった」と絶賛しました。マレーネは、男性が自分の女装をした姿に対してジェンダーを超越した何かを感じ取れる人なのでした。

    わたしは心のなかの感情を引き出すことにかけて、ジョー(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)はわたし以上に能力があるわ。わたしを演技の苦手な人間いしたのはママなのよ。「感情を隠しなさい・・・感情をむき出しにしないで・・・それはお行儀の悪いことよ・・・」いつもその調子だったから。ジョーはわたしにどうしろと指図し、わたしはその通りにします。わたしは彼の部下の一兵卒で、彼は指揮官。わたしの一挙手一投足にいたるまで指示するの。「顔を左に向ける。今度は右。ゆっくりと・・・」・・・彼は言葉というよりもイメージを用いる詩人だわ。そして鉛筆の代わりにライトとカメラを使うわけ。

    わたしは全面的に彼によって作り出された作品みたいなものよ。彼は陰影を与えることでわたしの頬をくぼませ、わたしの目を大きくするの。わたしはスクリーンに写った自分の顔にすっかり魅せられてしまうものだから。毎日ラッシュを見るたびに、彼の創造物である自分がどんな風にみえるか、それを知るのが楽しみなの。

    マレーネ・ディートリッヒ

    21世紀に入り、どうしてファッション・アイコンと呼べる人が少なくなったのでしょうか?それは、素材の問題ではなく、神話性の欠落の一点に尽きるのではないでしょうか?「コマーシャルに出るとイメージが崩れる」というマレーネの持論を持ち出すまでもなく、消費者に媚びる女優・モデルの姿や、自画撮り自慢するプロ意識を履き違えた芸能人達から神話性が生み出されることは決してない。



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