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『マイ・フェア・レディ』Vol.6|ジュリー・アンドリュースとオードリーとアカデミー賞

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
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ジュリー・アンドリュースの『マイ・フェア・レディ』

元々ブロードウェイにおいて、イライザ役を熱演したジュリー・アンドリュース(オリジナル・アルバムは3200万枚売れていた)を、映画版でも主役にするかどうか決めあぐねていたプロデューサーのジャック・ワーナーは、映画出演の経験がない彼女の可能性を見極めるために、スクリーン・テストを依頼しました。

しかし、ジュリーは、映画『メリー・ポピンズ』(1964)の出演が決まっていたこともあり、スクリーン・テストを断わりました。

その時、ワーナーの心は固まりました。テレビに押され、斜陽化しつつある映画産業に対して、オードリー・ヘプバーン(1929-1993)をイライザに起用し、人生最後の大勝負に出ることにしました。

そして、ヒギンズ教授役に、『シャレード』(1963)でオードリーと抜群の相性を見せたケーリー・グラント、イライザの父親役にはジェームズ・キャグニーの起用を考えたのでした。

オードリーは100万ドルのギャランティで出演を承諾したのでしたが、ケーリー・グラントは「レックス・ハリソン以外にこの役を出来るものはいない」と断りました。

一方、キャグニーは、その自伝によると、「ここ何年かの間に、わたしを引退生活から再びひっぱりだそうとして、何度か、興味をいだかせるような話がもちこまれてきた。たった一度だけ、心を動かされかけたことがあった。『マイ・フェア・レディ』である」と書かれています。そして、監督のジョージ・キューカーは、キャサリン・ヘプバーンに電話をしてキャグニーの連絡先を知り、交渉が開始されました。

「すばらしいナンバーがいくつもある偉大なショーの、これまでにあったかないかというくらいの大役だ。」とキャグニーは感じ、「瞬間的に、これだけはやってみようか、と思ったことを白状しておかなくてはならない。たぶん、わたしはこれを生涯最後の役としたかったのである」とまで自伝に記されていました。しかし、キャグニーは最終的に断りました。

ケーリー・グラントのヒギンズ教授は、見てみたいという気が湧きませんが、キャグニーの父親役が、もし実現していたならば、本当に素晴らしいパフォーマンスを見せてくれていたことでしょう。『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』を見ればそのことは想像に難くありません。

花売り娘のコスチュームを着るジュリー・アンドリュース。

1956年3月15日から62年9月26日まで、ブロードウェイで公演され、2717回のロングラン公演となった。

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意外に知られていない〝究極のピンク・ドレス〟

私自身がプレゼントよ。とでも言いたげなシフォンで包装された美人ドレス。

オードリーの必殺アングル。

すぐにでも空を飛んでいけそうなドレスです。

オードリーが一貫していたのは、飾り立てるよりそぎ落とすほうを良しとしていたことです。

グレース・ミラベラ(元ヴォーグ編集長。1971-1988)

『マイ・フェア・レディ』。それは、オードリーの〝最も偉大なる最後の輝き〟だったのかもしれません。親友のエリザベス・テイラーが、映画という世界の中で、映画の枠を超えた女神になろうとして果しえなかった『クレオパトラ』(1963)の野望を、彼女は果たしたのでした。

本作によって『ローマの休日』(1953)からはじまる彼女の偉大なるキャリアは頂点に達したのでした。そしてこの作品を境に、ファッションも映画もより複雑なものが求められるようになっていったのでした。もはや、この作品のラストシーンのようなものは許されない時代が始まろうとしているのです。

しかし、映画の偉大性は、それをするに相応しいもの達により、生み出された創造物が、後世の人々に、永遠に、本人達にも思いもよらぬ程の影響を与えるということです。

オードリーがいて、ジョージ・キューカーがいてセシル・ビートンがいたからこそ、エドワード朝時代のファッションと美術が見事に再現され、残されることになったのです。時代の空気とファッションを結びつけることが可能なところに映画の偉大性はあるのです。

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イライザ・ドゥーリトルのファッション12

ピンクシフォンドレス
  • ピンクデイドレス、天女のようなドレス、スリーブのシフォンがラッフルに。オードリーが最も気に入り、もらい受けたドレス
  • ラッフルショール
  • シフォン・ジョーゼットをふんだんに使った帽子。
  • レネ・マンシーニのローヒールパンプス

他のドレスの印象が強烈過ぎて、以外に忘れられているオードリーの名作ドレス。

実に贅沢なシフォン使いがなされたデザイン。

天女が羽衣を纏うが如しの、優雅なネックラインのバックショット。

オードリーの美の秘密。それは首の傾け方を知るところにあります。

これを見てときめかない女性はいないであろうラッフルショール。

セシル・ビートンのデザイン画。

本作で2度目のアカデミー撮影賞を獲得したハリー・ストラドリングと。

ヒギンズ教授の母親の家にあるティーポットは、ロイヤルコペンハーゲンのブルーフルーテッドのフルレースです。

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レックス・ハリソン

「スリッパーはどこだ?」という有名なラストシーン。

セシル・ビートンは、ヒギンズ教授を演じるレックス・ハリソン(1908-1990)の衣装に関しても最新の注意を払いました。1910年代当時の男性の帽子よりも1.5cmつばを広くしました。それはヘアピースが必要な髪と、日に焼けるのが大好きな彼の性癖をみこしてのことでした。

舞台で何千回もヒギンズを演じてきたにもかかわらずレックスはセリフ覚えが非常に悪く、撮影にあたり、オードリーのキャスティングに対しては失望し、散々文句を言っていました。しかし、作品が完成すると「オードリーが一番だ」と絶賛するようになっていました。

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ジュリー・アンドリュースの『マイ・フェア・レディ』

舞台劇のヒギンズ教授役も同じくレックス・ハリソンだった。

そして、衣装・美術を担当したのも同じくセシル・ビートンでした。

原作はジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』。

アスコット競馬場のドレスは、舞台ではピンクでした。

オードリーのピンクシフォンドレスに似たデザイン。

1940年代のディオールのモデルのようなハットデザイン。

そして、大使館のイブニング・ドレス。

日本では1963年9月、東宝宝塚劇場で、イライザ役を江利チエミ、ヒギンズ役を高島忠夫で初演された。

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その夜、オードリーはキャリア最高の夜を迎えた。

1965年(第37回)アカデミー主演女優賞を獲得したジュリー・アンドリュースを激励するオードリー。右後ろにシドニー・ポワチエ。

白黒なので分かりにくいが、オードリーは白色、ジュリーは黄色のドレスを着ています。

ジュリーのオスカー像が落っこちないように優しく手を添えるオードリー。

舞台版では共演した二人が違う作品で、同じ年の主演男優・女優賞を分け合う奇跡!

オードリーはアカデミー主演女優賞にノミネートされませんでした。

内心の悔しさを笑顔に変えることが女をより格上げする原動力になるのです。

1965年4月5日、アカデミー賞の授賞式が行われました。1964年の話題作は、『マイ・フェア・レディ』一色でした。しかし、時代の新たなミューズは、3月から公開され大ヒットしていた『サウンド・オブ・ミュージック』の主人公であり、『メリー・ポピンズ』の主演を演じたジュリー・アンドリュースでした。

他の部門においてはあらかたノミネートされている中、オードリーが主演女優賞にノミネートされていないという異常事態の中、彼女に役柄を奪われたと、世間から同情されていたジュリーは、アカデミー主演女優賞を獲得したのでした。

そんな中、この年、脳卒中で倒れた、前年度アカデミー主演女優賞の受賞者であるパトリシア・ニール(オードリーとは『ティファニーで朝食を』で共演)に代わって、主演男優賞のプレゼンテーター役を、グレゴリー・ペック(『ローマの休日』で共演)から頼まれます。

その申し出を快諾したオードリーは、この日、ジバンシィのAラインのイブニング・ガウンに、64年に購入したばかりのカルティエのダイヤモンドとエメラルドとブルー・サファイヤのイヤリングに、エルメスのロンググローブというシンプルなスタイルで現れました。そして、見事主演男優賞を獲得した共演者のレックス・ハリソンにオスカー像を手渡すのでした。

この時のレックスのスピーチが圧巻でした。彼は「Two for Lady」とオードリーとジュリーに感謝したのでした。そして、何よりも隣で微笑むオードリーの美しさこそが、『おしゃれ泥棒』(1966)では見る影も無くなる、オードリーの若さと成熟の狭間の美の真骨頂だったのです。

『マイ・フェア・レディ』の撮影はセシル・ビートンの日記を読むまでもなく、オードリーにとって生命力を削らせるような大変なものでした。この作品の後のオードリーは急激に老けていきます。それくらいに、彼女にとって、この作品は、命をかけた作品だったのです。

逆に言うと、30代半ばに突入しようとする自分自身の容姿の急激な衰えを知ったオードリーが、総決算を生み出そうと全力投球した作品だったのです。だからこそ、このオスカーナイトにおけるオードリーの姿は、とてつもない気品と若々しさと美しさに満ち溢れているのです。1965年のオスカーナイトは、ジュリー・アンドリュースのためではなく、オードリーのための夜だったのです。たとえ彼女が、ノミネートされなくとも、そんなことは全く重要ではないと感じさせるほどに彼女は輝いていたのです。

作品データ

作品名:マイ・フェア・レディ My Fair Lady (1964)
監督:ジョージ・キューカー
衣装:セシル・ビートン
出演者:オードリー・ヘプバーン/レックス・ハリソン/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト