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『去年マリエンバートで』Vol.1|ファッション業界にもっとも影響を与えた映画

その他の伝説の女優たち
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ファッション業界にもっとも影響を与えた映画

ココ・シャネル(1883-1971)は、1931年に、ハリウッドの大物プロデューサー、サミュエル・ゴールドウィンに招かれ、年二回渡米してハリウッド・スターの映画の衣裳と私生活の衣服をデザインするという契約を結びました。報酬は当時の金額で100万ドルという破格のものでした。

そして、グレタ・ガルボに迎えられ、ハリウッドに上陸したココ・シャネルは、グロリア・スワンソンやマレーネ・ディートリッヒの衣裳を担当したのでした。しかし、非日常的な豪華絢爛な衣裳を求めるハリウッド・スターと、現実的な美の創造を求めて、シンプルなデザインを心がけるココ・シャネルの意見の相違により、一回きりでシャネルは、ハリウッドのデザイナーとしての役割を終えることになりました。

去り際にシャネルが言い放った有名な言葉があります。「ハリウッドは、お尻とおっぱいの聖地だった」。

その後、ココ・シャネルが映画の衣裳に協力することは極めて稀な事となりました。『去年マリエンバートで』は、そんな希少で、シャネルの衣裳が映画の中で最も輝いた作品でした。アラン・レネはただシャネルに「1920年代のサイレント映画の洗練された美学を投影した衣装」とだけ希望を出したのでした。

この作品ほどファッションフォトやキャンペーンムービー、ランウェイ、デザインといったあらゆるファッションに関わる物事に対して、現在に至るまで、影響を与え続けている作品はありません。

1964年日本公開当時のポスター。そこには、「愛の真実をえがいた」映画であると記されています。

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ファッションの本質とは、「美しさ」よりも「不気味さ」です。

シュライスハイム城の庭園に点在する三角錐のようなオブジェ(撮影時にアラン・レネが仕込ませたもの)。

そして、ニンフェンブルク宮殿の庭園で撮影されたこの有名な不気味な人影は、地面に描かれたものでした。

映画だけが生み出せるモノの究極を作ろうとしたそのベクトルが、現在よりも遥かに崇高だった時代の作品です。それはアメリカン・コミックを映画化することではなく、映画だけが生み出しうる芸術を創造しようとしたものでした。

(黒澤明の『羅生門』(1950)に触発された)ヌーヴォー・ロマンを代表する作家アラン・ロブ=グリエによる脚本をアラン・レネが監督し、1960年9月から11月にかけて撮影され、1961年度ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しました。

その映像センスの高さゆえに、のちにTVCMやミュージック・ビデオ(「トゥー・ジ・エンド」ブラーなど)に与えた影響は計り知れません。

アラン・レネは、本作の撮影を開始する前に、そのイメージとして撮影スタッフに、1920年代の二つのフレンチ・サイレント・ムービーを提示しました。ひとつは1923年にポール・ポワレが衣裳デザインを担当した『人でなしの女』であり、もうひとつは1928年の『ラルジャン(金)』でした。

しかし、この作品にココ・シャネルと同レベルの化学反応を生み出したのが、主演女優デルフィーヌ・セイリグの実兄フランシス・セイリグによる、迷宮を彷徨うような不気味さと美しさが同居したオルガン音楽でした。彼は「トゥーランガリラ交響曲」のオリヴィエ・メシアン(アラン・レネは当初メシアンに作曲を依頼していた)に師事していました。

特に、オルガン音楽の合間に唐突に流れる、オープニングと、演劇が終わった拍手の後と、物語1時間過ぎに壊れたパンプスを脱いだ後に流れる、一転して、優雅なるワーグナーのような響きがとても美しいです。

アルフレッド・ヒッチコックが、自分の監督作品のようにワンシーンにだけ登場しています。

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デルフィーヌ・セイリグのデビュー作。

映画デビュー前のデルフィーヌ・セイリグ。

デルフィーヌ・セイリグ(1932-1990)は、映画デビュー作において、見事に自分自身の全ての魅力を封印した稀有な女優でした。

当初アラン・ロブ=グリエは、主人公にキム・ノヴァクを希望していました。しかし、監督のアラン・レネは、1959年に、ニューヨークのオフ・ブロードウェイで、ヘンリック・イプセンの『民衆の敵』を見た時に、ある女優に惹きつけられたのでした。その女優こそが、デルフィーヌ・セイリグでした。

デルフィーヌ・セイリグは、ピカソの親友だった考古学者の父親と母親の間でフランス統治下のベイルートに生まれました。第二次世界大戦中、一家はニューヨークに移住し、やがてパリに移住した時に、演技に夢中だったデルフィーヌはフランス国立高等演劇学校(ジャンヌ・モローやジャン=ポール・ベルモンドも学ぶ)に入学しました。

卒業後、グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッヒ、イングリッド・バーグマンのような女優になることを目指し、1952年から55年にかけてパリで舞台女優として活躍し、1956年に、マーロン・ブランドの『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラを演じたいという想いを胸に、ニューヨークに渡り、アクターズ・スタジオに参加しました。そして、『民衆の敵』に出演しているときに、チャンスは巡ってきたのでした。

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デルフィーヌ・セイリグとマリエンバート・カット

本当のデルフィーヌ・セイリグはこちら。

元々の美貌は『ミスター・フリーダム』(1969)『ロバと王女』(1970)『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)『ジャッカルの日』(1973)において確認出来るのですが、この作品のデルフィーヌは何かが違うのです。それはレネにより、全てのキャストが感情を抑えたマネキンのような動きを要求されたためだけではありません。

貴重なカラー写真。

マリエンバート・カットを後ろから。

それは、カラー写真で確認される魔女のような濃いメイクアップとこのヘアスタイルのためです。


そのヘアスタイルは限りなく1910年代後半から20年代前半にかけてのココ・シャネルを彷彿とさせるものでした。


もともとアラン・レネは、セイリグが演じる役柄に、ルイーズ・ブルックスが男たちを次々と破滅させていくファム・ファタールを演じた1929年のドイツ映画『パンドラの箱』の主人公ルルのヘアスタイルとメイクアップを取り入れようと考えていました。しかし、セイリグは、自分の役柄に対するインスピレーションを優先し、独断でヘアカットしたのでした。

その時にセイリグの頭にあったのは、ルイーズではなく、1920年代のもう一人のアイコンであるココ・シャネルでした。そして、このセイリグのショートカットは、「マリエンバート・カット」と呼ばれ欧米で一大ブームを巻き起こすことになったのでした。

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女Aのファッション1

ブラックシフォンロングドレス
  • デザイナー:ココ・シャネル
  • ブラックシフォンロングドレス
  • ネックレスを重ね付け
  • イヤリングはなし

一番最初にはっきりと女Åが登場するシーン。

ドレスの全体的なシルエット。

アンドロギュヌス的な雰囲気を漂わせるデルフィーヌ。

撮影当時28歳だったデルフィーヌに、年齢不詳感を出すため、念入りなメイクアップが施された。

ドレープが美しいこのブラックドレス。

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ブリジット・バルドーが愛したドレス

1962年。元祖ロックンローラー・ヴィンス・テイラーとシャネル・ドレスを着たブリジット・バルドー

私は私自身に年(1961年)の暮れにとびきり素晴らしいプレゼントを贈ることにした。自分でやるのでなければ、こんなことはできないだろう。私は、アラン・レネの『去年マリエンバートで』を見て、感激した。中でデルフィーヌ・セイリグが「シャネルNo.5」よりも10倍も素晴らしいシャネルのドレスを着てうっとりするような役を演じていた。それで私はそれと同じドレスを着たいと思って、シャネルに行った。するとココ・シャネル自身に迎えられたのである。

最上階にある、あの卓越したデザイナー専用の神聖な場所に招き入れられ、とんでもなく気後れしていた私は、思いがけなく気さくで、人間味あふれ、そしてもちろんエレガントで魅力的なココと会った。彼女は、容姿をないがしろにする風潮に反発し、女性はその生涯のいかなる時期においても身だしなみに気をつけ、可能な限り魅力的でなければならず、自分はそのために戦っていると話してくれた。部屋履きやバスローブ、部屋着をだらしなくしているなんてとんでもない、そういうものこそ素敵にエレガントでなければならない、女性は朝から晩までいかなる時でも、完璧で美しくなければならないとも言った。

私は自分がすこし恥ずかしくなった。それでも、私は彼女のためにすこしはきれいにしていたのである。私はデルフィーヌ・セイリグと同じドレスが欲しいという気持ちを説明した。ココ・シャネルは私のサイズを測り、ドレスをプレゼントしてくれた。

ありがとう、シャネル。あの贈り物は生涯忘れない。

ブリジット・バルドー自伝

この作品が、公開当時フランスで与えた影響の大きさを語るにおいて、このバルドーの言葉以上にその衝撃を伝える言葉は存在しないでしょう。本作に登場する五種類のブラックドレスは、「ドレス・ア・ラ・マリエンバート」と呼ばれました。

デイリーユースな衣装だが、同時に20年代の映画スターを想起させるようなモダンでタイムレスなエレガンスを表現した。

このドレスについてココ・シャネル

作品データ

作品名:去年マリエンバートで Last Year in Marienbad / L’Année dernière à Marienbad (1961)
監督:アラン・レネ
衣装:ココ・シャネル
出演者:デルフィーヌ・セイリグ/ジョルジュ・アルベルタッツィ/サッシャ・ピトエフ