シャネル
Chanel シャネルの香りには、二人の女性像が投影されている。ひとりはガブリエル・シャネル。そして、もうひとりはマリリン・モンロー。20世紀を代表する女性の憧れの存在であり、21世紀に至っては、女神の如く奉られているこの二人の存在が、フレグランスという分野におけるシャネルの存在を『シャネル帝国』たらしめている。
1921年にエルネスト・ボーによって生み出された「N°5」からはじまり、1954年から1978年にかけて二代目専属調香師アンリ・ロベールが、「N°19」「クリスタル」といった名香を創造したが、1960年代に入りシャネル帝国は衰退期に突入する。
そして、この男が現れた。1978年から2015年まで三代目専属調香師に君臨したジャック・ポルジュにより、『シャネル帝国の逆襲』がはじまるのです。そして、2015年に、ジャックの息子であるオリヴィエ・ポルジュが四代目専属調香師を継承し、今に至る。
代表作
N°5(1921)
N°19 (1970)
クリスタル (1974)
ココ (1984)
エゴイスト (1990)
アリュール (1996)
ココ マドモアゼル (2001)
ブルー ドゥ シャネル (2010)
チャンス オー タンドゥル(2010)
ガーデニア (2016)
ガブリエル(2017)
パリ ヴェニス (2018)
人気シリーズ
アリュール シリーズの全て
ココ & ココ マドモアゼル シリーズの全て
チャンス シリーズの全て
N°5(No.5)シリーズの全て
N°19(No.19)シリーズの全て
ブルー ドゥ シャネル シリーズの全て
レ ゾー ドゥ シャネルの全て
歴代調香師
エルネスト・ボー シャネル初代調香師、N°5を作った男
アンリ・ロベール シャネル二代目調香師、N°19を作った男
ジャック・ポルジュ シャネル帝国を創った男
オリヴィエ・ポルジュ シャネルの4代目専属調香師
マリリン・モンローが愛した香水

1955年に撮影されたマリリン・モンローとN°5。

ガブリエル・シャネル ©CHANEL
シャネルは花の香りを望みませんでした。彼女はもっと抽象的な・・・女性の香りを望んだのです。だから私は29年間シャネルで花の香りを作ることはありませんでした。そして、その反動が、今ディオールで働くようになってから私の中で出ています。
フランソワ・ドゥマシー(29年間ジャック・ポルジュの補佐として働き、2006年ディオールの専属調香師に就任)
シャネルの香りは、フローラルではなく、女性の香りです。そしてその女性という言葉の中には、二人の女性像が投影されています。ひとりはガブリエル・ココ・シャネル。そして、もうひとりはマリリン・モンロー。
20世紀を代表する女性の憧れの存在であり、21世紀に至っては、女神の如く奉られているこの二人の存在が、フレグランスという分野におけるシャネルの存在を『シャネル帝国』たらしめているのです。
そんな『シャネル帝国』を代表する香りが「N°5」です。
この香水が、神の水になった瞬間。それは1952年の『ライフ』誌(8月7日号)のためのインタビューに答えたマリリン・モンローの一言でした。
私がベッドで身にまとうのはシャネルN°5を数滴だけよ・・・
マリリン・モンローが、このコメントを残したのでしたのは、モンローウォークを披露する事になる『ナイアガラ』撮影中のことでした。さらに3年後の1955年3月24日、ニューヨークのアンバサダーホテルにて、N°5を持ちポーズをつけるマリリンの写真が撮影されることになりました。
こうして、シャネルは、1950年代にゲランという香水の殿堂をあっさりと抜き去り、世界一有名な香水ブランドの王座に駆け上ったのでした。


1953年に撮影されたマリリン・モンローのベッド・ルームに偶然存在するN°5。世界中のあらゆる美女がN°5と共に撮影しようとも、このマリリン・モンローに敵うわけがないと思わせるところに、彼女のすごさがあるのです。
シャネルの初代調香師エルネスト・ボー

©CHANEL
シャネルの香水の歴史は、ガブリエル・ココ・シャネルが10つのサンプルの中から5番目のサンプルを選び出した1920年からはじまります。
そして、1921年にそのサンプルにN°5の名がつけられ発売されました。この香りを創造した調香師エルネスト・ボーは、シャネルの初代調香師として1953年まで就任することになりました。

エルネスト・ボー(1881-1961)
その間、1922年にN°22をはじめとする7つの香りが発売され、1925年にガーデニア、1929年にボワ デ ジルなど数種類の香りが発売されました。最終的に、1946年に第二次世界大戦を祝福するN°46が発売されるまで28の香りが調香され、発売されました。
その後、1954年から1978年にかけて二代目専属調香師としてアンリ・ロベールが、N°19、クリスタルといった名香を創造するのですが、1960年代に入りシャネル帝国に衰退の兆しが見え始めました。
シャネル帝国を創ったポルジュ王朝

別名「シャネル帝国を創った男」。更なる別名「太陽を盗んだ男」。1981年4月 ©CHANEL
シャネル帝国復興の将の名を、アラン・ヴェルタイマー(パルファン・シャネル社を創業したピエールの孫息子)と申します。1974年にアランは、シャネルの全ての部門の最高責任者に就任しました。そしてアメリカ国内でN°5を販売する店数を劇的に減らし、ドラッグストアから商品を引き下げ、ブランディングの強化を図りました。
1978年に、パルファム&コスメ部門のマーケティング・ディレクターにジーン・ジンマーマンを抜擢したことにより帝国の復興のスピードはマックスまで加速してゆきました。彼女はジャック・ポルジュの才能を見抜き、三代目調香師に抜擢しました(その後、ジャックの右腕の役割を果たすようになったのが、フランソワ・ドゥマシーでした)。
彼女とジャック、そして、1986年にシャネルの社長兼COOに就任したアリー・コペルマンにより、シャネル帝国は見事に復興を果たしたのでした。
1978年から2015年にかけて数え切れないほどの名香を生み出すことになるジャック・ポルジュは、アート・ディレクターのジャック・エリュ、更には、ジャン=ポール・ グードという映像の魔術師と共に『シャネル香水の三本の矢=三羅将』として、1980年代後半から21世紀前半にかけての『シャネル帝国の逆襲』を始動したのでした。
20代から30代の客層を「ココ マドモアゼル」(2001~)「チャンス」(2003~)で獲得しながらも、2007年には「レ ゼクスクルジフ ドゥ シャネル」という長年ファッションも含めシャネルを愛用してきた客層も満足させるエクスクルーシブ・ラインを作りました。
2005年よりシャネルの調香師および研究開発ディレクターとして、セルジュ・ルタンスの影の男クリストファー・シェルドレイクを招聘し、ポルジュ王朝として安定を築いたシャネルは、2015年2月に、ジャック・ポルジュの息子であるオリヴィエ・ポルジュを四代目専属調香師として継承させ、帝国をさらに盤石なものにしてゆきました。
