フェイ・ダナウェイ

フェイ・ダナウェイ3 『俺たちに明日はない』3(2ページ)

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セオドア・ヴァン・ランクル

デザイン画を描くセオドア・ヴァン・ランクル。

ベレー帽をかぶる、本作当時のセオドア。

ミニスカートを履いたデザイナーがミニスカート・ブームに終止符を打ちました。

フェイ・ダナウェイとセオドア・ヴァン・ランクル。

最後に本作における〝もう一人のボニー〟とも言えるボニー・ルックの陰の立役者の名前を紹介しましょう。その名は、セオドア・ヴァン・ランクル(1928-2011)。本作で衣装デザイナーを務めた女性です。彼女が映画のための衣装デザインを担当したのは、本作が初めてです。

セオドア・ヴァン・ランクルは、財閥の大富豪の隠し子として生まれました。そして、母親と共にカリフォルニアに移住し、20代前半に百貨店のファッション・イラストレーターとして働くことになります。60年代に、『ナイアガラ』(1953)や『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)の衣装デザインを担当したドロシー・ジーキンスにスケッチ係として雇われました。二人の相性は最悪で、一週間でセオドアはドロシーの元を去りました。

しかし、ドロシーは彼女の才能を見抜いていたのです。そして、彼女を本作のデザイナーとして推薦したのでした。それは一本の電話からでした。「あなたをワーナーが撮るB級の西部劇のデザイナーとして推薦しました」とのことでした。

初めての映画の衣装の仕事に対して恐れを感じながら、ビバリー・ヒルズでテキスタイルを購入していた時に、イーディス・ヘッドに会いました。そして、この作品にあう衣装について尋ねました。「すべてシフォンを使いなさい」というアドバイスでした。

ブリジット・バルドーの「ボニーとクライド」





(1967年、セルジュ・ゲンズブールはブリジット・バルドーのために作曲したシャンソンを聴かせたいと会いに来た。緊張するバルドーに)彼はシャンパンがあるかたずねた。「ええ、いつでも置いてあるわ。」「じゃあ、一杯やろうじゃないか。ドン・ペリニョンだろうね。それともドン・リュイナールかな。クリスタル・ロドレールでもいいけど」「モエ・エ・シャンドンしかないけど」「しかたないな。明日、ドン・ペリニョンを一箱届けさせるよ」

ブリジッド・バルドー自伝

彼の生涯を彩った女性たちは数多く、私と生活をともにした男性もたくさんいたのに、今日でもゲンズブールについて語られるとき、いつでもバルドーが引き合いに出される。あの日、あの夜、あの瞬間から、彼以外の存在、彼以外の男性は私の目に入らなくなってしまった。彼を愛することで、私はふたたび生きる喜びを見出し、美しくなり、私は彼のミューズとなった。

ブリジット・バルドー自伝

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