海が嫌いなら、山が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれ!
「ラララララ~パ、パパパパ・・・パトリシア!」と鼻歌を歌いながら、愛しのパトリシア(ジーン・セバーグ)に会うために車を盗んで、パリに向かうミシェル・ポワカール。
アメリカのギャング・ファッション(1940年代のハンフリー・ボガートの映画のファッション)をこよなく愛するこの青年は、ガールフレンドからお金を盗んだりする〝女と車は道端でタダで拾うもの〟という感覚で生きているチンピラであり、ジャンプカットそのままに無軌道な生活を続けています。
特に高級スーツを着ている訳でもなく、サイズの合っていない野暮ったいジャケットを着ているにも関わらず、彼はとても魅力的なのです。
それはミシェルが、とことんまでアメリカのギャング・スタイルを個人的なナルシシズムと結びつけ、突き詰めているところにあります。彼の人生と衣装のサイジングは、隙だらけなのですが、その仕草や表情は、流れるように優雅で、一瞬の隙もなくカッコよく、すぐに分かるダメ人間っぷりをあっさりと凌駕する魅力で覆いつくしてしまうのです。
そんなミシェル・ポワカールを演じるのは、当時まだ無名だったジャン=ポール・ベルモンド(1933-2021)でした。そして、この作品はニューヴェルヴァーグの記念碑的作品となり、彼は一躍世界的なトップスターになったのでした。
ちなみにこの作品は、とても少ない予算で撮影されたためスタイリストや衣装デザイナーが存在しません。ベルモンド自身が、ゴダールと一緒に自分の衣装を選び撮影にのぞんだのでした。
『勝手にしやがれ』は、映画の世界のなかでの私の十年間の努力の成果です。私はこの映画をつくる十年前から、映画をつくれるようになるための努力をつづけながら、映画とかかわっていたのです。
ジャン=リュック・ゴダール
ミシェル・ポワカールの滅びの美学
ミシェルが、何度も繰り返す印象的に仕草があります。それは「唇を親指でなぞる仕草」です。これは、ハンフリー・ボガートの『マルタの鷹』(1941年)の仕草から引用されたものです。ボギーに憧れ、ソフト帽をかぶります。「この映画は、死を考える青年と、死を考えない若い女性の物語だ」とゴダールは言います。
1950年代から60年代にかけて、いいえ、今に至るまでの、青年が犯罪者に転落していく姿の典型を描いています。ミシェルは今まで小さな犯罪行為を繰り返し生きてきたのでしょう。そして、それが彼を疲労させているのです。
実は、ゴダール自身も20代前半に、コソ泥、刑務所、精神病院といった荒んだ生活の真っ只中を過ごしてきた人でした。男はカッコ悪い生き物。だからタフなフリをしないと生きていけない。やがて、その仮面に押しつぶされ自滅する。
滅びの美学とは、弱い生き物である男性にのみ与えられる1つの美学です。映画とは、悪党を魅力的に描くことが許され、そこから男性の磨き上げのヒントを与えてくれるバイブルです。だからこそ、この作品のベルモンドは、男性にとっての永遠のスタイル・アイコンなのです。
ミシェル・ポワカールのファッション1
マルセイユ・スタイル
- ヘリンボーンツイードジャケット、ノッチドラペル、3つボタン、マルセイユには暑すぎる
- 無地のホワイトコットンシャツ、胸ポケット
- ウールのダブルプリーツパンツ
- レザーベルト
- ニットのスクエアタイ
- 3アイレットキャップトウダービー
- ダークトーンのソフト帽
- チェーンリンクIDブレスレット
ミシェル自身の性格を反映したジャケパンスタイルです。ジャケットもパンツもサイズ感は合っておらず、シャツも皺くちゃなのですが、ソフト帽と仕草により、それらを凌駕していくのです。つまりこの映画のファッション革命。それは、サヴィルロウのサヴォアフェールに対する反逆とも言えるジャケパンの着こなし=オーバーサイズの美学にあるのです。
そして、何よりも、白いソックスが、ミシェルをミシェルたらしめているのです。つまり、この野性味たっぷりの青年は、学生服のように紳士服を着こなし、大きなサイズの服の中で生きているのです。もっとはっきり言うと、彼はこの映画の中で、憧れのスタイルと踊り続けているのです。
そんなベルモンドの躍動感を見事に捉えることが出来たのは、インドシナ戦争の戦争カメラマン上がりのラウール・クタールがいたからでした。
ジャケットのボタンをすべて留めるミシェル
行き当たりばったりで警官を殺してしまい、盗んだ車を捨て、暑苦しいツイードのジャケットも脱ぎ捨て大草原を走り去るミシェル。ネクタイを外さないのがポイントです。
そして、ヒッチハイクして、パリに辿り着いたミシェルは、女友達のリリアン(パジャマ姿にバレリーナシューズ)のアパートメントでお金を調達し、まず最初にする事が服を新調することでした。
とても興味深いのは、2つボタンのジャケットのボタンを2つとも留めていることと、ネクタイがジャケットから飛び出すような締め方をしているところです。これは明らかに、ミシェルの野暮ったさを演出する意図があるのですが、不思議なことに、この着こなしさえも、逆にカッコよく見えてしまうのです。
ただエールフランスの元パーサーであるミシェルが、ジャケットの着こなしの基本ルールを知らない訳がないと思うのですが…
ミシェル・ポワカールのファッション2
パリ・スタイル
- 浅いセミピークドラペルのキャメルヘア・ジャケット、パッチポケット、2ボタン、ダブルベンツ
- ピンストライプシャツ、台衿ボタンなし、ノータイ仕様、胸ポケット
- ハウンドトゥース・チェックのネクタイ
- ウールのダブルプリーツパンツ
- レザーベルト
- 3アイレットキャップトウダービー
- ソフトトーンのソフト帽
- ソル・アモールのキャットアイサングラス
- チェーンリンクIDブレスレット
肩幅の広いオーバーサイズのジャケットが、おかしく見えないのは、ミシェルの歩き方が、チンピラというよりは、古代ローマの貴族のように優雅だからです。それでいて、若々しく獣のような躍動感に満ちており、そこには同時代のジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドのような鬱屈した精神や、ぶつけようのない怒りではなく、楽天的な陽気さがあるのです。
ジャケットを着ている時に輝き、ジャケットを脱いだ時に、この作品は倦怠に突入するのです。この中だるみがあるからこそ、再びジャケットを着て、死に向かって疾走するミシェルは永遠の輝きを手にしたと言えるのです。
ミシェル・ポワカールのファッション3
パリ・スタイルPART2
- スーツ(こちらは袖ボタンがひとつ)
- ピンストライプシャツ、台衿ボタンなし、ノータイ仕様、胸ポケット
- ハウンドトゥース・チェックのネクタイ
- レザーベルト
- 3アイレットキャップトウダービー
- ハンチング帽
- ソル・アモールのキャットアイサングラス
- チェーンリンクIDブレスレット
人生とはつまりこの三つだけなんだ!
「しかめっ面って何?」と聞くパトリシアに対して、アーと大口を開け、ニーと口角を上げて笑顔を作り、最後にムスっとしかめ面を見せて、三つの表情をしてみせるミシェル(一度女優志願の女友達のアパートメントの鏡の前でもしている)。そして、それを真似するパトリシア(恐らく本作品中最もジーン・セバーグが魅力的に見える瞬間でしょう)。
人生とは結局はこの三つなんだ!そして、ミシェルは死ぬときもこの三つの表情を再びして「最低だ!」とつぶやき死ぬのでした。
作品データ
作品名:勝手にしやがれ À bout de souffle (1960)
監督:ジャン=リュック・ゴダール
衣装:クレジットなし
出演者:ジーン・セバーグ/ジャン=ポール・ベルモンド