悪夢に出てきそうな「ベッティーナ・ブラウス」
タコの吸盤のような、何か水木しげるの妖怪にでもいそうな〝昭和の負のテイスト〟が充満するフォルムを持つこのブラウス。一度見たならば消して忘れることの出来ないブラウス。このブラウスの名前となった〝ジバンシィのミューズ〟ベッティーナ・グラツィアーニの雰囲気がまた、岸田今日子的な只者ならぬオーラが出ていて、ファッションモデルがエレガントに着る服というよりも、祈禱師が着る儀式のための服が、カジュアルにモード変換され、解釈されたような印象を与えます。まさに悪夢に出てきそうな服です。
写真によっては到底美人ではなく、美とは明らかに異質の存在感があり、男を夢中にさせる雰囲気を持つ女性ベッティーナ。このブラウスの造形の奇妙さが更に倍化させる不安感。その手を振り回したならば、催眠術にかけられそうな、何か精神崩壊をじんわりと導くような黒いひだ飾りと、コットン・ポプリン製の男性用ワイシャツ地による清潔感溢れる全体の不思議な組み合わせ。そこに、カーキのギャバジン素材のペンシルスカートのアンサンブルにより、モード感が付与されます。1つの新しい世界観を示したファションの始まりです。
この「ベッティーナ・ブラウス」は、ジバンシィ創立40周年を記念して、香水アマリージュが発売された時、そのボトル・デザインに反映されたほど、今でもコレクションにおいて、様々な解釈を加えて、発表されるジバンシィの至宝の一品なのです。
ジバンシィを成功に導いた3人。
一人は、ユベール・ド・ジバンシィ自身。そして、もう一人は、オードリー・ヘプバーン。最後の一人は、ベッティーナ・グラツィアーニ(1925-2015)によってでした。彼女は身長は150㎝ちょっとでありながら、スタイル面の欠点を、街で見かける女性のような自然の初々しさでカバーしました。25歳にしてフランスで最も有名なモデルになったベッティーナは、当時『ヴォーグ』において、「エディターやフォトグラファーの受けがいいばかりか、フランス人マヌカンとの出会いをずっと夢見ていた男たちの心もすっかり虜にした」と紹介されました。
ベッティーナがその才能に惚れこんでいた、ユベールが独立し、メゾンを創立する時には、モデルとしてだけでなく、ショーの運営責任者として、服にアイロンをかけ、席の配置を考え、コーヒーを作り、そして、広報の仕事とバイヤーに対して服を売る役割も果たしました。アイヴィ・ニコルソンなどのトップ・モデルに出演を依頼し、エディターにショーへの出演を働きかけたのも彼女です。性格が良く、友人の多かったベッティーナがいなければ、ジバンシィは存在しなかったかもしれません。
1955年引退し、パキスタンのプレイボーイ、アリ・カーン(1911-1960)と交際するも、1960年に自動車事故で、アリは即死し、ベッティーナは子供を流産してしまいます。1967年ココ・シャネルの1967年サマー・コレクションにモデルとして一夜限りの復活を果たし、後にエマニュエル・ウンガロのオートクチュール・ディレクターにもなります。更に、アズディン・アライアやヨージ・ヤマモトからミューズとして崇められPRに協力したりもしました。そんな彼女が残した言葉が、これです。
「最近、若い女性達は昔よりずっと美しいです。でも、彼女たちのどこがファッショナブルなのか私にはどうにもわからないのです・・・」