N°19(No.19)
N°19 N°5(1921)を発表したことが遠い昔の出来事になったガブリエル・ココ・シャネル(1883-1971)にとって、第二次世界大戦中の没落から奇跡のカムバックを果たした1954年2月5日という日を象徴する香りを創造する事は宿願でした。それは新しい『No』フレグランスを創造する事を意味しました。
しかし、シャネルのオーナーであるヴェルテメール兄弟は、新しい『No』フレグランスの誕生が、N°5の売り上げにマイナスの影響を与えると考え、マドモアゼル・シャネルの要求に対して首を縦に振りませんでした。
時は過ぎ、ようやく、その望みが叶うことになった時、マドモアゼルは80代になっていました。そして、自らの死期が近いことを知り、親しくしていたVIP顧客と友人に、〝最後のお別れ〟の挨拶を香りに託しプレゼントするためのプライベート・フレグランスとして、シャネルの二代目調香師アンリ・ロベールに〝宿願の香り〟を調香させたのでした。
折しも、1969年にマドモアゼル・シャネルの生涯をブロードウェイ・ミュージカルにした『ココ』が上映され、大成功を収めました。キャサリン・ヘプバーンがココ・シャネルに扮したこのミュージカルにより、シャネルは再びアメリカで一大ブームを巻き起こしたのでした。
ついに時が来たのです!新しいフレグランスの発売が決定しました。

モデル:Princess Mara Ruspoli、1975年 ©CHANEL
最後のガブリエル・ココ・シャネルの香水

シャネルのアイリス畑 ©CHANEL

©CHANEL
香水は一発パンチを食らわすようなものでなくちゃね。・・・匂うかどうか、三日間も嗅ぎ続けるつもりはないわ。そしてボディ(ミドルノート)がしっかりしていなくちゃだめ。香水のボディをしっかりさせるためには、一番高価な素材が肝心。
ガブリエル・ココ・シャネル(N°19についての言葉)
1970年8月19日、ガブリエル・ココ・シャネルが87回目の誕生日を迎えたその日に「N°19(No.19)」は完成しました。そしてその年のクリスマスに、スイスの(香水のセンスが良い人々が集まる)お店で、最初はひっそりと、約15年ぶりに登場したシャネルの新しいフレグランスがテスト販売されました。
自身の誕生日である1883年の獅子座の8月19日から、香水の名は、N°19と命名されました。そして、ジャック・エリュがデザインしたN°5のボトルに入れられました。同じボトルを利用することについては、全く議論はなく即決で決まりました。
この香水が発表された数週間後の1971年1月10日にマドモアゼルは死にました。ガルバナムとアイリスが氷のように微笑むグリーンシプレの香りは、まさに〝最後のシャネルの香水=世界中の女性に対してのシャネルの遺言〟と言えます。
当初、この香りは「ココ」という名で販売される予定で、ラベルも注文されていました。しかし、最後の最後でマドモアゼル・シャネルは、その名を「No.19」としました。
2011年に、N°19はある日突然「復活の日」を迎えることになった。

1981年 ©CHANEL

1986年 ©CHANEL
香水史上グリーンノートの人気はホップステップジャンプの三段階で上がってゆきました。まず最初に、ゲランの「夜間飛行」(1933)がその扉を開き、カルヴェンの「マ グリフ」(1946)とバルマンの「ヴァン ヴェール」(1947)が若い世代に向けて解き放ち、シャネルの「N°19」が決定的なものにしました。
セリ科の植物で、ヒヤシンスのような匂いを持つイラン産のガルバナム(古代エジプトではミイラの防腐剤として使用されていた)の爽やかなグリーンノートを、(アイリスの希少な品種であるパリダを3年かけて自社栽培し、その後さらに3年かけて乾燥させた根っこからわずかに得られる)アイリス・アブソリュートにより、甘くパウダリーに和らげるという奇跡のバランス。
〝グリーンとホワイト〟のアンバランスなバランスを、シプレのラストノートが包み込んでゆく斬新なグリーンフローラルがNo.19の特徴です。
この香りは、ウーマン・リブ運動の真っ只中の欧米において、ココ・シャネルのイメージとも合致した女性上位時代を体現するフレグランスとして、一世を風靡しました。
そして、時が経ち、2011年にN°19はある日突然「復活の日」を迎えることになるのでした。「N°19プードレ」として、ジャック・ポルジュとクリストファー・シェルドレイクにより、21世紀バージョンにアレンジされました。