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【コティ】ミュゲ デ ボワ(ミュゲ ド ボア)(アンリ・ロベール)

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©COTY
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ミュゲ デ ボワ(ミュゲ ド ボア)

原名:Muguet des Bois
種類:オード・トワレ
ブランド:コティ
調香師:アンリ・ロベール
発表年:1936年
対象性別:女性
価格:不明

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シャネル N°19を生み出した調香師のスズラン

ニューヨーカー誌、1945年。©COTY

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1904年にフランソワ・コティ(1874-1934)により創業されたコティが香水文化に与えた大きな影響は以下の二つです。

  1. 上流階級と裕福でない人々の両方にアピールする香水の販売方法を考え、上質で手頃な価格のフレグランスを作り出すことを心がけた。
  2. 目に見えない香水を〝目に見えるもの〟にした。1908年からルネ・ラリックに香水瓶の製作を依頼し、芸術的な香水瓶を商品化した。

1934年に、フランソワが死去した後、コティの調香師に就任したのは、フランソワに調香の手ほどきをしたジョゼフ・ロベールの息子アンリ・ロベール(1899-1987)でした。

そして、アンリは、1936年に「ミュゲ デ ボワ」を、フランソワへのトリビュートとして生み出しました。「ミュゲ デ ボワ」とは〝森のスズラン〟の意味です。それはフランソワが1913年にかつて「ミュゲ」という名の香水を生み出していたことと、毎年5月1日に故郷のコルシカ島で採ったスズランを従業員たちにプレゼントしていたことから影響を受けてのことでした。

1941年に大々的に発売され、1960年から70年代にかけアメリカでも大ヒットしました。そして、1995年に廃盤となりました。

ちなみにアンリ・ロベールは、第二次世界大戦後ニューヨークに渡り、1940年から43年までコティの調香師として働き続け、1952年に、二代目シャネル調香師に就任し、「N°19」などを生み出しました。

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森林と春の陽気を感じさせるスズラン

©COTY

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もっとも自然のスズランに近いと言われるこの香りは、キレのよいアルデハイドに乗ってベルガモットとオレンジが弾ける中、グリーンリーフがすっきりと軽やかに春の到来を知らせてくれるようにしてはじまります。スズランに近いレモンのような酸味のあるグリーンリーフの香りです。

すぐに雨上がりのライラックの香りと共に、温かな春の日差しを思わせるジャスミンとローズの香りに包まれてゆきます。

そして、ゆっくりとさっぱりとしたグリーンリーフの中から、自然そのもののピュアなフレッシュグリーンなスズランが姿を現すのです。やがてムスクとサンダルウッドにより温かく柔らかく香る〝森林と春の陽気を感じさせるスズラン〟は、「ディオリシモ」よりも甘くて清らかで懐かしい余韻を残してくれるのです。

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〝ボトルの中の永遠の草原の輝き〟

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私はコティの「ミュゲ デ ボワ」を思い出しました。このスズランは、他に類を見ないほど花のグリーンノートを押し出したものでした。とても壮大なスズランの香りで、当時私が作っていたスズランよりも遥かに優れていました。30年代にどうやってこれほどの傑作を生み出したのだろうと考えたものでした。しかもわずかな資金で作っていたのだろうから…

しかし、それはあまり売れませんでした。なぜならつけていて楽しい香りとは言えないからでした。だから私が「ディオリシモ」を作るとき、同じ轍を踏んではいけないと自分に言い聞かせたのでした。自然の再現ではなく、香水を作らないといけないと…

エドモン・ルドニツカ

ここで「ディオリシモ」が〝懐古主義〟ではなく〝美の創造〟であり、〝自然の再現〟ではなく、〝スズランの情景を芸術的に表現〟した香りであることを再認識できるのです。

「ミュゲ デ ボワ」は、素顔で草原を駆け抜けた、若い日の記憶を蘇らせる〝ボトルの中の永遠の草原の輝き〟なのです。

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香水データ

香水名:ミュゲ デ ボワ(ミュゲ ド ボア)
原名:Muguet des Bois
種類:オード・トワレ
ブランド:コティ
調香師:アンリ・ロベール
発表年:1936年
対象性別:女性
価格:不明


トップノート:グリーン・リーブス、アルデハイド、ベルガモット、オレンジ
ミドルノート:スズラン、ライラック、シクラメン、ジャスミン、ローズ
ラストノート:ムスク、サンダルウッド