リトルブラックドレスの歴史
まだ黒いドレスを着ていると喪服というイメージが強い1926年の話です。当時パリモード界において最も人気のあったファッション・デザイナーのポール・ポワレが、リトルブラックドレスを着たココ・シャネルに皮肉を込めて「そんな黒い服を着て、誰の喪に服しているのですか、マダム?」と尋ねました。
するとシャネルはこう答えたのでした。「あなたの喪に服してるのよ、ムッシュ」と。
ユベール・ド・ジバンシィは、ファッション・デザイナーとしてリトルブラックドレスを愛していました。そのため、1950年代のオードリーの衣装にもたくさん登場していました。
元々1926年にココ・シャネルが、43歳の時デザインした斬新なブラックドレスを『ヴォーグ』誌が掲載し、革命的な「シャネル・フォード」と記したことが事の始まりでした。
このドレスには2つの革命的な要素がありました。1つは、喪服の色でしかなかった黒をモードな色にしたこと。そして、もう1つは誰にでも着られるシンプルなデザインにしたことでした。
『ELLE』誌の記者ピエール・ギャランは「この一着だけでシャネルの名は不滅のものとなった」と当時言及しました。1926年以降、リトルブラックドレスは、多くのコピーを生むことになり、ファッションの大衆化を担うことになりました。そして、この時から、パリの社交界において、黒は一躍モードカラーとなったのでした。
やがて、第二次世界大戦を経て、1940年代の終わり、ヨーロッパ中がカラフルなカラーと花柄に溢れた時、そんなカラフルなカラーコードに疲れた人々の心を掴むように、クリスチャン・ディオールがリトルブラックドレスを復活させました。ディオールのLBDは、ハリウッドのフィルムノワールにおけるファムファタールのイメージを作り上げるインスパイアの源になったのでした。
そして、『ティファニーで朝食を』の中でオードリーが着たジバンシィのリトルブラックドレスにより、世界中のあらゆる女性が、再びリトルブラックドレスに憧れを抱くようになったのでした。

リトルブラックドレスを60年代モードの象徴にした写真。
黒は全てに勝る色です。

リトルブラックドレスが持つエレガンスと魔性の魅力。

休憩中にLBDを着て、こんな遊びをするオードリー。おちゃめです!
この映画では、何をおいてもオードリー・ヘプバーンという類いまれな女優が活きている。彼女は驚いた小鹿のようなふだんの外見とは裏腹に、本作では奇矯で、コミカルな味をうまく出した。それは、ホリー・ゴライトリーに扮するオードリー・ヘプバーンを初めて見る観客のみならず、〔彼女が演じた〕道徳観を持ち合わせていない、いたずらっぽい妖精を創造したトルーマン・カポーティ氏をも魅了するだろう。
ニューヨーク・タイムズ
「シンプル」と「貧しさ」を取り違えることほど馬鹿なことはない。上質の布地で仕立てられ贅沢な裏地をつけた服が貧しいはずがない。
リトルブラックドレスを「貧乏スタイル」と表現した人々に対するココ・シャネルの反論の言葉。
ホリー・ゴライトリーのファッション3
リトルブラックドレスPART2
- デザイナー:ユベール・ド・ジバンシィ
- シルクのリトルブラックドレス=クロックドレス。スクープネックでノースリーブ。すそは大胆に切り替えられ、黒い縫い糸がフリンジのようにヘムに波打つ。ウエストにリボン。黒のシルクタフタの裏地。ジバンシィ60/61AW
- ダークネイビーのシルクの広い縁のカプリーヌ帽(ステートメントハット)。そこにベージュのシフォンスカーフ。ジバンシィ60/61AW
- オリバー・ゴールドスミスのサングラス「マンハッタン」(1960年)
- 黒のアリゲーターキトゥンヒール。ロジェ・ヴィヴィエ59/60AW
- 黒のヴェルベットのハンドバッグ。ジバンシィ60秋
- ロンググローブ
- 大きめのイヤリング。しかし、ネックレスはなし
サングラスが度入りであることは明らかだった。というのはサングラスをかけていない彼女の目は、宝石鑑定士みたいにぎゅっとすぼめた目で、探るようにこっちを見ていたからだ。
『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ 1958年(村上春樹訳)

オードリー愛用のサングラスは、オリバー・ゴールドスミス。

そして、有名なこの仕草。サングラスをずらす仕草が流行した瞬間。

パンプスはロジェ・ヴィヴィエです。

相手役のジョージ・ペパードのアイビールックも清潔感に溢れていて良いです。

実はハイヒールよりもローヒールの方がスタイルが良く見えるのです。

イーディス・ヘッドのデザイン画
郵便ポストの中に香水を常備するホリー

郵便ポストの中に香水と口紅が常備されています。

ボトルの雰囲気が最もよく分かるスクリーンショット。
なんとホリーの郵便ポストの中には、鏡と香水と口紅が入っています。香水はジャン・パトゥの「Makila」だと言われています(ただし、撮影は1960年10月から12月にかけて行われているので、1961年に発売されたこのオードトワレが、本当に使用されたかどうか疑問の余地があります)。口紅はレブロンです。
ちなみに原作の中で、ホリーは色々な香水を愛用していることが分かるのですが、実際に香水名が出てくるのは、警察に逮捕され、入院中のホリーが身にまとう「4711 オーデコロン」だけです。
大胆なホリーのヘアスタイル

オードリーのヘアカラーチェック・フォト。
オードリーのもっともすばらしい点は、ゴージャスだとかシックだということではない。彼女にはなんの見せかけもないことだ。
ジョン・ローリング(ティファニーのデザイン・ディレクター。1979年にあのパロマ・ピカソをデザイナーとして招いた人)
ヘアスタイリストのニール・マンレイ(1894-1976)は、オードリー・ヘプバーンのブラウンの髪に筋状にブロンドのハイライトをブリーチしました。そして、彼女の髪型をめまぐるしく変えてゆきます。
夜会巻きスタイル、少女のような両サイドの二つ結び(この素朴な髪型は田舎のルラメーを思い起こさせる)、あるいは一部をまとめ、残りの髪を肩まで垂らしたスタイル。
ホリー・ゴライトリーのヘアスタイルは原作に忠実です。オードリー自身もこの髪の雰囲気が気に入り、撮影後もキープしました。ウォーリー・ウェストモアのメイクは、50年代のこってりと口紅をぬった唇よりも、大胆にアイラインで囲んだ目を強調しています。ヘアに合わせて眉毛も薄めであり、まっすぐな眉も新鮮でした。
男の子のような髪には様々な色が混じり合っていた。黄褐色の筋があり、白子のようなブロンドと黄色の混じった房があり、それらが廊下の明かりを受けて光っていた。
いろんな色合いの入り混じった髪は自分で染めているらしいことを発見した。
『ティファニーで朝食を』トルーマン・カポーティ 1958年(村上春樹訳)
ホリー・ゴライトリーのファッション4
バスローブ
- デザイナー:イーディス・ヘッド
- テリークロスのバスローブ。ひざ丈。 ドローストリングフード。右下のポケットが大きめ

ドローストリング フード付きのありそうでなかなかないバスローブ。

原作では「灰色のフランネルのバスローブ」

バスローブをトレンチコートのように着こなすオードリー。

『噂の二人』撮影時に、オードリーのヨークシャテリアの愛犬フェイマスが車に轢かれ死んでしまい、夫のメル・ファーラーによりアッサムが贈られました。
三宅一生に影響を与えたトーガスタイル

トーガパーティーです。

ブレイク・エドワード監督は、パーティーシーンの撮影が大好きな人です(6日かけて撮影されました)。

もはや布切れ一枚だけでもモードに着こなせるオードリー。

このシガレットホルダーの長さ!

女性の足首に時計がついているシュールなシーン。
カクテルパーティーのオードリーのファッションについて映画の中では一切説明されていないのですが、公開前にカットされたシーンがその理由を教えてくれます。それは入浴中に皆が来客したためでした。
この一枚の布切れ(恐らくバスタオルかシーツ)が生み出すモード感に対して、当時、まだ多摩美術大学だった三宅一生(1938-2022)に与えた影響は、破壊的だったはずです。
作品データ
作品名:ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany’s(1961)
監督:ブレイク・エドワーズ
衣装:ユベール・ド・ジバンシィ/イーディス・ヘッド/ポーリーン・トリジェール
出演者:オードリー・ヘプバーン/ジョージ・ペパード/パトリシア・ニール/ミッキー・ルーニー/マーティン・バルサム