芸術を生み出すためには、何かを犠牲にしなければならない
わたしはさそり座です。 さそり座の人間は、私のように自分を食べ尽くし、燃やし尽くすのです。
ヴィヴィアン・リー
ヴィヴィアン・リーは、『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラを演じた直後に、なぜ自殺する娼婦の役を演じることにしたのでしょうか?そして、であるにもかかわらず彼女はどうしてこれほどまでに現代的であり魅力的なのでしょうか?
ヴィヴィアン・リーの魅力。それは眉毛の上がり方の不思議さと、一瞬で表情が変化する表現力の豊かさ、発声の美しさ、そして常人ならぬ魔性のまなざし・・・本当の意味で、魔性をスクリーン上に永遠に刻み付けた女優でした。
それはCMなどでヘラヘラと媚び諂いながら(あざとさを売りにして)要領よく、それなりの芝居を見せる現代の女優(と呼ぶに値するかは別にして)には決して到達することのできない芸術の領域でした。

親友キティを演じたヴァージニア・フィールドが母性愛に満ちた役柄を見事に演じ上げています。
マイラ・レスター・ルック7
ベロアラペル・スカートスーツ
- スカートスーツ、ベロアのラペル、ウエストに二つのベルト
- ボウタイブラウス
- カクテルハット
- ハイヒールパンプス
- ファーの巻物

娼婦に落ちたことを隠し、幸せを掴もうとする女心。

スカートスーツの造形が良くわかるオフショット。

ロイの大邸宅で、母親に紹介されるマイラ。
衣裳をデザインしたエイドリアンとアイリーン

エイドリアンがデザインしたガウン。
本作において、二着のガウンのみエイドリアン(1903-1959)によりデザインされました。エイドリアンは、1929年から1942年までMGMのチーフ・デザイナーを務め、グレタ・ガルボ、ジーン・ハーロー、ジョーン・クロフォード等の衣裳を担当した大物デザイナーでした。

アイリーン
一方、その他の衣裳を担当したアイリーン(1900-1962)は、彼女自身テーラード・スーツを愛用していたので、男物の生地で作ったスカートスーツを衣裳に取り入れたりするセンスの良さには定評がありました。
そして、そのセンスは本作においても発揮されています。このエイドリアンの補佐として衣裳を担当していた時期の仕事ぶりが認められ、1942年から49年までMGMのチーフ・デザイナーを務めることになりました。
マイラ・レスター・ルック8
オーガンザロングドレス
- オーガンザロングドレス

グレタ・ガルボを創造した男エイドリアンらしいデザインです。

夫の財力で得た高価な服を着て、逆に落ち着かないマイラ。

なんとか上流階級に順応しようとするマイラ。
マイラ・レスター・ルック9
プリーツロングガウン
- オーガンザ・プリーツロングガウン
あなたが今想像して、そして、否定したこと。それが真実なのです。
マイラがロイの母親に言う一言

1930年代のハリウッドオーラ全開のデザイン。こういうデザインがこれからは必要なはず!

これぞ永遠のベストカップル!

本作において、ほとんど顧みられることのないエイドリアンのガウン。

実用性はゼロ。しかし、非日常性は1000%。
さそり座のヴィヴィアン・リー

ヴィヴィアン・リーと言えば、吊り上る片眉です。

「ときどき君の目に不安が宿る」というロイのセリフこそ、ヴィヴィアン・リーを構成するすべてです。

撮影見学に来た『風と共に去りぬ』で共演したオリヴィア・デ・ハヴィランドと主演の二人。

そして、ヴィヴィアン・リーが、生まれ変わっても、女優になり、この男と再び結婚したいと言わせた男ローレンス・オリヴィエ。
ファッションとは、結局は、それを着る人の魅力により完結するものです。それは、大きな鏡や自撮り棒のスマホの前で、気まぐれに自撮り撮影された、あのうんざりする同じようなポージングのオンパレードから生み出されるものではなりません。私たちは明らかに、ファッションが何かということについて、その本質を見失っています。
ファッションとは、物真似ではなく、自分自身の個性を追求しながら、他者をも魅了する、生きるアートなのです。その事実を常に確認できるのが、この種のクラシック・ムービーにおいてなのです。そして、何かを闇雲に撮影し、披露するのではなく、真にミニマムに、厳選したファッション感度を示せる人こそが、本当の意味での、洗練された女性なのです。
さそり座の女ヴィヴィアン・リー(1913年11月5日生まれ)は、自分を食い尽くしながら、きわめて厳選した何かを私たちに残してくれました。だからこそ、21世紀になっても、彼女の残した映像は、私たちの心と感性を刺激して止まないのです。
作品データ
作品名:哀愁 Waterloo Bridge (1940)
監督:マーヴィン・ルロイ
衣装:エイドリアン/アイリーン
出演者:ヴィヴィアン・リー/ロバート・テイラー