オードリー・ヘプバーンとイーディス・ヘッド
マレーネ・ディートリッヒと同じように、オードリーの仮縫いも十分ではすまず、むしろ十時間かかった。彼女は自分をどう見せたいか、どうすればいちばんよく見えるかを知っていたが、それでいて尊大な態度を示したりうるさく注文をつけたりはしなかった。あのかわいらしさと優しさを見せられると、一人娘を校内ダンス・パーティに送り出す母親のような気分にさせられたものだ。
イーディス・ヘッド
「普通の女の子よりも一歩だけ先に行く」これがイーディス・ヘッドの衣裳哲学でした。
ローブ・デコルテとティアラで、理想的な若き王女の姿を生み出したすぐ後に、寄宿学校の娘たちが着るようなネグリジェを着せて、王女の等身大の我侭な少女の姿も描き出しました。この事により、3段階変化で、アン王女が一日限りの女の子アーニャに変身を遂げていく姿に対して、私たちは違和感を覚えることなく入りこむことが出来ました。
イーディスが一番苦心した衣裳がアーニャの衣装でした。衣裳イメージの決め手となったのは、オードリー・ヘプバーン自身のアドバイスでした。彼女の普段着を参考にして、王女であるならば、最新の流行には無頓着なはずだという発想で生み出されたファッションがアーニャ・ルックでした。
アン王女のファッション9
アーニャ・スタイル
- コットンのプレーンブラウス。チョークストライプ。ボウタイ付き
- ブラウンのサーキュラースカート
- オードリーのアドバイスで取り入れたブラウンの太ベルト
- 白のショートグローブ
- ローヒールパンプス
普段からオードリーは、男性用のオーバーサイズの白いシャツに、黒系のフレアスカートを合わせ、細いウエストを太いベルトで強調するスタイルが好きでした。そして、バレリーナ時代から愛用していたバレエシューズを合わせていました。
当時フラットシューズを履くヒロインは映画では珍しかったのですが、アン王女はアーニャとして、堅苦しいパンプスからフラットシューズに履き替える選択をしました。
『ローマの休日』は、スタイリングの教科書
ローマの街角で普通の女の子に変装したお姫様という設定なんです。だから、違和感のないようにシンプルな衣装にしたんです。
イーディス・ヘッド
アン王女からアーニャへと変わる姿。この作品の素晴らしさは、アーニャの衣装は、パジャマを除けばこのコットン・ブラウス×サーキュラースカート一組だけということです(終盤で、ジョーのアパートでガウンを着るのですが、もうその時点では、精神的にアン王女に戻っている)。しかし、映画を見ていると、衣装が3回ほど変わっている錯覚を覚えるのです。
女性の心の変化をファッションに託す。そんなファッションの本質が、散りばめられています。
ペラペラの素材で大量生産された、サイズ感も合っていないユルいシルエットの衣服では決して表現できないファッションの流儀、それがスタイリングです。
同じブラウスがちょっとした工夫によって、アーニャの全体の雰囲気まで変えてゆきます。スタイリング=着こなしとはどういうことかを教えてくれるのが、この作品の魅力でもあるのです。
ひとつひとつの変化を楽しむ=ファッションを楽しむ
オードリー・ヘプバーンは、女性たちをどれほどの重圧から解放したことか。美人だと思われようとして頭が空っぽなふりをする必要はもうなくなったのだ。
『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンを初めて見た若い女性の半分は、ブラに詰め物をするのも、無理をして細いハイヒールで歩くのもやめた。
ニューヨーク・タイムズ
アーニャの着こなしの変化の過程を見てみましょう。ショートグローブを手に取り(恐らくエルメスと思われる)ジョーのアパートメントから、真っ昼間のローマの市場に繰り出します。アン王女が、その存在を隠すために、そして、何よりも自分がしたかったことは、2つのことでした。
- ポケットに手を突っ込んで歩くこと
- 堅苦しい靴から、楽なグラディエーター・サンダルに履き替えること
そして、ローマの休日ははじまる
ハイウエストのスカートにあまりを残さないようにブラウスをシャツインした、隠し切れない育ちの良さに包まれたアン王女が、市井の人々が生きる市場の空気に触れ、ポケットに手をつっこみます。この時、アン王女はアーニャになりました。
そして、すぐに袖を軽くまくりあげます。市場で最後にしたことは、靴を買うことでした。ローヒールパンプスからフラットシューズに履き替えたのでした。靴によって、アーニャのスタイリングは一気に加速していきます。一人の女性の雰囲気が一組のシューズで変貌する姿を私達は目撃するのです。
次に、トレビの泉近くの美容室でヘアカットしたアーニャは、スペイン広場に向かいます。向かう途中で、ブラウスの袖をさらにまくりあげ半袖のようにロールアップします。しかし、まだボウタイはきっちり付けています。
ジェラートを購入し、広場の階段の端に座った時に、アーニャははじめてボウタイを外し、胸元を開き、「あ~空気がおいしいわ」という風に顎を上げて、広場の開放的な空気を満喫するのです。さぁ、ローマの休日のはじまりです。
コンプレックスを生かすのが、オードリースタイル
(オードリーの)バレエで鍛え上げられた脚を隠すためにロングスカートを履いてもらいました。さらに細い腕をカモフラージュするために袖をロールアップした無地のブラウスを着てもらい、鎖骨から注意をそらすためにスカーフを使用しました。
イーディス・ヘッド
コロッセオ観光を終えて、べスパに乗るシーンで、アーニャははじめてハンカチーフを首に結びつけます。そして、「真実の口」のシーンで、アーニャのブラウスの袖はフレンチスリーブ風になります。開放的なスタイリングが彼女の〝自由を謳歌する姿勢〟の後押しをするかのように、べスパを暴走させたり、アーニャはお転婆娘のような無邪気さに包まれてゆきます。
特にオードリーの麒麟のような長い首に、巻きつけられるハンカチーフが印象的です。それは野生の美少女のような健康美に満ち溢れています。しかし、この長い首がすごくチャーミングに見えるのは、ウィリアム・ワイラー監督が提案した胸パッドの使用を、オードリーが拒否したことによって生まれたと言えます。
長い首に、ブラウス越しでもわかるぺっちゃんこの胸。ありのままの姿を見せるその清々しさが、オードリー・ヘプバーン=〝妖精〟というイメージを生み出したのでした。つまりは、飾らず生きる姿勢が、50年代の女性の大いなる共感を勝ち取ったのでした。
オードリーのコンプレックスと言えば、角張った顎でした。本作においてオードリーのヘアメイクを担当したのが、後に『昼下りの情事』『シャレード』『おしゃれ泥棒』『いつも2人で』といったオードリー作品のヘアメイクを担当することになるアルベルト&グラツィア・デ・ロッシ夫妻です。
ちなみにアルベルト曰く「オードリーは美しい骨格の持ち主だったので小細工は必要なかった」とのことですが、顎のラインが強すぎたので、それを隠すためにこめかみを強調したと言葉をつないでいます。さらに、オードリーの眉毛を薄くしすぎないように気をつけていたとのことです。
作品データ
作品名:ローマの休日 Roman Holiday (1953)
監督:ウィリアム・ワイラー
衣装:イーディス・ヘッド
出演者:オードリー・ヘプバーン/グレゴリー・ペック/エディ・アルバート