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伝説の女優

その他の伝説の女優たち

【地獄に堕ちた勇者ども】第三帝国のファッションの美学

ルキノ・ヴィスコンティが1969年に監督したイタリア・西ドイツ合作の映画。『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』へと続く「ドイツ三部作」の第1作目として、1930年代前半のナチスが台頭するドイツにおける鉄鋼一族の凋落を描いた作品。
その他の伝説の女優たち

『地獄に堕ちた勇者ども』Vol.4|イングリッド・チューリンとヘルムート・バーガー

イングリッド・チューリン扮するゾフィーは、その時まで、人に対する感情などおおよそ持ち合わせていないような怪物でした。そんな彼女が、母子相姦によって、息子に対する母親の愛情と後悔の念を感じてしまい、その感情に陶酔感さえ覚えてしまうのでした。
その他の伝説の女優たち

『地獄に堕ちた勇者ども』Vol.3|イングリッド・チューリン、怪物のような美女

スウェーデンという国が生み出した至宝の女優イングリッド・チューリン(1926-2004)。そのアイシー・ブロンド・ヘアーと冷たい美貌を生かし“雪で覆われた火山”の女性を演じることを得意としてきた彼女は、間違いなくこの作品の怪物でした。
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シャーロット・ランプリング

『地獄に堕ちた勇者ども』Vol.2|シャーロット・ランプリングとルキノ・ヴィスコンティ

シャーロット・ランプリングが、女性誌においてファッション・アイコンとして取り上げられるとき、どのブランドを愛用していますという観点ではなく、彼女自身の生き様に焦点が当てられます。それは間違いなく彼女の「自然体」かつ「求道的な」演技スタイルと生き方から導き出されたものなのでしょう。
シャーロット・ランプリング

『地獄に堕ちた勇者ども』Vol.1|シャーロット・ランプリングには悲劇が似合う

世界中の女優が憧れる女優の一人。それがシャーロット・ランプリングです。女優にとって、尊敬に値する女優とは、若さあふれる絶世の美女ではなく、衰える容姿をものともせず、年を重ねても尚、カメラの前で魅力的な役柄を演じる女優のことを指します。
オードリー・ヘプバーン

【マイ・フェア・レディ】オードリー・ヘプバーンの不滅のミュージカル超大作

オードリー・ヘプバーンが『パリの恋人』(1957)以来となるミュージカル映画に挑戦した『マイ・フェア・レディ』は、元々はジュリー・アンドリュースがイライザ役で超ロングラン・ヒットを飛ばしたブロードウェイ・ミュージカルでした。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.8|映画の中で登場しなかったオードリーの膨大な衣装②

撮影前に意気投合していた監督のジョージ・キューカーと衣装デザイナーのセシル・ビートンは、撮影が進むにつれて、セット内で口論を繰り返すようになりました。その理由は、オードリー・ヘプバーンの写真撮影についてです。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.7|映画の中で登場しなかったオードリーの膨大な衣装①

女優として最も輝いている瞬間を残したいという思いが、オードリー・ヘプバーン(1929-1993)に一つの決断をさせました。セシル・ビートンによってデザインされた、エキストラのためのドレスを見て感動し、全てを着て写真に撮ってもらうことでした。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.6|ジュリー・アンドリュースとオードリーとアカデミー賞

1965年4月5日、アカデミー賞の授賞式が行われました。1964年の話題作は、『マイ・フェア・レディ』一色でした。しかし、時代の新たなミューズは、3月から公開され大ヒットしていた『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公であり、『メリー・ポピンズ』の主演を演じたジュリー・アンドリュースでした。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.5|ジバンシィがデザインした訳ではない素晴らしいイブニングドレス

『マイ・フェア・レディ』の舞踏会のシーンで登場するイブニングドレスは、日本のウエディング雑誌でよく取り上げられるドレスなのですが、よくその中で、〝ジバンシィによる〟という但し書きが書かれています。しかし本作には、ユベール・ド・ジバンシィのデザインによるドレスは、一切登場しません。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.4|レディにしあがるイライザのアイコニック・ドレス

『マイ・フェア・レディ』のハイライト・シーンであるアスコット競馬場のシーンは、あっと驚く変身を遂げたオードリー・ヘプバーン扮するイライザが登場する最も重要なシーンです。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.3|オードリーが自分自身で歌いたかった「踊り明かそう」

『マイ・フェア・レディ』の中で最も有名な劇中歌である「踊り明かそう」。オードリー・ヘプバーン(1929-1993)は、本作に出演するにあたり、全ての歌を自分自身で歌おうと決めていました。そのため映画撮影に入る前から、5週間にわたって、ときには一日5,6時間もレッスンに集中していました。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.2|レディに変身する寸前のオードリーとセシル・ビートン

本作の全ての衣装デザインと美術デザインを担当したのが、セシル・ビートン(1904-1980)という後にサーの称号を頂く事になる英国のファッション・フォトグラファーです。彼は188㎝の長身と共に映画俳優顔負けのダンディズムとチャームを兼ね備えていました。
オードリー・ヘプバーン

『マイ・フェア・レディ』Vol.1|オードリーとハリウッドのユベール・ド・ジバンシィ

オードリーからの手紙を受け取り、1963年9月にハリウッドを訪れたジバンシィは、その壮大なる撮影風景を前にして、ただ一言「何ということだ!これだけでコレクションが6回は開けるぞ!」と圧倒されたのでした。
マリリン・モンロー

【ナイアガラ】マリリン・モンロー、モンローウォークと共に現る。

マリリン・モンロー(1926-1962)は、本作『ナイアガラ』においてモンローウォークを誕生させました。そしてマリリン初のカラー映像と共に、同年に公開された『紳士は金髪がお好き』 『百万長者と結婚する方法』も大ヒットし、1953年は『マリリン・モンローの年』となったのでした。
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『ナイアガラ』Vol.5|50年代アメリカン・ビューティー、ジーン・ピーターズ

実は私はこの作品を初めて見たとき、マリリン・モンローよりもジーン・ピーターズ(1926-2000)のファンになりました。彼女は『愛の泉』(1954)でも好演を見せていたのですが、これからという時に、大富豪ハワード・ヒューズと結婚し、映画界を引退してしまいました。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.4|21世紀に生き続けるマリリン・モンロー

多くの女性が、マリリン・モンローに惹き付けられるのは、不器用さにあるのだと思います。不器用だからこそ、ずっと同じヘアスタイルを続け、自分の創造を貫く。やがて、容貌の衰えや、蓄積した精神と肉体の疲労により、自滅していく。しかし、その勝ち取ったものの一部は芸術として日を追うごとに価値が高まるのです。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.3|マリリン・モンローの作られ方

マリリン・モンローに、ロングヘアのイメージはありません。死後60年以上経っても尚、世界中の女優やファッションモデルにとって憧れの存在として突き抜けています。その理由は、老いを見せないというスターの永遠の願望を叶えたことと、プラチナブロンドのボブをカールした、あのハリウッド・カールによってでした。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.2|マリリン・モンローとブリジット・バルドー

『素直な悪女』で、マリリン・モンローに匹敵する〝セックス・シンボル〟となったブリジット・バルドーは、この年10月、英国・ロンドンで開かれる年一回の大レセプションであるロイヤル・コマンド・パフォーマンスに招待され、エリザベス女王に拝謁することになりました。そして、マリリンとはじめて会うことになるのでした。
マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.1|マリリン・モンローとモンローウォーク

マリリン・モンローがスターダムに駆け上るきっかけとなった記念碑的作品。それが『ナイアガラ』です。この作品におけるマリリンは、まさに典型的な〝ブロンドヘアーのファム・ファタール〟を演じるのです。映画史上かつて存在しなかった〝時代を超越するセックスシンボル〟が誕生した瞬間でした。
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