原節子

『麦秋』2 日本の美6(2ページ)

    作品名:麦秋 (1951)
    監督:小津安二郎
    衣装:斎藤耐三
    出演者:原節子/淡島千景/笠智衆/三宅邦子/杉村春子



    4.言葉を楽しむ。

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    アヤちゃんのイブニングドレスと、高子さんの着物の花柄が美しい。

    どれだけ外見が美しい女性でも、言葉使いが下品だと全てにおいて幻滅させられます。だからと言って「わたくし・・・」なんて言葉を使ってやたらと上品ぶられても、なんか影響されやすい人なんだなと、逆に安っぽさ(偽者っぽさ)を強調してしまいます。一方で、きわめて自然に言葉を楽しむ女性は、朗らかで、思わず微笑を誘い、非常に美しいです。

    小津安二郎監督の映画は、極めて細かい部分まで、監督の要求する演技が求められます。例えば、アヤちゃん(淡島千景)が、結婚を決めた紀ちゃんに、「それでもうあんたその話きめちゃったの?」というシーンがあります。そこで二人で紅茶を飲むシーンがあるのですが、25回以上のリテイクがあったと言われています。二人がカップを上げるときの調和、バランス、ひじの上がり方。小津監督の映画は全てにおいてリズムなのです。日本のリズムです。

    会話においても、当初は違和感を感じさせる、不自然さを感じさせる独特な言い回しの中から、私たちは、今の時代からは確実に失われた、新しい「自然な会話」を、私達自身がチョイスし、これからの生活に組み込んでいくのです。「おっしゃいますわね、ニンジン女史」「帰れ帰れ、幸福なる種族」などと言った独特な会話のエッセンスは、今の時代にこそ斬新な響きに満ち溢れています。

    「紀子さん、パン食べない!アンパン!」のセリフではありませんが、思わず微笑を誘わずにはいられない女性。こういう女性は、ミニスカートに胸元を強調した服装の美女には決して出せない安定した美を感じさせます。トゲトゲしい美は、結局は男性にセックスの欲望だけしか呼び覚ましません。一方、朗らかな美は、男性に安らぎを与えます。



    5.異国の人々が感じる日本の美を知る

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    朗らかな美とは、この表情です。小津監督は、女性からこの表情を引き出せる人なのです。

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    原節子様が、一番演じたかったのは、細川ガラシャでした。

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    小津安二郎監督が引き出す女性の美。なぜ彼の作品に出演した時、その女優さんは最も魅力的に見えるのでしょうか?特に、三宅邦子さん。

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    銀座の千疋屋(せんびきや)で購入した900円のショートケーキ。(今では10000円の価値)。

    日本人には日本人にしか存在しない美意識がたくさんあります。背が高くて小顔で、すらっとしている容姿に対する日本人が持つコンプレックスは、実際のところ、必要の無いコンプレックスです。欧米の男性が、「スタイルの良い女性が良い」というこだわりを見せることはほとんどありません。それは、実際のところ、映画やファッション誌に出てくる絶世の美女などはほとんど存在せず、彼女たちでさえも、日常においては、極めて普通だからなのです(カメラの魔力)。

    そんな夢のような外見的な美の虜になってしまった人達が存在します。映画やファッション誌の世界をそのまま信じ込み、整形美女を目指す人々です。しかし、端的にいうならば、整形美女は、その周りの空気をギスギスしたものにします。人間にとって最も不愉快なのは、居心地の悪さです。何を考えているのか分からない人造人間と共にいる空気がまさにそれです。一方で、自然な空気が生み出す神秘性があります(整形とは神秘性とは無縁のもの)。日本人にとっての美の根底に流れるのが、東洋の神秘なのです。

    小津安二郎の作品は・・・私にはどこがいいのかわからない。いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちが座りこんでいるのを、これも無気力なカメラが、無気力にとらえている。映画的な生命の躍動感が全く感じられない。

    フランソワ・トリュフォー

    世界的なファッション・アイコンであるカトリーヌ・ドヌーヴにとって最も悲しい瞬間であった2日と言わせたのが、姉フランソワーズ・ドルレアックの事故死を知った日と、フランソワ・トリュフォーの死んだ日でした。それほどに偉大なフランスの大監督トリュフォーは、当初小津監督作品に対して上記の感情を抱いていました。やがて・・・

    ところが、最近、パリで小津の映画が何本か公開され、『秋日和』とか『東京物語』とか『お茶漬の味』といった作品を連続して見て、たちまちそのえも言われぬ魅力の虜になってしまいました。日本映画は私たちにとっては、単なるエキゾチズム以上に、非常に神秘的な感じがするのですが、小津の作品ほど不思議な魅力にみちた日本映画は見たことがありません

    フランソワ・トリュフォー

    日本的といえば、これほど日本的な映画もないのでしょうが、それ以上に、私にとって最も不思議なのは、その空間の感覚です。空間と人物の関係、と言ったほうがいいかもしれない。ふたりの人物がむかいあって話しているようなシーンがしょっちゅうあり、キャメラは人物АからВへ、またВからАへとさかんに切り返すわけですが、どうもこれが偽の切り返しというか、切り返し間違いのような印象を与えるのです。・・・ふつう、向かいあって話をするふたりをキャメラが切り返しによってとらえる場合には、原則として同じ目線の軸で交互にとらえる。ところが、小津の映画では目線の軸が一定ではない。つまり、観客は人物のひとりの視線を追っていくと、じつはそこに相手がいないのではないかという不安にかられる。これは単に印象ではなく、そうとしか思えない意図的な演出のはずで・・・

    フランソワ・トリュフォー

    そうこう考えているうちに小津監督の虜になったトリュフォーなのでした。日本文化のどこに対して異国の人々が、魅力を感じるのかを知ることは、日本女性の美を知る近道なのです。




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