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【マイ・フェア・レディ】オードリー・ヘプバーンの不滅のミュージカル超大作

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
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【マイ・フェア・レディ】

My Fair Lady オードリー・ヘプバーンが『パリの恋人』(1957)以来となるミュージカル映画に挑戦した『マイ・フェア・レディ』は、元々はジュリー・アンドリュースがイライザ役で超ロングラン・ヒットを飛ばしたブロードウェイ・ミュージカルでした。

ロンドンの下町のコックニー訛りの花売り娘が、言語学者の指導で社交界を魅了するレディに生まれ変わるという、1913年に劇作家ジョージ・バーナード・ショーが創作した戯曲『ピグマリオン』を原作としたブロードウェイ・ミュージカルが、未曽有の大成功を収めました。

このシンデレラ・ストーリーの映画化権を、1962年にワーナー・ブラザースが史上空前の550万ドルで獲得しました。社長のジャック・ワーナーは、監督にジョージ・キューカー、衣装デザイナーに舞台版も手がけたセシル・ビートンの起用を決定しました。衣装の製作費だけで50万ドルかかっています。

ワーナーは、史上最高額の制作費1700万ドルという莫大な金額をかけた作品に、8年かけて1006回の舞台を演じぬいたブロードウェイの新星ではあるが、映画の世界においてはまったく無名のジュリー・アンドリュースを使う事はリスクだと考えました。

そして『ティファニーで朝食を』(1961)撮影中のインタビューで、イライザ役を演じたいと答えていたオードリーに白羽の矢が立ち、『クレオパトラ』のエリザベス・テイラーと並ぶ当時史上最高額の出演料である100万ドル(七年間の分割払い)で引き受けました(『ハワイ』の出演を辞退し、この作品の主役をジュリー・アンドリュースが演じることになった)。

さらにヒギンズ教授役も舞台版のレックス・ハリソンからケーリー・グラントに変えようとしたのですが、こちらはケーリー自体に断られ、ハリソンが演じることで落ち着きました(出演料は20万ドルだった)。

1963年8月9日に撮影が開始し、話の流れに沿って順撮りで行われ、1963年のクリスマスの数日前に終了しました。1964年のアカデミー賞において作品賞ほか8部門を受賞しました(主演女優賞は、ジュリー・アンドリュースが『メリー・ポピンズ』で受賞)。日本でも大ヒットし、1964・65年度の2年連続で日本の洋画配給収入の第2位に入りました。

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あらすじ

エドワード7世が崩御した直後ではあるが、大英帝国の黄金時代にあたる、エドワード朝時代末期の1912年のロンドン。オペラがはねたばかりのコヴェント・ガーデン・オペラハウス前では、花を売る下町の娘イライザ(オードリー・ヘップバーン)が、のんだくれの父親(スタンリー・ホロウェイ)のために働いています。

言語学者であるヒギンス博士(レックス・ハリソン)は、そんな彼女の粗野なコックニー訛りの英語を聞き、ピカリング大佐に「どんなに下世話な花売り娘でも、自分の手にかかれば半年で舞踏会でも通用するレディに仕立て上げられる」と彼女をレディに仕立て上げられるかどうかをめぐって賭けをすることになる。

早速、イライザは、博士の家に住み込み、レディになるために、録音器を使った発音の矯正や所作を学ぶことになります。

そして四ヶ月の時が経ちすっかり貴婦人になったイライザは、すてきなファッション・ショーのように社交界の人たちが装いをこらして集まるアスコット競馬場で社交界デビューすることになります。

ドレスアップしたイライザの美しさは群を抜き、名うてのプレイボーイ、フレディ(ジェレミー・ブレッド)はたちまち彼女の魅力のとりこになり、つきまとうようになります。

さらなる特訓を重ねた6週間後、大使館で行われた大舞踏会に臨んだイライザは、その美しさで上流階級の人々を魅了し、トランシルバニヤの女王からお言葉をかけられても、ビクともしないレディになっていました。

その夜、ヒギンズ邸で大成功に悦に浸るヒギンズとピカリングが乾杯している姿を見て、イライザは自分が博士の実験台に過ぎないことを自覚し、悲しくなり、邸を飛び出し、消えてしまいました。やがて、ヒギンズは、録音器に残されたコックニー英語のイライザの声を聞いているうちに、ひとつの感情に気付くのでした。

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ファッション・シーンに与えた影響

オードリー・ヘプバーンとオートクチュールの関係は、ブリジット・バルドーとバスタオルの関係に相当します。

『マイ・フェア・レディ』の衣装を担当したのは、ユベール=ド・ジバンシィではなく、ファッション・フォトグラファーのパイオニアでもある英国貴族のセシル・ビートンでした。

この作品が、ファッション史に与えた影響は、専門的言うと、エドワード朝時代の華やかなイブニングドレスの教科書として、不滅の輝きを放っているのですが、一般的には、アスコット競馬場で着ているロイヤルアスコット・ドレスでしょう。

オードリー・ヘプバーンと言えばこのドレスという程、ひとりのハリウッド女優の永遠のイメージを作り出したドレスです。そして、世界中のミュージカル女優にとって、一度このドレスを着ることが〝夢〟と言えるほどに、〝ミュージカルという夢の世界を象徴するドレス〟として、70年近く経った今も、女性にとって憧れを与え続けているドレスです。

作品データ

作品名:マイフェアレディ My Fair Lady(1964)
監督:ジョージ・キューカー
衣装:セシル・ビートン
出演者:オードリー・ヘプバーン/レックス・ハリソン/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト