究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ
ジェームズ・ボンド

ロジャー・ムーア5 『007 黄金銃を持つ男』3(3ページ)

ジェームズ・ボンド
この記事は約6分で読めます。
スポンサーリンク

同じネイビーブレザー

Q(デスモンド・リュウェリン)とムーア=ボンドの関係性が面白いです。

ボンドはQを小バカにしており、Qはボンドみたいなヤツが人間的に一番嫌いだという気持ちがストレートに伝わってきて、微笑ましいです。

何かジョークをかまそうとしている瞬間のムーア=ボンドの表情。

ジェームズ・ボンド・スタイル12 ホップサックブレザーPART2
  • シリル・キャッスル
  • 前出のダブルのネイビー・ホップサックブレザー、ピークドラペル、シルバーカラーの6つボタン、フラップポケット、袖はシングルリンクボタン、ダブルベンツ
  • フランク・フォスターのホワイト・シャツ、カクテルカフス(ターンバックカフス)
  • レジメンタル・タイ、白地にネイビーストライプ
  • 白のトラウザー
スポンサーリンク

そろそろ黄金銃について語ろう

最も有名なシーン。背景にある岩島タプー島は、今ではジェームズ・ボンド島と呼ばれ、観光名所になっています。

心を割って話すと、スカラマンガのラストバトルのファッションは、もっとカリスマ性のあるファッションでいてほしかった。

少しはボンド君を見習って長袖のドレスシャツぐらい着ろよ。

さりげなく黄金の4点セットを見せるスカラマンガ。

スカラマンガ・スタイル4 オールスカイブルー・ルック
  • ライトブルー・コットンポプリンシャツ、ショートスリーブ、ジャケットのようなディテール、エポレット、5つボタン、3つのフラップ付きのパッチポケット、ヨーク、ベルト、ベントあり、オフホワイトのプラスティックボタン
  • スカイブルーのフレアーなコットントラウザー
  • ゴールデン・ブリット・ベルト、ブラウンのフェイク・クロコダイル
  • グッチの白のホースビット・スリッポン
  • ピアジェのゴールドウォッチ

太陽光を克服したクリストファー・リーが、黄金銃とニック・ナックと共に、ジェームズ・ボンドに最後の戦いを挑みます。場所はプーケット近くのパンガー湾にあるピンカン島です。そこには、リーが「日本の水墨画に出てきそうな岩が海から突き出ている」と見事に形容したタプー島が見えます。

さて、本作の題名にもなっている黄金銃について語りましょう。ウォーターマンの黄金の万年筆が銃身、コリブリの黄金ライターが薬室、黄金のシガレットケースがグリップ、黄金のカフリンクスがトリガーになっています。

スポンサーリンク

果たしてグッチとタイアップしていたのだろうか?

これぞボンドスタイル!ホルスターが格好良いです。

このジャケットの裏地もかなり派手なデザインになっています。

テクスチャード加工されたネクタイの質感も素晴らしいです。

南の島では少し暑そうなファッションです。

吉祥天女像とジェームズ・ボンド。

極めて現代的な特徴のある格子柄。

ネクタイをしっかり締めて、ホルスターをしているからこそのボンドスタイルなのです。

かなりハイウエストなトラウザーです。

グッチのレザーベルトとニック・ナック。

ジェームズ・ボンド・スタイル13 格子柄のスポーツコート
  • シリル・キャッスル
  • 黒×白×赤の格子柄のウールのスポーツコート、シングル、2つボタン、ダブルベント、ワイドなノッチラペル、袖はシングルリンクボタン、大きなフラップポケット、派手なバーガンディー・シルクのライナー
  • ブラック・モヘアトラウザー、フロントにダーツ、サイドポケットなし
  • フランク・フォスターのエクリュ色のコットンポプリンシャツ、カクテルカフス(ターンバックカフス)
  • ブラック・シルクタイ
  • グッチのブラックベルト、ゴールドのGバックル
  • グッチのブラック・ホースビット・ローファー、シルバー・ホースビット
  • ロレックス・サブマリーナ-5513

スタッフに日本人のお客様は貴族だと言っています。外見はたしかにいまひとつさえないでしょうが、あの方たちは貴族なんですよ。

アルド・グッチ(1975年)

本作において、ロジャー・ムーアのベルト、ローファー、スーツケース、クリストファー・リーのローファー、ブリット・エクランドのハンドバッグといったものが、グッチで統一されています。恐らく本作品は、グッチとタイアップしていたのでしょう。

1954年にロベルト・ロッセリーニ監督の『イタリア旅行』の中でイングリッド・バーグマンがグッチのバンブー・バッグを持っていたことから、映画界との連携によって知名度を高めていったグッチは、ハリウッドにおいて、ダブルGのステイタスを1960年代に頂点にまで高めていました(グッチ帝国の三男ロドルフォ・グッチは元々は映画俳優であり、その人脈も役に立った)。

仕掛け人は、初代グッチオ・グッチ(1881-1953)の長兄アルド・グッチが1953年にニューヨーク支店をオープンした時からでした。1961年にはジャクリーン・ケネディに愛用され「ジャッキーO」と名付けられるバッグも発表され、同年ロンドン、63年パリ、64年東京、68年ビバリーヒルズ、と急速に世界規模な展開を見せ、そして、74年には香港にショップをオープンしました。本作が製作されたのも同じ年でした(1974年4月18日から8月23日にかけて撮影された)。