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【哀愁】ヴィヴィアン・リーが最も美しかった時代

ヴィヴィアン・リー
ヴィヴィアン・リー
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【哀愁】

Waterloo Bridge 『風と共に去りぬ』(1939)でスカーレット・オハラを見事に演じあげたヴィヴィアン・リーは、すぐに本作の撮影に参加しました。『哀愁』の撮影は、1940年1月から3月にかけてハリウッドのMGMスタジオで行われ、撮影中にヴィヴィアンは、第12回アカデミー賞にてアカデミー主演女優賞を獲得しました(1940年2月29日)。

本作は、1940年5月17日に全米公開と同時に大ヒットし、ロバート・テイラーと共に、ヴィヴィアン・リーはハリウッドにおいてそのキャリアの絶頂を迎えることになります(ちなみに本作が日本公開されたのは1949年)。

そして、ヴィヴィアンは、1931年に13歳年上の弁護士と結婚し、一女をもうけていたが、同年8月31日に相思相愛のローレンス・オリヴィエと再婚することになります。まさに、公私共に絶頂期に作られた作品それが『哀愁』なのでした。

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あらすじ

イギリスがナチス・ドイツに宣戦布告した1939年9月3日、開戦準備に追われるロイ・クローニン大佐(ロバート・テイラー)は、急遽、ウォータールー橋の上で車を降り、橋にたたずみ、もの思いにふけりました。

この時、彼はある女性を想い出していました。その手にビリケン人形を握り締めながら・・・

物語は、第一次世界大戦中のウォータールー橋に遡ります。ロイ・クローニン大尉とバレエ団の一団が橋の上を通過している途中で、空襲警報が鳴り響きます。バッグが壊れ、中身のものがとっ散らかり、一人逃げ遅れたバレリーナのマイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)と共に、ロイは混雑する地下鉄の構内に逃げ込みます。

そして、明日戦地へ向かうというロイに、マイラは幸運のビリケン人形を手渡し別れます。その夜、大佐との食事をすっぽかし、マイラのバレエを観劇するため現れるロイ。そして、再会した二人はキャンドルライト・クラブで『別れのワルツ』が流れる中、強く惹きつけられるものを感じながら、キスを交わします。

翌朝、大雨の中、窓の外を見ると、出征したはずのロイが立っています。48時間出撃が延期になり、彼女に会いに来たのでした。結婚を申し込むロイ。しかし、教会の都合で、結婚は明日の朝に延期になってしまいます。そして、運命の悪戯でしょうか、その夜、ロイから連絡があり、突然の出征を告げられます。

ロイを見送るために、駅に向うマイラ。声を交わすことも出来ず、ただお互い一目見ただけで列車は無情に走り去ってゆくのでした。結局、バレエ公演に遅刻したマイラは、解雇され、彼女を庇う親友のキティ(ヴァージニア・フィールド)も同じく解雇されるのでした。

戦時下の英国には仕事がほとんどなく2人は極貧生活を送っていました。そんなある日、マイラは、ロイの死亡記事を読んでしまいました。すっかり生きる気力を失ったマイラは、キティと共に娼婦の世界に身を落としてしまうのでした。

すっかり、娼婦の生活も板につき、いつものようにウォータールー駅で客引きをしている時に、マイラは信じられない光景に遭遇するのでした。なんとロイは生きていたのでした・・・

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ファッション・シーンに与えた影響

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1940年に公開された『哀愁』は、日本では、1949年に公開され、ガラス越しのキスシーンで話題になった『また逢う日まで』(1950、久我美子主演)や真知子巻きを生み出した『君の名は』(1953、岸恵子主演)といったメロドラマを誕生させるきっかけとなりました。

『哀愁』がファッション・シーンに与えた影響として、特筆すべきものはありません。

しかし、女性にとっての永遠のスタイル・アイコンであるヴィヴィアン・リーが、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラに匹敵するほど、魅力的であるという点において、とても美意識を高めてくれる作品であることは間違いありません。

作品データ

作品名:哀愁 Waterloo Bridge (1940)
監督:マーヴィン・ルロイ
衣装:エイドリアン/アイリーン
出演者:ヴィヴィアン・リー/ロバート・テイラー