ダイアナ元妃が愛したジェームズ・ボンド
1987年という年は、日本中にレンタルビデオ文化が浸透していった一年でした(TSUTAYAをはじめとするレンタルビデオ店の開店ラッシュと角川書店が「ビデオでーた」創刊)。そんな中、ニュー・ボンド=ティモシー・ダルトンは登場しました。007シリーズがレンタルビデオとして一般的に流通するようになったのは、1986年からでした。
そして、1988年に本作は、大々的にレンタルリリースされることになったのです。恐らく、その再生回数においては、誰もが(ダビングをして)テープが擦り切れるほどに見ていたのではないだろうかと言われているのが、この作品『リビング・デイライツ』です。
58歳のジェームズ・ボンドから若返ったティモシー・ダルトン(1946-)という俳優は、16歳で舞台の「マクベス」を見て、王立演劇学校に入学した筋金入りのシェイクスピア俳優です。
そんな演技力抜群のニュー・ボンドをロイヤル・プレミアで見たダイアナ元妃は「彼こそ原作のイメージ通りのボンドだわ!」と大絶賛したのでした(1986年12月11日チャールズ皇太子とパインウッド・スタジオを訪問し、砂糖で作ったガラスの瓶でダイアナは彼の後頭部を叩いたのでした)。
そういう意味においては、この作品は、全てのボンドムービーの中でも特にジェームズ・ボンドの仕草をモノにしたい男性にとっての最強のバイブルなのです(火器を扱う仕草も歴代ボンドの中でもずば抜けています)。
レンタルビデオ文化のはじまりは、映画を「巻き戻し」する習慣のはじまりでもあり、「巻き戻し」する必要があるほどのノンストップアクションが流行するきっかけとなりました。そして、007シリーズ第15作目及びシリーズ誕生25周年の記念作であるこの作品は、そんな(恐らくはジャッキー・チェンの『ポリス・ストーリー/香港国際警察』がそのさきがけ)流れを決定付け、『ダイ・ハード』(1988)へと続いていくのでした。
杉良太郎のような四代目ニュー・ボンド
舞台俳優として成功しているだけあって歴代のジェームズ・ボンドの中でも段違いに大きな顔を持つティモシー・ダルトンは、まさに杉良太郎様のようなオーラを漂わせています。
ジブラルタルからはじまるオープニング・アクションのボンドの姿は、「最後のロジャー・ムーア」には望めなかった精悍さ(より男らしく)と自信に満ち溢れています。そして、オールブラックのジャンプスーツ=隠密ルックの背景に大江戸捜査網のテーマ曲が大音響で脳内に鳴り響きます。
パラシュートを装着したジャンプスーツルックにおけるパラシュートパックの様子が、現在のメンズファッションのラグジュアリー・ストリートの衣服やアクセサリーに与えている影響はとてつもないことを忘れてはなりません。
四代目ニュー・ボンド・スタイル1
ジャンプスーツ
- ポリエステル製のスカイダイビング用ジャンプスーツ、フロントジップ、リブカラー、袖口にもリブ
- スピードフック・タイプのコマンドブーツ
- タグホイヤーのプロフェッショナル・ダイバーズ・ウォッチ980.013
a-haとモーリス・ビンダー
ボンドムービーに欠かせないのが、魅力的な主題歌です。まず最初に、100万ドルのオファーをマドンナに断られ、ペット・ショップ・ボーイズが主題歌を歌うことになったのですが、彼らは、音楽全体を担当したかったので、交渉決裂しました。
そして、エンディングテーマを担当することになったプリテンダーズが主題歌を歌う最有力候補になったのですが、前作『007 美しき獲物たち』におけるデュラン・デュランの成功を考えたプロデューサーの判断により、当時若者に絶大なる人気を誇るメンズポップバンドであるa-haが抜擢されたのでした。
1985年10月19日に「テイク・オン・ミー」で全米No.1ヒットを生み出したa-ha。この曲のMTVは今見ても斬新かつ素晴らしく、魅力的な登場人物を演じていたリード・ヴォーカルのモートン・ハルケット(1959-)に対して、本作の悪役出演が依頼されたほどでした。しかし、はっきりとした性格のモートンは、日本のツアーを優先し断りました。
音楽監督のジョン・バリー(別名:007の音楽を作った男)と揉めに揉めながら誕生した主題歌(全英5位)は実に素晴らしく(バリーはa-haとの作業についてただ「4つのボールでピンポンしているようだった」とだけコメントしている)、モーリス・ビンダーのタイトル・デザインも文句のつけようがないほど、タイムレスなアート感覚に満ち溢れていました。
それは80年代のポップカルチャーを象徴するものでもあり、女性のサングラスに映るボンドと美女の構図や、ワンショルダーハイレグ水着の美女に重なる007のネオンサイン、シャンパングラスの縁で微笑む美女といった演出は今見ても魅力的です。
3種類のタキシードを着たニュー・ボンド
難航した四代目ジェームズ・ボンド選びは、クリストファー・リーブ、メル・ギブソン、サム・ニールを経て、ピアース・ブロスナン(1953-)で決定したのですが、『探偵レミントン・スティール』の契約が切れず、ボンド選びは白紙に戻されます。
そして、過去二度にわたりオファーを受けていたティモシー・ダルトンがニュー・ボンドとして決定し、1986年9月17日から撮影はスタートしました(ちなみにダルトンがその前に撮影に参加していた『ブレンダ・スター』は、7月21日から10月23日にかけて撮影され、撮影終了の僅か3日後に本作の撮影に臨んだのでした)。
ダルトンがボンド役をするための絶対条件は、ロジャー・ムーアとは全く違うボンド像を原作をもとに一から作り出していきたいということでした。だからこそニュー・ボンドは、ウォッカのシェイクにこだわり、チェーンスモーカーであり、車を高速で走らせ、高級ホテルのスイートに滞在し、毎日が最後の日のような人生を享受するのです。
だからこそ、ボンドは出来るだけタキシードを着る必要があるのでした。
四代目ニュー・ボンド・スタイル2
三種類のタキシード
- ①ショールカラーのブラック・ディナージャケット、シングルボタン(カーラを狙撃する時)
- ②ノッチラペルのブラック・ディナージャケット、ダブルベンツ=これがプロモーション写真で着ているジャケット(カーラとオペラを見る時)
- ③ピークドラペルのブラックのダブルのディナージャケット、ダブルベンツ(ラストシーン)
- フロントプリーツホワイトシャツ
- ゴールドのカフリンクス
- ブラックボウタイ
- ホワイトサスペンダー
- 黒のパテントレザースリッポン
- タグホイヤーのプロフェッショナルダイバー
ジェームズ・ボンドとタキシード
ボンドムービーは、ファッション・ビジネスに関わる人々に対して忘れてはならない問いかけを投げかけてくれます。
機能性とムダのバランスの美学。そして、機能性だけに振り切ってしまう衣服はもはやファッションではないという事実。ファッション文化とは、いかにして人々の心の中に、ムダを楽しむ精神を息づかせていくかという事なのです(つまりファッションを販売する人々にムダを楽しむ余裕がなくなれば、もう終わりなのです)。
ユニクロを主体とするファスト・ファッション文化が生み出しているものは、効率主義・ムダを省く・数学で人生設計・自主性の放棄・守秘義務という言葉で奴隷化していく、つまりはモノを考えずにただインスタントラーメンを食べるように服を買う文化の形成です。
こうして、人々は心を去勢され、生地がボロボロであっても、安ければ良くて、皆がそれを褒め称えているから、私もそれを選ぶという風になるのです。この中に、ファッションの要素は全く存在しません。
なぜボンドムービーには必ずボンドがタキシードを着る瞬間があるのでしょうか?女性がイブニングドレスを着ている瞬間があるのでしょうか?ファッションの本質とは、必要でないものが必要不可欠になる瞬間を生み出すことにあるのです。
作品データ
作品名:007 リビング・デイライツ The Living Daylights (1987)
監督:ジョン・グレン
衣装:エマ・ ポーテウス
出演者:ティモシー・ダルトン/マリアム・ダボ/アンドレアス・ウィズニュースキー/ジェローン・クラッベ/ジョー・ドン・ベイカー