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シャーロット・ランプリング3 『愛の嵐』2(2ページ)

    作品名:愛の嵐 Il Portiere di notte(The Night Porter) (1974)
    監督:リリアーナ・カヴァーニ
    衣装:ピエロ・トージ
    出演者:ダーク・ボガード/シャーロット・ランプリング/フィリップ・ルロワ



    「私はあの声と肉体から逃れられない」

    「エロティシズムと死は密接に離れがたい存在である」ジョルジュ・バタイユ

    貴婦人の足を舐める喜び。もはやマックスとルチアの関係は昔の再生ではないという事実。

    ダーク・ボガードが体現するナチス親衛隊の制服の危険な魅力。

    記憶が忘れないのではなく、肉体が忘れてくれない悲劇。あの異常な日々の果てに掴んだ幸せを実感できない不思議な浮遊感。あまりにも強烈な経験をした人は、日常に戻ることが出来ないと言われています。そして、二人は再会し、その肉体が触れ合った瞬間に、二人が失っていたものと、今、まさに再び得たものが何であるかを再認識したのでした。そして、獣のように咆哮を上げ、笑みすらも浮かべながら、12年の年月を埋めるかのように、お互いの肉体を貪り合うのでした(このシーンは、本当にボガードのパンチがシャーロットの顔面に入り、記憶が飛びそうになる中、もはや一線を越えた感覚で二人はノーカット撮影に臨んだのでした)。

    私の存在は、あなたのためにあり、あなたの存在は私のためにあるという関係性に二人は気づいてしまったのです。



    アンドロギュヌスの魅力を知りたければ!これを見よ!

    マレーネ・ディートリッヒの「望みは何かと訊かれたら」( Wenn Ich Mir Was Wunschen Durfte)を歌うルチア=シャーロット・ランプリング。間違いなく、この作品は、このシーンのためだけに存在したと言えるほどに圧倒的なシーンです。ナチスの軍帽を被り、サスペンダーに男性用のパンツを履いたルチアの細い両腕には、アンバランスなロンググローブが装着されています。痩せっぽちの、少女のようでもあり、少年のようでもある肉体とヘアスタイル。ステップを踏むたびに万華鏡のように、少年と少女が現れ、やがて、そこから悪魔の顔も現れてきます。

    この踊りを境に、ルチアを支配していたマックスが、今ではルチアに支配されていることが分かります。マックスは、もはやルチアの肉体なくして生きていけなくなったのです。一方、ルチアも、自分の肉体に夢中なマックスなしには、生きている張り合いが無くなったのです。そうです自分の祭壇に首を捧げる男だけを愛する女になってしまったのです。もはや彼女の人生はこの舞いの延長線上を生きるようになったのでした。

    強制収容所の経験の恐ろしさとは、その経験をしてしまったならば、もう引き返すことのできない、強烈な一歩を踏み出してしまうとこにあるのです。ちなみにこのシーンには、ルチア以外に、収容所の女囚らしき少女たちが何人か親衛隊員の隣に愛人の如く座っています。ここでは被害者だった少女たちが、今では、加害者も同然であることを明確に示しているのです。


    世界を震撼させ、後のファッション・シーンに影響を与えた〝シャーロットの舞い〟。

    山高帽バージョンも撮影していました。

    少年のような小さな胸。まさにアンドロギュヌスの魅力です。

    21世紀の女優たちが、彼女を崇拝するきっかけ。

    この踊りの振り付けを行ったのはアメディオ・アモディオなのだろうか?

    ギュスターヴ・モローの『出現』1876年。

    フランツ・フォン・シュトゥックの『殺人者』。1891年。

    私は今も、この役柄に対してプライドを感じています。

    シャーロット・ランプリング、2016年(「あなたのイメージが、この役柄になってしまったことに対してあなたはどう感じますか?」という質問に対して)

    ギュスターヴ・モローフランツ・フォン・シュトゥックの影響を受けたこのシーンは、ファッション・シーンにおいても、今も尚強烈な影響を与えています。1974年当時、ナチスと強制収容所を題材にしたこのシーンを撮影することは大いなるリスクでした。そして、こんな役柄を演じてくれる女優などそうざらにはいませんでした。今の日本の女優で、これほどの役柄を演じる気骨のある女優が何人存在するのでしょうか?

    シャーロット・ランプリングという女優がなぜファッション・アイコンもしくはスタイル・アイコンとして21世紀に入り益々女性に崇拝されているのか?それは日本のファッション雑誌で取り上げられるスーパー・ライト級の女優たち(ほとんどがコマーシャル女優である)には及びもつかない「骨のある生き方」をしているからです。彼女は、きわめて自然に、生まれた時から、この役柄を演じるために生まれてきたかのように、見事に演じ挙げたのでした。

    だからこそ、このシーンは、21世紀においても、モローやシュトゥックと同等の価値を生み出すに至ったのです。



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