【ブルガリ】オ パフメの全て
ギリシアの内陸部にある小さな村に生まれた銀細工師の息子ソティリオ・ブルガリ。この20代の若者が、ケルキラ島からミラノを経由し、1884年にローマに高級宝飾店を創業したことから『ブルガリ』の歴史は始まります。
ギリシアとイタリアのローマというヨーロッパの偉大なる二つの流れを汲んだ、クラシカルかつモダンでありながら、(ギリシアとローマの)神話性が生み出すリッチなボリューム感=「ブルガリ・スタイル」を生み出していきました。そして、そのハイライトとも言えるのが、1940年代に生誕した蛇の頭部をアイコンにしたセルペンティ・コレクションです。
1977年にブルガリは、腕時計の分野にも進出しました。そして、1984年に、ブルガリの地位を世界的なラグジュアリー・ブランドの地位にすべく、フランチェスコ・トラーパニが就任(以後25年間)し、ブルガリの高価な宝飾品を愛する人々は勿論の事、買えない人々にもその世界観を味わって欲しいというイメージで、ジャン=クロード・エレナにはじめてのブルガリの香りを調香するように依頼したのでした。
意外なことに、その世界観は、ブルガリ=ギリシア・ローマではなく、〝お茶〟だったのです。
世界最初の〝お茶の香り〟
茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。
十五世紀に至り日本はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々(じゅんじゅん)と教えるものである。
茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。
『茶の本』(1906)岡倉天心
1610年に、オランダ東インド会社の船がヨーロッパに初めて茶を輸入しました。平戸で買った緑茶と、マカオでポルトガル人から買った中国茶が輸入され、1636年にはブルボン朝のフランスに伝わり、1638年にはロマノフ朝のロシアにまで達しました。そして、1657年にはイギリスで最初にお茶が売られるようになり、イギリスの「紅茶文化」が花開くことになったのです。
不思議にも人情は今までのところ茶碗に東西相合している。茶道は世界的に重んぜられている唯一のアジアの儀式である。白人はわが宗教道徳を嘲笑した。しかしこの褐色飲料は躊躇もなく受け入れてしまった。午後の喫茶は、今や西洋の社会における重要な役をつとめている。
『茶の本』(1906)岡倉天心
そして、1992年、〝お茶〟の世界観を香水によって体現した香りがブルガリから「オ・パフメ」(のちにオ・パフメ オーテヴェールと改称)として発売されたのでした。ティエリー・ドゥ・バシュマコフにより制作されたボトルのメタル製の蓋にはブルガリの名前が古代ローマの記念碑に銘文を刻んだ方法で刻印されています。
以後、5つの香りが発売され、ユニセックス・フレグランスのパイオニアとなりました(後に、この時の功績が認められエレナは、エルメスにおいて、2003年に「地中海の庭」を生み出すことになる。こちらもユニセックスの香り)。
『オ パフメ』シリーズ全5作
2015年
オ パフメ オーテブルー(ダニエラ・アンドリエ)
オ パフメ オーテノワール(ジャック・キャヴァリエ)
2006年
オ パフメ オーテルージュ(オリヴィエ・ポルジュ)
2003年
オ パフメ オーテブラン(ジャック・キャヴァリエ)
1992年
オ パフメ オーテヴェール(ジャン=クロード・エレナ)