現代よりも優雅なシルエットを誇るナイトガウン
アルレット・スタイル3 ナイトガウン
- パールカラーのナイトガウン
こちらが本物のアルレットのナイトガウン姿です。
とんでもなくクールなトラベラーズ・スタイル。
アルレット・スタイル4 トラベラーズ・ルック
- 白ソフトハット
- 白のロングコート、コンケーブドショルダー
- 白のデイドレス
- 白のレザーグローブ
- 白のセパレートハイヒールサンダル
- 白のクラッチバッグ
- 一連のパールネックレスとパールイヤリング
実用性を一切無視したイヴ・サンローランらしいデザインです。旅行着として最もタブーなカラーであるオールホワイトを使い、アルレットという女性の<大便をしないで生きている>天上人オーラを生み出しています。
スタヴィスキー事件とは
本作は、1933年末という、第二次世界大戦前夜に、フランスで起こった疑獄事件「スタヴィスキー事件」を題材にした作品です。1933年とは隣国ドイツにて、アドルフ・ヒトラー率いるナチ党が政権を取った年でした。そんな中、フランスは左翼と右翼の対立が激化していました。ジャン=ポール・ベルモンドが演じるアレクサンドル・スタヴィスキー(1886-1934)は、ウクライナ・キエフ出身のユダヤ人です。彼は、混迷の中、1931年にフランスの地方都市バイヨンヌに市立信用金庫を設立し、5億フラン(1000億円)を超える巨額の債券を発行し、莫大な富を稼ぎました。
しかし、1933年12月末、この信用金庫が倒産し、多額の詐欺行為の事実が露見します。そして、1934年1月3日に、カミーユ・ショータン左派内閣の閣僚が関与していることが分かり、激しい批判に晒されることになりました。肝心の当事者のスタヴィスキーはすでにパリを脱出していたのですが、1月8日にスイス国境のシャモニーの別荘にて、頭に銃弾を受けた死体で発見されました。
そして、1月27日、ショータン内閣は総辞職し、30日、エドゥアール・ダラディエを首班とする内閣が成立しました。しかし、スタヴィスキー死去の原因解明に消極的な警視総監の解任を巡り、2月6日の夜、反政府デモが勃発します(1934年2月6日の危機)。右派勢力は、ムッソリーニのローマ進軍や、ナチスのミュンヘン一揆の再現を目指したのですが、失敗し、死者16名を出しました。翌日、ダラディエ内閣は総辞職し、70年間続いた第三共和政は、1940年の崩壊に向けて進みだしました。
ちなみにスタヴィスキー事件で、妻のアルレットも逮捕されたのですが、1935年11月から始まった裁判の結果、無罪となりました。彼女は元々はシャネルのドレス・モデルで、スタヴィスキーとの間に二人の子供を設けていました。1936年初めに二子を連れて渡米し、ファッションモデルとして活動するも、同年10月にパリに帰国し、宝石と毛皮を売却するほどの生活苦に見舞われます。そして、ナチス・ドイツ占領下のパリを生き延び、アメリカ人と結婚し、プエルトリコで余生を過ごし、1988年、85歳で死に天寿を全うしました。