これから俺の名はリトル・ゼだ!
リトル・ゼ・スタイル2
- 黄土色のタンクトップ
- ブルーの短パン
- 黒のスポーツサンダル
ファッションの本質とは、カッコよく生きている人々がある服を着ていることに対して憧れる精神状態にあります。その概念から言うと、モデルのランウェイやインスタで、着せ替え人形のようにスタイリングを披露する行為はファッションではなく、カタログのようなものです。
リトル・ゼという主人公はとんでもない悪党です。しかし、彼は作品の中で実に生き生きしています。そこに、服がついてきます。この服装がチープだからこそ、彼は野生の動物のように躍動して見えるのです。生きるために殺すというよりも、殺すことに慣れているからこそ無思慮に殺す姿。ブラジルだからこそ成立するファッション・センス。シャツに短パンにビーチ・サンダル姿のギャングたちが、三つ揃いの高級スーツを着たマフィアとはまた違ったカッコよさに包まれるのはなぜでしょうか?ここに先述したファッションの本質があるのです。
貧民靴(=ファヴェーラ)に孤児として生まれたリトル・ゼにとって、世界は「神の街」であり、このごみためから抜け出そうとするのではなく、支配しようとするところに彼の美しさはあるのです。「殺しのたびに成長した」青年。ファッションが人間と結びつき昇華する瞬間。それは悪であれ善であれ、どちらにしてもその人間が自分自身を揺ぎ無く信じている生命力に溢れている瞬間にあるのです。
その後の〝神の街〟の青年たち。
2017年に逮捕された青年。『シティ・オブ・ゴッド』の世界をその後15年間生き続け、ファヴェーラのボスになったイワン・ダ・シルバ・マルティンズ(罰名「イワン雷帝」)もそうなのですが、本作でネギーニュを演じたルーベンス・サビーノ(1984-)も2003年以降、逮捕と投獄を繰り返し今に至ります。
ルーベンスは、2003年6月にリオのバスの窓からジャンプして女性のハンドバッグ(中には携帯電話と9ドル)を盗もうとし、現行犯逮捕されました(上の動画を参照。リオ・オリンピック当時のストリート・チルドレンによる路上強盗の実録動画)。
この作品に登場するプロの俳優は、セヌーラ役のマテウス・ナッチェルガリ以外は、全員アマチュアです。メイレレス監督が、〝神の街〟で映画出演者を募集し、2000人以上集まった応募の中から4ヶ月かけてオーディションをし、200人を選び出しました(2000年に黒人のプロの俳優はほとんど存在しなかった)。そして、半年間毎日合宿の形をとって芝居についての指導をしたうえで、メインキャストとなりうる数十人を選抜し、さらに4ヶ月のトレーニングを施し、短編を撮影した上で、本作に挑んだのでした。
ちなみにもう一人の主人公ブスカペを演じたアレクサンドル・ロドリゲス(1983- )自身も「神の街」の住人であり、初体験のシーンの撮影までシャワーや熱いお湯を体に浴びたことがありませんでした。
さらに白人の麻薬ディーラー・セヌーラを演じたマテウス・ナッチェルガリ(1969- )は、当時すでに有名な俳優でした。アマチュアのキャスティングに固執していたメイレレス監督は、実際のセヌーラのモデルであるアイウトン・バタータが黒人だったこともあり、当初は配役に全く適していないと考えていたが、「他のアマチュアのように扱ってください」という熱意に打たれて配役にくわえたのでした。そして、マテウスは、実際3ヶ月間「神の街」に引越しして、役作りに励みました。この作品のセヌーラの不思議な存在感(弱そうなのになかなか死なないしぶとさ)は、そんなプロの俳優が生み出した熱意と行動力の賜物だったわけなのです。
歯をむき出しに高笑いしながら人殺しをする少年=リトル・ダイス
リトル・ゼがリトル・ダイスだった時代の姿が強烈過ぎます。「銃をぶっぱなすたびにヤツは成長した」というセリフの説得力全開に、歯を剥き出しに高笑いしながら拳銃を撃ちまくるシーン・・・『説得力』あるこの少年の凄みはなんだ?汗だくになった上半身裸に短パン姿の少年が拳銃を撃つ姿が、芸術性を感じさせるのは何故だろうか?それは間違いなく、真実ではない姿がこの映像を支配していることを私たちは感じ取っているからなのです。
メイレレス監督自身も、血だらけの殺害風景を見せるハリウッド映画などを嫌悪しているように、彼の意図は明らかに、ファヴェーラの物語を神話として描こうと演出しているのです。だからこそ、少年に拳銃を持たせ、かくも美しくも狂気にはらんだシーンを撮影することが出来たのでした。全ては最後には想像力に委ねる事が、芸術と呼ばれるものに共通する点です。
本当のストリート・ファッション。
リトル・ゼ・スタイル3
- ネイビーブルーのTシャツ。ショルダーに赤と白のライン
- 薄い水色の短パン