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ジャン=ポール・ゴルチエ

【ジャン=ポール ゴルチエ】ル マル(フランシス・クルジャン)

ジャン=ポール・ゴルチエ
©JeanPaul Gaultier
この記事は約12分で読めます。

ル マル

原名:Le Male
種類:オード・トワレ
ブランド:ジャン=ポール・ゴルチエ
調香師:フランシス・クルジャン
発表年:1995年
対象性別:男性
価格:75ml/7,000円、125ml/9,500円

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マドンナ旋風とジャン=ポール・ゴルチエ

ジャン=ポール・ゴルチエとマドンナ



1986年11月にマドンナの「オープン・ユア・ハート」のミュージック・ビデオが全世界で放映されました。そして、そのあまりにもエロティックかつハイセンスなファッションとダンスの振り付けは話題を呼び、世界中で大ヒット(全米1位、全英4位)しました。

この時のコスチューム・デザインを担当していたファッション・デザイナーの名をジャン=ポール・ゴルチエ(1952-)と申します。この瞬間、伝説のボディスーツ・スタイルが誕生したのでした。それは、1984年からコルセットをファッションのデザインの中に取り入れていたゴルチエに注目していたマドンナによる大抜擢だったのでした。

そして、マドンナは1990年の「ブロンド・アンビション・ツアー」の衣装を全てゴルチエに任せることにしました。こうして誕生したのが、ファッション界において、賛否両論を生んだコーンブラコルセットをミックスしたステージ衣装でした。

それは、女性の肉体を締め付ける拷問のようなコルセットのイメージを、アマゾネスの鎧へと変えた瞬間でした。さらにブラジャーに、乳房を保護する役割ではなく、円錐形の独特なシルエットで女性の美しさを研ぎ澄ます役割を与えたのでした。

マドンナはこのツアーにより、神と同じくらい有名な存在になりました。そして、彼女は、1990年にファッション・シーンの寵児となったのでした。この時から、ミュージシャンとファッション・デザイナーの本格的なコラボレーションははじまったのでした。

一方で、ファッション・ウィークのスタイルも、マドンナの登場に刺激を受け、次の段階に進んでゆきました。かくして、彼女はポップスター達が、ファッション・アイコンになる流れも作り出したのでした。

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ゴルチエのファースト・フレグランスの誕生

1993年 ©JeanPaul Gaultier

1997年 ©JeanPaul Gaultier

そんなマドンナ旋風と共に浮上する形で一躍ファッション・シーンの寵児(ファッション界のアンファン・テリブル)となったジャン=ポール・ゴルチエが、1993年にはじめて生み出した香りは、当初「ジャン=ポール・ゴルチエ」の名でオード・パルファムとして発売されました(最初はトルソーボトルに金属のコルセットが付いていた)。

シャンタル・ルース様

ゴルチエのファッションを世に広めた女性がマドンナであるなら、ゴルチエの香水におけるその役割を果たした人が、シャンタル・ルースでした。彼女は、1987年に資生堂の社長に就任した福原義春(1931-)が、香水作りの本場であるフランスに自立した存在として1990年10月にボーテ・プレステージ・インターナショナル社( BPI )を設立した時に、この新会社を任されました。

元々フライト・アテンダントだったシャンタルは、イヴ・サンローランで「オピウム」(1977)「クーロス」(1981)「パリ」(1983)を成功に導き、BPIの最初の仕事で「ロー ドゥ イッセイ」を生み出し、ジャック・キャヴァリエという類まれなる才能を見つけ出しました。

そんな彼女が、BPIの第二弾のビッグ・プロジェクトとして始動させたのが、資生堂がフレグランスのライセンスを獲得したゴルチエの最初の香水の創造でした(2016年にプーチにライセンスを売却した)。そして、ここで再びキャヴァリエに調香を依頼したのでした。

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「ル マル」とは〝悪の華を咲かせる男〟の香り

ジャン=ポール・ゴルチエ1984年メンズ春夏コレクション © Patrice Stable/Jean Paul Gaultier

2000年 ©JeanPaul Gaultier

バニラ・ベースの香りを作るのはとても簡単です。それほど技術的である必要はありません。一方、フローラル・ベースの香りを作るのはとても複雑です。バニラとは、バギーセーター(だぶだぶのセーター)のようなものです。見せたくない香りの一面をバニラで覆い隠すことが簡単に出来るのです。もし、このフレグランスがフローラル・ベースだったならば、私はうまく作る自信はありませんでした。

フランシス・クルジャン

このフレグランスが「クラシック」の名に改められたのは、1995年のことでした。この年ブランド初のメンズ・フレグラン「ル マル」の誕生に合わせてのことでした。

「ル マル」の香りのイメージは、1983年にゴルチエの最初のメンズ・コレクション=「ボーイトイ」コレクションが開催された時に発表されたマリニエールでした。そしてその名は、ボードレールの『悪の華=レ・フルール・デュ・マル』にちなんで名づけられました(mal=悪とmale=男をかけている)。

シャンタル・ルースの凄いところ、それは彼女は「ル マル」においてフランシス・クルジャンを発掘した事でした。彼女こそ、現在のルイ・ヴィトンディオールの専属調香師を発掘し、育て上げた人なのです。

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24歳のクルジャンの挑戦。

1997年 ©JeanPaul Gaultier

若き日のフランシス・クルジャン。

フランシス・クルジャン ©JeanPaul Gaultier

1994年の時点で、私にはまだ調香師としての地位がありませんでした。しかし、なんとかシャンタル・ルースに会い、彼女は私に学生のトレーニングの一貫としてこのプロジェクトに取り組ませてくれました。私の前には世界中の一流の調香師がいました。とても象徴的なブランドなので、誰もが売り込みたがりました。私はチャンスを与えられたので売り込みました。そして、選ばれたのです。ただそれだけです。

フランシス・クルジャン

正確には、シャンタルが、当時24歳のフランシス・クルジャンだけにこの香りの調香を依頼した訳ではありませんでした。シュップ・ドゥ・リュクスの卒業式の日1994年7月20日に卒業論文の指導教官であった調香師のジャック・キャヴァリエが、審査委員のシャンタル・ルースにクルジャンを紹介し、進路や希望について尋ねました。彼はクエストに参加したばかりでした。

シャンタルは、この青年の〝アンファン・テリブル〟な魅力に惹きつけられ、一週間後、彼女のオフィスに来るように指示しました。「太陽の香りや日焼けした肌の香りは?」と彼に質問した後、すでに有名な何人かの調香師と競い合う形で、無名で実績のないクルジャンの参加が認められたのでした。

クルジャンがシャンタルから手渡された緑色のポーチの中には、数ページの指示書が入っていました。それはゴルチエの世界と幼少期の嗅覚的な記憶についての紹介でした。何よりも見出しに「≠ファッション香水」とあったことが、クルジャンに、ゴルチエの中の理髪店の記憶を香りに結び付けていこうという決断へと導いていったのでした。

最終的に、クルジャンが愛用していたゲランの「アビルージュ」やキャロンの「プール アン オム」からも強いインスピレーションを得て、3つの試作品をシャンタルに提案しました。そして9月に、ジャン=ポール・ゴルチエが、クルジャンが「ニュービート」と呼んでいるものを選びました。

1995年1月、いくつかの調整を経て、最終的な仕上げを加えました。かくして彼の作品がゴルチエの最初のメンズ・フレグランスとして生を受けたのでした。

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発売と同時に、欧米の男たちを虜にした『アンファン・フゼア』

2007年。撮影:ジャン・バプティスト・ モンディーノ。©JeanPaul Gaultier

2009年。撮影:ジャン・バプティスト・ モンディーノ。©JeanPaul Gaultier

調香当時、ジャン=ポール・ゴルチエは私が特に好きなデザイナーではありませんでした。ある意味、私はとても保守的な世界の出身です。私にとってはディオールとイヴ・サンローランがすべてでした。

逆に当時の私は、ゴルチエがどれほど重要な存在になるかさえ知りませんでした。それはそれでよかったのです。だからこそ私はパニックに陥りませんでした。それは私にとって自分自身を証明する機会でした。

フランシス・クルジャン

彼はこの作品を作るためにジャン=ポール・ゴルチエと会う機会はありませんでした。そして、当時、クルジャンの率直な感想として、ゴルチエは大して重要なファッション・デザイナーになるとも考えていなかったのでした。

ゴルチエが子供の頃に通ってた1950年代のパリの床屋のイメージからインスパイアされた香りは、当時のメンズ・フレグランスの概念を覆したスイートな香りで、クルジャン自身が後に回想しているように、「成功するとは考えられなかった」香りです。

2003年にヨーロッパにおいて男性用香水の売上No.1となったこの香りは、「男のきれいな汗」をイメージして調香しました。

世紀末から新世紀にかけて、この香りは欧米のクラブ、ジム、学生寮、飛行機、スーパーマーケット、リゾートホテルといったあらゆる所でムンムン香るメンズ・フレグランスの筆頭となりました。2008年にパコ・ラバンヌの「ワン ミリオン」が登場するまで、「ル マル」は、キング・オブ・キングスでした。

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あらゆるメンズフレグランスの魅力を兼ね備えた〝男の魅力の核弾頭〟

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2014年 ©JeanPaul Gaultier

2014年 ©JeanPaul Gaultier

2016年 ©JeanPaul Gaultier

この香りのアイデアは非常に簡単でした。ムスク、きれいな汗、男性の肌に食い込みたいほどの官能性というアイデアでした。汚いものではなく、非常に明るく、少しレトロなものでした。

特に、50 年代の男性用理髪店をベースにしています。だからラベンダーの香りでいっぱいなのです。とてもハンサムな男性が自分の身だしなみを整えている様子を思い起こさせます。ちょっとプレッピーですが、50年代や60年代風です。

フランシス・クルジャン

太陽の輝きを一身に集めているように、華やかに煌めくベルガモットに導かれ、爽快なミントとアルテミシア、それらを柔らかく抱擁していくラベンダーにより、昔ながらの懐かしい床屋(タルカムパウダー、ポマード、アフターシェーブの香りを思い起こさせる)と、果てしなく青い海を眺める船乗りたちのような自由さを感じさせるオープニングから「ル マル」はじまります。

すぐに、閃光のように逞しく輝くカルダモンと共に、クミン、シナモン、キャラウェイといったスパイスが晴れやかなオレンジブロッサムと溶け合い、花の甘さと粉っぽいスパイシーさのコントラストで、威風堂々とした男性の爽やかな横顔を映し出してゆくのです。

やがて、バニラとトンカビーンが満ち広がり、男の渋み(苦みと辛みが合わさったような)に見事に調和する甘さが広がってゆくのです。サンダルウッドとシダーウッドが織り成す、木の持つゆるぎない存在感が、この〝甘い笑顔〟に、強さと優しさ、逞しさと美しさがバランスを保っていくように、男性としての大きな包容力を与えていくようです。

一言で「ル マル」を表現させて頂くと〝男の魅力の核弾頭〟です。

それはラベンダーとオレンジ・ブロッサムを中心にしたフゼアをバニラ、シナモン、トンカビーンで甘くしたパウダリーな香りであり、あらゆるメンズ・フレグランスの魅力(石鹸ぽさ、甘さ、スパイシーさ)をすべて兼ね備えた、まるで均整の取れたナイスボディを持つ美男子のようです。だからこそ派手なファッションや露出をこの美男子はする必要がない。強力な吸引力を持つ存在なので、少しだけで最高の香りなのです。

ジャン=バティスト・モンディーノによるホモセクシャルな広告キャンペーンと共に、クルジャンは、セーラー服を着たムチムチの男性のトルソーをイメージしたボトルデザインにびっくりさせられ、これは絶対にうまくいかないと感じたのでした。

当初この香水は、「ジャン・ポールⅡ」の名で販売される可能性もありました。もしこの名で発売されていたら、ヨハネ・パウロ2世の意味となるので、大いに物議を醸したことでしょう。

タニア・サンチェスは『世界香水ガイド』で、「ル マル」を「パウダリーなラベンダー」と呼び、「石鹸っぽい軽めのラベンダーは、ぼんやりとしたパウダー様シュガーの甘さと清潔さが感じられる。当たり障りのない平凡な香り。砂糖で甘くしたセレッシャル・シーズニング社のハーブティーを愛飲しているという殿方向き。ルカ・トゥリン曰く、懐かしい理髪店を彷彿とさせる強いムスク調の香り。」と3つ星(5段階評価)の評価をつけています。

「ル マール」の後、期待が大きすぎて他の香水を作るのが怖くなりました。香水業界ではどうすればうまくいくのかを説明することはできませんが、なぜうまくいかないのかはいつでも説明できます。

「ル マール」の成功はタイミングがすべてだったと思います。適切な香水、適切な箱、適切な名前、適切なデザイナー。20年前や20年後だったら、おそらくうまくいかなかったでしょう。

フランシス・クルジャン

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香水データ

香水名:ル マル
原名:Le Male
種類:オード・トワレ
ブランド:ジャン=ポール・ゴルチエ
調香師:フランシス・クルジャン
発表年:1995年
対象性別:男性
価格:75ml/7,000円、125ml/9,500円


トップノート:ベルガモット、カルダモン、ラベンダー、オレンジブロッサム、ミント、アルテミシア
ミドルノート:シナモン、ネロリ、キャラウェイ、クミン
ラストノート:ムスク、アンバー、バニラ、トンカビーン、サンダルウッド、シダーウッド