セシルカット再登場
オードリー・ヘプバーンが『ローマの休日』(1953)と『麗しのサブリナ』(1954)で披露したショートカットは、当時、ヘップバーンカットもしくはサブリナカットと呼ばれ、日本をはじめ、世界中で人気のヘアスタイルとなりました。
そして、1958年に公開されたオットー・プレミンジャー監督の映画『悲しみよこんにちは』によりセシルカットが大流行したのでした。セシルカットとは、通常のショートカットをさらにベリーショートにしたものであり、欧米ではピクシーカットとも呼ばれています。
このセシルカットの名の由来は、主人公の少女セシルからでした。そして、このセシルを演じたのが当時19歳のジーン・セバーグ(1938-1979)でした。ちなみにセシルカットは、パリで初めての女性ヘアスタイリストであるマリア&ロージィ・カリタ姉妹により創造されました。この姉妹は後に、カリタを創立しました。
まだ映画評論家だったジャン=リュック・ゴダール(1930-2022)は、『悲しみよこんにちは』を見て大いに感動し、自分の長編デビュー作の主演女優として、ジーン・セバーグにぜひお願いしようという夢のようなことを考えていたのでした。
セシルカットを永遠のものにした『勝手にしやがれ』
お金もなく、照明もなく、技術もない私だからこそ作ることが出来た作品。この映画は本物の成功を収め、お金を稼いだ私の唯一の作品です。
ジャン=リュック・ゴダール
「À bout de souffle(息切れして、力尽きて)」というタイトルの作品について出演依頼の話がジーン・セバーグのもとに届いたとき、脚本が存在しないということにとても驚かされました。
ただ実話に基づき書かれた2ページのゴダールの走り書きだけを手渡され、とにかく私の短編映画を見てくださいと促されたのでした。
無名の若手俳優ジャン=ポール・ベルモンド(1933-2021)を主役に撮られたその短編映画『シャルロットと彼女のジュール』を見たセバーグは、「とても新鮮で、私にはまったく新しいものに見えたの」と後に述懐しています。
ゴダールの「この映画の主人公のチンピラの相手役の女性は『悲しみよこんにちは』のセシルの三年後です」と言う一言がセバーグの心にとても響きました。そして、まだ19歳のハリウッド女優が、ほとんど予算のない〝謎のフランス映画〟への出演を決めたのでした。まさか、この作品がヌーヴェルヴァーグを世界中に知らしめる大ヒットになるとは予想もしていなかったのでした。
そして、再びセシルカットで出演したジーン・セバーグによりこのヘアスタイルは、社会現象になるほどの大流行を巻き起こしたのでした。アンドロギュヌスのイメージを更に突き詰め、少年のような無邪気さに満ちたセシルカット=ピクシーカットは、60年代にミア・ファローやツイッギーのトレードマークになりました。
ジーン・セバーグから教わる「フレンチカジュアルの鉄則」
ハンフリー・ボガートに憧れる一人の若きチンピラが行き当たりばったりに殺人を犯し、マルセイユからパリに逃亡し、かつて3日間のアバンチュールを楽しんだアメリカ人留学生パトリシアをうまく丸め込みイタリア逃亡を画策します。
しかし、最終的にパトリシアに(警察に)密告され、ボロキレのように死んでいく。そんな他愛もない内容の映画なのですが、2人の主人公たちがまるで私たちの目の前で会話しているような錯覚を覚えさせるほどに〝生き生き〟しています。
まだTシャツが新鮮な時代でした。そして、パトリシアのファッションは、時代を超えて、世界中の女性に影響を与えることになりました。1959年8月17日から9月15日にかけて、わずか1ヵ月足らずで撮影されたこの作品から、大衆ファッション文化がはじまったと言っても過言ではありません(日仏共に1960年3月に公開)。
一人の暴走する青年の死を描きながらも、芸術の都パリに生きるアメリカ人女性が、自由を謳歌し、感性を高めていく、生への喜びが対比的に描かれていることが、この作品のラストの一言「最低だ!」のセリフに色々な意味を持たせたのでした。
パトリシアのファッション1
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン・シャツ
- ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンとプリントされた黄色(もしくは白色)の半そでリブニットシャツ。袖をさらにロールアップして、子猫のような無邪気さを演出。注目すべきはこのネックライン
- ゆったりめのクロップドパンツ(シガレットパンツ)
- ローファー
- アクセサリーは腕時計と小さな巾着袋のみ
ミシェルがパトリシアと再会するシーンで言い放つ一言が、女性のファッション革命の狼煙があげられた瞬間だと言われています。その一言とは「なぜブラジャーをつけないんだ?」というセリフです。
そうなのです、パトリシアは、自由に自分の着たい服を着る人なのです。そして、女性らしさという枠にもはめられたくない人なのです。だから、彼女はピクシーカットなのです。
そしてパトリシアは、「パリジェンヌのドレスは短かすぎるし、安っぽく見える」と言い放つのです。しかし、やがて押し寄せるスウィンギング・ロンドンにおいて、図らずも彼女のピクシーカットこそが、ひとつのミニスカート文化の象徴として崇められていくことも知る由もありません。
パトリシアのバーバリーコート
『シェルブールの雨傘』のカトリーヌ・ドヌーヴのバーバリーコート・スタイルを先取りしたようなスタイルでジーン・セバーグは登場します。
ほとんど予算がなかったので、スタイリストなしで、すべての衣装は、俳優の私物、もしくはディスカウントスーパーのプリズニック(Prisunic)で自分自身でチョイスしたものでした。もしかしたらこのバーバリーのコートは、ジーン・セバーグの私物なのかもしれません。どうも襟を直す仕草やふとした仕草に、彼女のこのコートに対する愛着がすごく感じられるのです。
パトリシアのファッション2
バーバリーコート
- バーバリーのステンカラーコート、膝下丈
- フレンチボーダーシャツ
- ミモレ丈のプリーツスカート
- 折り返しソックス
- ローファー
- 小さな巾着袋
パトリシアのファッション3
フレンチボーダー(マリニエール)
- フレンチボーダーシャツ
- ミモレ丈のプリーツスカート
- 折り返しソックス
- ローファー
- 小さな巾着袋
- キャットアイ・サングラス
『勝手にしやがれ』は〝フレンチボーダーの教科書〟と言われています。つまり、フレンチカジュアルとはバランス感覚の難しさ、というよりも、バランスよりも、それを着る人の魅力がむき出しになるのですが、その際たるものがフレンチボーダーなのです。
この作品において、セシルカットが世界的に大流行したのですが、それはロングヘアで画一化されがちな女性に、個性を与えたのでした。美人がより美しく見えるというよりも、美人から個性が生み出されるヘアスタイルなのです。ジーン・セバーグの場合は、その頭をなでてあげたいと思わせる愛らしさが生み出されていました。
セシルの時よりも、パトリシアは、キャットアイラインにしており、それが彼女の愛らしさと大人っぽさのシーソーのような役割を果たしています。
作品データ
作品名:勝手にしやがれ À bout de souffle (1960)
監督:ジャン=リュック・ゴダール
衣装:クレジットなし
出演者:ジーン・セバーグ/ジャン=ポール・ベルモンド