イヴ・サンローランのサファリジャケット
イヴ・サンローランが、サファリジャケットをモードへと昇華させたのはこの作品が公開された一年後の1968年のことでした。元々、サファリジャケットとは、アフリカでブッシュ(茂み)の中に入るためのジャケットとして作られたものでした(サファリジャケットを象徴する映画として有名な作品はグレース・ケリーとエヴァ・ガードナーが共演した『モガンボ』です)。
それは主に軽いコットンかポプリンで作られました。カーキの生地に、エポレットと4つのポケットが付いているデザインが一般的でした。
1935年、初めて「サファリ・スーツ」として貴族がアフリカ大陸への狩猟旅行のためのラグジュアリー・ウェアとして紹介され、1936年、アーネスト・ヘミングウェイがウイルス&ガイガーに作らせたジャケットが当時話題になりました。
そして、1939年にアバクロンビー&フィッチがサファリジャケットとトラウザーの一式をレジャーウェアとして売り出しました。
時は過ぎ、1960年代から70年代にかけて、テッド・ラピドスとイヴ・サンローランがファッション・アイテムに取り入れ、定番アイテムになりました。それは、本作のサファリドレスと、1968年SSのサンローランのアフリカ・コレクションを更に進化させたものでした。
セブリーヌのファッション8
サファリルック
- デザイナー:イヴ・サンローラン
- サファリドレス、サンドベージュ、パッチポケット、フライフロントジップ、エポレットに金ボタン、シャツカフス
- ゴールドチェーンベルト
- ロジェ・ヴィヴィエの靴
そのコンセプトは、『5月革命』でした
イブ・サンローラン自身が説明しているように、サファリジャケットのモード化は、1966年から激化したフランスの学生運動の影響を受けています。最終的に、1968年のパリの5月革命を経て、サファリルックは一般公開されたのでした。
野生の都と化したパリでサバイブするためのファッション。だからこそ、男性的かつ女性的であり、これを身につける人は、その性差さえも越えてしまう不思議さに包まれるところに、アンドロギュヌス的な魅力がありました。
それは、もはやそのファッション自体が元々の意味を全く失い、新たな社会情勢の中で、究極形態へと到達してゆく〝ファッションの面白さ〟を世に示した画期的なファッションでした。
人は、ファッションに合わせて生きるのではなく、ファッションが社会に合わせて変化を遂げていく。それが、トレンドという言葉の慣わしの始まりであり、ファッションの商業化がますます加速するきっかけとなるのでした。
そんな本格的なサファリジャケットの発表に先駆けること1年。すでに『昼顔』の中でカトリーヌ・ドヌーヴが着るサファリドレスにより、サンローランのサファリルックのプロトタイプは発表されていたのでした。
それはミリタリー・スタイルとは全く異質の、しかし、カジュアルスタイルでもない、新しいエレガンスの提案としての〝サファリ〟だったのです。
カトリーヌ・ドヌーヴのアップスタイル
セヴリーヌは、貞淑な妻の時、几帳面に整えたアップスタイルです。そして、娼婦の時に、その髪を解き放つのです。売春をしている間、彼女はたとえ全裸であったとしても、その髪が一着のドレスとして彼女の心の均等を保つ役割を果たしてくれるのです。
纏めていた髪を解き放った瞬間、彼女の中で何かが解き放たれるのです。
もっとも美しい瞬間を、もっとも汚して欲しい…
セヴリーヌは、「聖セバスティアヌスの殉教」のように拘束され、汚れのない白いギリシア神話風のドレスを着て、「後悔」という名の牛の群れの中にいる一匹だけの「贖罪」を探すため、牛糞を投げつけられるのです。まるでそれを待ち望んでいたようにうっとりとした表情のセヴリーヌ。
もっと汚して下さいと渇望しながらも、表面上は許してくださいとお願いする姿。それは少女期に汚されたトラウマから呼び覚まされたものなのでしょうか?それとも、ただ単に女性の中に潜む〝形容することも憚られる扉〟の奥にある本能なのでしょうか。
「後悔」という名の人間の群れの中に、1人だけ「贖罪」という名の人間がいるらしい。今世界中の男女が、その1人を探して、多くの扉を開けているのでしょうか。
セブリーヌのファッション9
ファムファタール・ルック
- デザイナー:イヴ・サンローラン
- ブラック・パテント・トレンチコート。ウールスリーブととても細いベルト
- べっ甲のサングラス
- 黒のピルボックス帽
- ロジェ・ヴィヴィエの靴
作品データ
作品名:昼顔 Belle de jour (1967)
監督:ルイス・ブニュエル
衣装:イヴ・サンローラン
出演者:カトリーヌ・ドヌーヴ/ミシェル・ピコリ