4作目 モンテカルロへ行こう(1951年)当時22歳
『モンテカルロへ行こう』において翌年(1952年)撮影されることになる『ローマの休日』のアーニャの原型が登場します。
フレンチスリーブのシャツに、ラップスカートとフラットサンダルをコーディネートしたオードリーのヘアスタイルは、イタリアンボーイ・カット(=ヘップバーン・カット)です。
そして、三着のクリスチャン・ディオールのドレスを着るシーンもあります。
オードリーがこの時、撮影のために一ヶ月間モンテカルロに滞在したことが、彼女が後にスターになるチャンスを得る大きな出会いを生み出すきっかけになったのでした。
『モンテカルロへ行こう』のオードリーについての詳細はオードリー・ヘプバーンのすべて【1951】後編と「モンテカルロへ行こう」をご覧ください。
5作目 初恋(1952年)当時23歳
オードリーが、映像の中で、唯一本格的なバレエを披露している作品『初恋』です。この作品によってオードリーは、はじめて本格的な役柄を手にすることになります。
『初恋』のオードリーについての詳細はオードリー・ヘプバーンのすべて【1952】をご覧ください。
主演第1作 ローマの休日(1953年)当時24歳
そして、オードリー・ヘプバーンは偉大なるローマへの道へと辿り着いたのでした。1952年6月23日から10月11日にかけて撮影が行われた『ローマの休日』の中で演じたアン王女役により、オードリーは、永遠のプリンセスになったのでした。
イーディス・ヘッドがデザインしたローブ・デコルテ・ドレスに身を包むオードリー。その荘厳なティアラと同じくらいカリスマ的な存在感を誇るのが、スカートの下で秘かに脱いだパンプスなのです。
王女様も人間なのですということを示してくれる「も~~パンプスって大嫌い!足が痛いんだもの!」というこのシーンによって、世界中の女性の共感を勝ち取れたからこそオードリーは永遠の庶民のプリンセスになり得たのかもしれません。
今見ても、うっとりさせられるこのドレスは、ヴィクトリア朝風でありながら、オードリーのトルソーのように細いモデル体型を生かしに生かした現実味のないシェイプで構成されています。驚異的なウエストの絞りとボールガウンの膨らみの対比が、痩せっぽちでのっぽなオードリーの肉体的コンプレックスを神話のような美しさへと昇華させる役割を果たしたのでした。
ブラウスにサーキュラースカート=永遠の美。
現代においても、ブラウスとサーキュラースカートでシンプルな着こなしの出来る女性は、ブランド品で身を固める女性よりも一目置かれます。
さて、一番上の写真と二枚目の写真において、衣装はシューズ以外まったく同じなのですが、スタイリングの違いによりその雰囲気は全く違ったものに見えます。そして、これこそが、婦人服を売る販売員たちが見習わないといけないスタイリングの魔術なのです。今、服が売れないのは、まず第一に、販売員自身のスタイリングが、お客様に対して魅力的でないということと、第二に、お客様に対してのスタイリングの提案すら出来ていないからではないでしょうか?
それにしても、コットンのプレーン・ブラウスに、サーキュラースカート、太ベルトのアンサンブルがとてもすばらしいです。
この作品によって、フラットシューズを履くヒロインという、当時の映画では珍しい役柄をオードリーは演じることになるのでした。そして、このフラットシューズこそが、170cmという高身長のオードリーにとって、コンプレックスの裏返しとなるトレードマークとなるのでした。
ニュールックの見本
そして、ラストシーンで登場するクリスチャン・ディオールのようなフローラル刺繍のホワイト・レース・ラップ・ドレス。それは映画の中のニュールックでもあり、アン王女の凛とした気品を後押しする衣裳として、どこか着物の匂いを感じさせます。
ここに、オードリー・ヘプバーンは、永遠のプリンセスとしての戴冠式を披露することになりました。彼女の素晴らしいところは、そのイメージを永遠に損ねることなく、それ以後の女優人生を全うしたところにありました。ここには、まだユベール・ド・ジバンシィは登場していません。しかし、ジバンシィがいなくても、すでにオードリーは、永遠のファッション・アイコンとしての説得力に満ち溢れていたのでした。
『ローマの休日』のオードリーについての詳細はオードリー・ヘプバーンのすべて【1952】と『ローマの休日』1(マリア・カラスとパジャマルックについて)、『ローマの休日』2(ローブ・デコルテ・ドレスについて)、『ローマの休日』3(ヘップバーンカットについて)、『ローマの休日』4(ブラウスルックについて)をご覧ください。