60年代元祖小悪魔女優・新井茂子!!
1961年、東映東京撮影所に、突然、一人の若い浪人が現われた。椿三十郎ではない、剃刀で切ったカッティング、ダンモ(モダンジャズ)の乗っかるシャープな映像、石井輝男監督である。『花と嵐とギャング』『霧と影』『黄色い風土』、それらは、混乱の中で衰弱した自然主義的イメージをせせら笑うように、いかにも燦然とカッコよく見えた。まさしくそうみえたのである。
深作欣二 1965年
とにかく斬新なシーンです。拍子抜けするほどにムーディーなモダンジャズを背景に、踊りながら話すバカップル二人。カメラアングルも絶妙なこのシーンは、この作品の中でも最もクールなシーンのひとつと言えます。そして、この空気こそが、今の日本の映像(テレビ、CM、映画)の多くがほとんど追随しているオシャレ系映像の原型なのです。
しかし、こういった表情が、日本映画で上手く使いこなされている作品はなかなか存在しません。そして、カットのつなぎも絶妙です。この作品が、日本でも有数のオシャレムービーと言えるのは、新井茂子(1943-)の存在が大きいと言えるでしょう。この作品以外には、ほとんど知名度のある役柄を演じていない東映の女優さんなのですが、この作品の彼女は、現代の基準から見ても、〝天然の愛すべきバカ娘〟であり、表情がイチイチ可愛らしく、タイムレスな輝きに満ち溢れています。
ちなみにひとつ興味深いシーンがあります。足の爪を彼氏に切らせている彼女が、足の裏を擽られて「きゃ~~エッチね!」というシーンです。エッチという言葉は80年代に流行した言葉なのですが、どうやらこの言葉は60年代初めにおいても当然のように使用されていたみたいです。
小宮光江の和洋折衷の存在感
「女なんて命がけで手に入れるほどの貴重品じゃないわ。」という名台詞を吐く、佐和に扮する小宮光江の着物姿があればこそ、ギャングという存在もとってつけた感じにならなくて済んだのです。逆に言うと、日本人女性にとって、着物の魔性を手にした人にだけ、洋装の魔性は手に入ると言うことなのです。
小宮光江(1936-1962)という女優は、本当に魅力的なのですが、本作公開の翌年1962年1月20日にガス自殺で亡くなりました。この人が生きていたら、最低でも佐久間良子、三田佳子クラスの女優へと大成したことでしょう。