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1951年の映画

原節子

【麦秋】1950年代の美しい日本人の教科書

小津安二郎(1903-1963)は一年かけて『麦秋』の脚本を盟友・野田高梧と練り上げ、『晩春』(1949)で初タッグを組んだ原節子(1920-2015)が主役を演じることを絶対条件に、1951年6月から9月にかけて撮影は行われました。
原節子

『麦秋』Vol.4|小津安二郎に魅了されたフランソワ・トリュフォー

小津安二郎監督の作品は、極めて細かい部分まで、監督の要求する動きが、俳優に求められます。アヤと紀子が紅茶を飲むシーンは、25回以上のリテイクが重ねられたと言われています。二人がカップを上げるときの調和、バランス、ひじの上がり方。小津監督の映画は全てにおいてリズムなのです。日本のリズムです。
原節子

『麦秋』Vol.3|イングリッド・バーグマンに憧れた原節子

宝塚歌劇団のスーパースターだった淡島千景様が1950年に退団し、「てんやわんや」で映画デビューし、さっそく第1回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞しました。その翌年に出演したこの作品では、原節子様と同じくらいに魅力的な存在感を示していました。
原節子

『麦秋』Vol.2|原節子と淡島千景と三宅邦子

全てを見せずに余白を残す。余白の美学を知るファッションが、これからは求められます。それは、テクノロジーの恩恵にあずかりながら、テクノロジーに支配されない生き方と共通します。美しい女性には余白があります。そして、美しい女性は、アナログなのです。
原節子

『麦秋』Vol.1|16才の原節子様の、1937年の世界一周の旅

1949年に『晩春』で小津安二郎監督の作品にはじめて出演した原節子様が、以後出演する2作品『麦秋』と『東京物語』の役名が紀子であることから紀子三部作と呼ばれています。とても興味深いのは、『晩春』と『麦秋』の間に、黒澤明監督作品で、三船敏郎との初共演となる、ドストエフスキーの小説を原作とした『白痴』(1951)に出演したことでした。
オードリー・ヘプバーン

【モンテカルロへ行こう】無名時代のオードリー・ヘプバーン

パリの楽団が、モンテカルロへ演奏旅行する道中で、赤ちゃんを巻き込んで繰り広げられる他愛のないラブ・コメディの中で、僅か10分間登場するアメリカのスター女優メリッサ・ファレルを演じるのが、無名時代のオードリー・ヘプバーンです。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.3|オードリー・ヘプバーンのリゾート・ルック

7番目にクレジットされている約10分程度の脇役としてオードリー・ヘプバーンは出演しているのですが、『ローマの休日』の一年前のオードリーの原石の姿が見れる貴重な作品です。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとクリスチャン・ディオール

オードリーをはじめ出演者は、コート・ダジュールのオテル・デュ・キャップに滞在していたのですが、撮影自体は、モンテカルロのオテル・ド・パリで行われていました。そして、そこでオードリー・ヘプバーン(1929-1993)の人生を一変させる出会いがありました。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.1|『ローマの休日』前夜のオードリー・ヘプバーン

『ローマの休日』の1年前。1951年5月21日から10月3日にかけて撮影されたのが『モンテカルロへ行こう』でした。フランスの人気ジャズバンドのリーダーであるレイ・ヴァンチュラがプロデューサーと出演を兼ねる本作に、オードリーが出演することを決めたのは3つの理由からでした。
マーロン・ブランド

【欲望という名の電車】マーロン・ブランドとヴィヴィアン・リー

この作品で誕生したスーパースターの名をマーロン・ブランドと申します。この作品の中でのブランドのTシャツの着こなし(=「Tシャツ革命」)が現在に至るまでのメンズ・ファッションの教科書となりました。
ヴィヴィアン・リー

『欲望という名の電車』Vol.7|ヴィヴィアン・リーとジョン・ガリアーノ

1996年から2011年にかけてクリスチャン・ディオールのクリエイティブ・ディレクターだったジョン・ガリアーノは、2014年以降、マルタン・マルジェラのクリエイティブ・ディレクターを務めているのですが、彼は、偉大になる過程の2回のコレクションで「ブランチ・デュボア」を主題にしているほどです。
ヴィヴィアン・リー

『欲望という名の電車』Vol.6|ヴィヴィアン・リーとジャン・パトゥのジョイ

ローレンス・オリヴィエと交際するようになったヴィヴィアンが、オリヴィエから贈られた最初のプレゼントが、ジャンパトゥの「ジョイ」でした。以後、オリヴィエと離婚しても、彼女はこの香りを愛し続けたのでした。
ヴィヴィアン・リー

『欲望という名の電車』Vol.5|ヴィヴィアン・リーと『巨象の道』

実はエリア・カザンこそが、ヴィヴィアン・リーにとっての〝「欲望」という名の電車に乗って、「墓場」という電車に乗り換えて、六つ目の角で降りるように言われたのだけれど・・・「極楽」というところで〟のセリフそのものの「欲望という名の電車」だったのです。
ヴィヴィアン・リー

『欲望という名の電車』Vol.4|ヴィヴィアン・リーとジェシカ・タンディ

21世紀の現在において、1951年に映画化された『欲望という名の電車』は、Tシャツを着たマーロン・ブランドの姿と共に記憶される作品になっているのですが、それだけではこの作品がファッションシーンに与えた影響を捉えきれているとは言えません。
マーロン・ブランド

『欲望という名の電車』Vol.3|マーロン・ブランドとメソッド演技法

ここでマーロン・ブランドという俳優の生い立ちについて少し振り返ってみましょう。陸軍士官学校も中退していたブランドの運命を変えたのは女優志願の姉ジョスリンでした。彼女の導きもあって、ニューヨークで生活し、ステラ・アドラーと出会い、それが彼の将来を決めることになったのでした。
マーロン・ブランド

『欲望という名の電車』Vol.2|マーロン・ブランドとタンクトップ

そして、ほとんどメンズ・ファッション誌で言及されることはないのですが、この作品により、タンクトップが、下着からカジュアルウェアに昇格していく導火線に火がつけられたのでした。以後、ブルース・リーの登場によりタンクトップは、カジュアルウェアの地位を獲得していくのでした。
マーロン・ブランド

『欲望という名の電車』Vol.1|マーロン・ブランドとTシャツ

マーロン・ブランドという俳優ほど、メンズ・ファッションの歴史に影響を与えた人はいないでしょう。そして、この作品のブランドは、映画及び演劇の世界において革命を起こし、メンズ・ファッションの世界においても革命を起こしたのでした。
エリザベス・テイラー

『陽のあたる場所』2|エリザベス・テイラーとイーディス・ヘッド

2ページの記事です。 作品データ 作品名:陽のあたる場所 A Place in the Sun (1951) 監督:ジョージ・スティーヴンス 衣装:イーディス・ヘッド 出演者:エリザベス・テイラー/モンゴメリー・クリフト/シェリー・ウィンタ...
エリザベス・テイラー

『陽のあたる場所』1|エリザベス・テイラーとプロムドレス

2ページの記事です。 作品データ 作品名:陽のあたる場所 A Place in the Sun (1951) 監督:ジョージ・スティーヴンス 衣装:イーディス・ヘッド 出演者:エリザベス・テイラー/モンゴメリー・クリフト/シェリー・ウィンタ...
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