ナターリア・ゴルブリさん|リナーリ/CIRO
「ディプティックから日本の香水業界に関わるようになり20年以上経ちました。私の見た目が典型的なヨーロッパ人なので、日本語を流暢に話せることを知ると、みんなびっくりして、そして日本人同士で話す以上に、心を開いて話をしてくださるようになります」

ナターリア・ゴルブリさん ©Le Bourgeon Co.Ltd.
日本の香水業界において、ピースメイカーの役割を果たしているヨーロッパ人の女性がおられます。ÉDIT(h) の葛和さんがフレグランス・ブランドを創業する前に、ミラノでひょんなことから交流を深め、ルシヤージュ京都の米倉さんが「恩人」であると常々仰っている彼女の名を、ナターリア・ゴルブリさんと申します。
2025年以降の日本の香水業界は、彼女を中心に回っていくであろうことが予想されます。それ程、戦国武将のように強烈な個性を持つ、群雄割拠の香水業界において〝みんなで仲良く、日本の香水業界を盛り上げていきましょう〟という姿勢で、一種の清涼剤のような役割を果たしている方なのです。
ナターリアさんの香水業界のキャリアは、2003年からはじまります。
20世紀から21世紀初頭にかけて、日本の百貨店におけるフレグランスコーナーは、トイレの隣が定位置でした。さらに言うと、単独ブランドがフレグランスの路面店やコーナーを持つことは、まったくなく、各都市の商店街にディスカウント香水ショップが多く誕生し、少しチープなイメージが広まっていました。
そんな中、日本の香水文化に革命的なゲームチェンジャーの役割をもたらすニッチ・フレグランス・ブランドが上陸しました。1963年に創業されたフランスのフレグランス・ブランド ディプティックの来航です。
2000年頃にギンザ・コマツ(毎週金曜日に行われていたシャンパンナイトが有名。2008年にリニューアルのため閉店し、2012年にドーバーストリートマーケット銀座とユニクロ銀座店となりました)や新宿伊勢丹、バルストウキョウ、ザ・コンランショップで取り扱われるようになり、ファッション誌でも積極的に取り上げられ、日本の香水文化を開放する黒船のような役割を果たすことになりました。
ナターリアさんは2003年に、ディプティックの代理店をしていたグローバル・プロダクト・プランニングに入社しました。4年間MDとして経験を積んだ後、2007年にラグジュアリーブランドの展開を考えてた会社からヘッドハンティングされ、そのプロジェクト責任者としてリナーリ(LINARI)(2007年)やMEMO(2010年)を日本に上陸させました。

©MEMO PARIS
2014年に退職した後、リナーリのオーナーのレイナー・ディエシェ氏から再度オファーを受け、株式会社ブルジョンにて取締役、ブランド・ディレクターとして日本総代理店を引き受けることになるのでした。
以降、パンデミックを挟み、空前の香水&ルームフレグランス・ブームの中、リナーリは、センスの良い人が住んでいるライフスペースには必ずあるディフューザーとして、定着していったのでした。そして2022年7月に、表参道に旗艦店をオープンしました。
さらに2023年11月24日に誕生した麻布台ヒルズに「FRA-GRA-NZA(フラグランツア)」という新たなる香りの聖地を生み出しました。
そのようにフレグランスだけでなく、日本のディフューザー市場においても中心的な存在であるナターリアさんのインタビューを、2025年4月20某日、営業終了後の表参道店と、数日後に、麻布台ヒルズ店において二回に分けて行わせて頂きました。
デーブ・スペクターさん並みに流暢な日本語を話されるナターリアさんは、各地フレグランス・ポップアップにおいても、太陽のように明るい存在で、同業者からの信認がとても厚い方です。そんなこれからの日本の香水業界を牽引していくだろうナターリアさんを通して、リナーリとCIROの魅力も皆様に伝われば幸いです。
ナターリアさんとルシヤージュ京都の米倉さん

ナターリアさんのインタビューをさせて頂いたのが、こちら表参道の旗艦店です。©Le Bourgeon Co.Ltd.

洗練された店内デザインは、冷たくならず、落ち着きのある空間で、つい滞在時間が長くなることでしょう。©Le Bourgeon Co.Ltd.
――― ナターリアさん、お久しぶりです。去年12月に、ルシヤージュ京都がリニューアル・オープンした内覧会でお会いした時以来ですね。ルイ・ヴィトンのほぼ真裏という好立地に移転したあの素晴らしい空間に、私たちびっくりを共有しましたよね!
はい!とても感動しました。私はロシア生まれなのですが、交換留学で京都に一年半滞在していたので、古都・京都の魅力を詰め込んだ、奇跡のような空間を生み出した米倉さんに対して、ただただ敬意を覚えました。
――― 私は、米倉さんから何度か「ナターリアさんは、一番最初にボクを信じて、商品を扱わせて下さった恩人です」と聞いておりました。それ以来、私の中でナターリアさんは、演歌の心を持ったヨーロッパ人女性という印象を持っています。
(笑いながら)米倉さんは大げさに仰ってるだけですよ。すべては彼の香水に対する愛がなせる業ですよ。
――― そうでしょうが、香水業界において全く実績がなく、個人事業主として京都・東山にフレグランス・ショップを、2018年11月21日にオープンする予定だった当時の米倉さんにとって、ナターリアさんの存在はとても心強かったのではないでしょうか?はじめの出会いはどのような感じだったかお聞かせ願えますか?
はい、2018年の夏のことでした。この年は大変な猛暑が続いていました。そんなある日突然、米倉さんから連絡を頂き、青山で社長の大瀧と3人で会うことになりました。私の米倉さんの第一印象は、マシンガンのように関西弁で情熱的に話す人でした。
そして「絶対に成功させます!」と汗だくになって話されるその姿に感動を覚えました。
――― 米倉さんの革命のはじまりは、この瞬間だったのですね。ナターリアさんという同志を得て、米倉さんの進撃がはじまることになるのですね。
今でも覚えているのは「実績がないので、いくつかのブランドから商品の取り扱いを断られました」と正直に仰っていたことです。米倉さんは、自分を飾らない人だと思います。たしかに香水業界での実績はなかったのでしょう。2018年当時、日本でニッチ・フレグランスのセレクトショップを個人でオープンすることなど、夢物語だったのかもしれません。でも彼はその夢を正夢に変えたのです。本当にすごい人です。
最初の頃、米倉さんがお店に寝泊まりして一心不乱に頑張っていた姿を私は知っていますので、新店舗をお披露目する内覧会の米倉さんを見ていて、お母さんのような気持ちになって、自然に涙がこみ上げてきました。
私はルシヤージュの素晴らしさは、そんな初期から米倉さんを応援しているお客様の素晴らしさとも感じています。米倉さんは、香水を愛する人達の心をしっかりと受け止めている方だと思います。
――― そんな米倉さんの夢を叶える原動力になったのが、ナターリアさんとの友情だと私は考えるのですが、当時まだ実績のなかった米倉さんのお店でリナーリとCIROといった商品を取り扱うことに同意したのは、どのような考えからですか?
考えも何もなく、直感で、彼は何かが違うと感じました。
私が香水業界に入った時に関わるようになったディプティックもそうなのですが、特に、その後のリナーリとの関わり合いが影響しています。リナーリのようなルーム・フレグランスは、日本上陸した当時、大変珍しいものでした。でも私は、このブランドのオーナーであるレイナーさんの情熱に心打たれました。その時と同じ感覚を、米倉さんから感じました。
私は〝香りの世界〟は、その香り自体も重要なのですが、それ以上に、その香りの世界に関わる人間の心が大切だと考えています。つまり私は米倉さんに〝心の純粋さ〟を見たのです。
――― その気持ちよく分かります。私が尊敬するブルーベルのマネージャーの方が、かつて販売員時代に「香りを心で売る」「香りのタマシイをお伝えする」ように心がけていたと仰っていたのですが、米倉さんから、その心をいつも感じています。新たにルシヤージュに素晴らしい二人のスタッフが加わり、2025年は米倉さんの躍進の一年になると私は考えています。
フレグランスをただ売るのではなく、お客様と心を通い合わせてフレグランスをお迎えして頂くという流れが徹底している人ですよね、米倉さんは。
ディプティックの日本総代理店で活躍し、今も「タムダオ」を愛する。

表参道の旗艦店 ©Le Bourgeon Co.Ltd.

LINARIのディフューザーとフレグランス ©Le Bourgeon Co.Ltd.
――― それでは、2025年以降の日本の香水業界は、あなたを中心に回っていくであろうことが予想されるそんなナターリアさんについてお聞かせください。ナターリアさんは流暢な日本語を話され、ラインのやり取りでも難無く漢字を使われているのですが、ご両親の仕事の都合で子供の頃から日本に住んでおられたのでしょうか?
いいえ、私はロシアのウラジオストクで生まれ、大学の交換留学で京都に行くまで、日本で生活したことはありません。
――― そうなんですね!日本との関りは、大学からですか?日本に興味を持たれたきっかけは何でしょうか?
私は7歳から17歳までバレエを習っていました。その関係で17歳の時に北海道に公演旅行に行ったことがありました。一週間ほど滞在し、はじめて東京に行き、ディズニーランドにも行きました。
――― バレエダンサーとしてはじめて日本を訪れたことにより、日本が好きになったのですね?
元々、海外に強い興味があったので、英語か日本語を勉強しようと考えていました。そんな多感な時期に訪れた日本の経験があまりにも素晴らしかったので、日本語を勉強しようと決意しました。
――― であるにしても、日本語を流暢に話されるだけでなく、漢字まで完璧に書くことが出来るのはすごいですね。
バレエとは、華やかなように見えて、ストイックさが求められます。その経験から、私はストイックに日本語に向き合おうと考えました。つまり日本語を勉強する時にこう考えました。まるで自分が日本人であるかのように物事を考えることからはじめようと。つまり、私は日本語を勉強する前に、まず最初に、日本文化と日本人とは何かということを勉強しました。
そして大学で日本語を専攻し、2000年前後に交換留学で、京都府庁で一年半働きました。若かったので、休日は、よく大阪に遊びに行きました。その頃は、京都の歴史的な街並みや建物よりも、賑やかな大阪の夜の街に惹かれました。
――― 若さとはそういうものですよね。だからナターリアさんの日本語には、関西弁の土台があるのですね。その後、日本で働くようになったのですか?
はい、大学卒業後、東京の小さな商社で貿易・通訳の仕事をして働くようになりました。2002年から旦那の仕事の関係でフランスに渡り、私はフランス語を勉強することになりました。
人生ではじめてのフランスは、パリからでした。そして何気なくサン・ジェルマン大通り34番地にあるディプティックの本店を訪れました。高くて購入できませんでしたが、これが私とディプティックの最初の遭遇でした。
――― ディプティックとの運命的な出会いの瞬間ですね。他にもパリで色々なフレグランス・ショップに行かれたのですか?
いいえ。パリではなく地方に住んでいたので、あまりパリに行く機会はありませんでした。ですが、夏休みに車でフランスを巡る旅をしました。
この時、モナコにも行ったのですが、途中で立ち寄ったグラースが私に衝撃を与えました。特にフラゴナールの香水調香のワークショップを体験した時に、香りに関係する仕事をしたいという思いを強くしました。
ちなみに母親はずっとランコムの「トレゾァ」を愛用していました。ロシア人は、お金がなくてもみんな香水を使います。私もバレエをしていた頃から、特に「ロー ドゥ イッセイ」を愛用していました。
――― 現在、日本の香水業界で活躍している方々を見ていると、やはりグラースという街は、香りが好きな人々の心を動かすパワーがある街だと感じます。そして帰国されてから、ディプティックに関わる仕事に就かれることになったのですか?
はい、帰国後すぐ、つまり2003年秋に、ディプティックの日本の総代理店であるグローバル・プロダクト・プランニング(GPP)でマーケッターとして働くことになりました。丁度「タムダオ」が出た頃でした。この香りが私に与えた影響はすごくて、今もこの香りなしでは生きていけない程です。
リナーリを日本に初上陸させ、そして独立を果たすまで。

かつて存在したBALS TOKYO GINZA、2007年。
――― 2013年12月13日にディプティックは、青山で日本国内初の旗艦店をオープンすることになるのですが、その時もナターリアさんはGPPにおられましたか?
いいえ、2007年までGPPで働き、別会社からラグジュアリーなインポート商品の強化を図りたいというお誘いを受けていたので、転職することにしました。
――― なるほどナターリアさんこそがリナーリを日本に上陸させた仕掛け人だったわけですね?
はい、LINARIもそうですが2010年にはMEMOも上陸させました。MEMOに関しては少し時代が早すぎたのかもしれません。最初BALS TOKYO ROPPONGI by AGITOでリナーリは取り扱われました。
そして2014年に退職後、少し育児に専念しようかと考えていましたが、リナーリのオーナーのレイナーさんから再度オファーを頂き、株式会社ブルジョンにて取締役、Brand Directorとして日本総代理店を引き受けることになりました。
――― 少し話を戻させて頂いてよろしいですか。ナターリアさんがリナーリに魅力を感じた点はどういったところでしょうか?
実は、私はディプティック時代からあることを感じていました。それはキャンドルは、当時、日本でも人気が高かったのですが、日本は地震が多い国なので、火を使うキャンドルよりも安全なディフューザーに対するニーズが今後増えていくのではということです。
そうした流れの中、2007年にドットール・ヴラニエスが日本に初上陸しました。2011年に旗艦店が代官山に出来、話題になるのですが、丁度同じ2007年に私はリナーリを上陸させました。
リナーリは、2003年に創業したばかりのブランドでしたが、1983年にイタリアのフィレンツェで調香師により創業されたドットールが香り重視のブランドであるなら、リナーリは、レイナー・ディエシェ氏というインテリアに精通した人が生み出しているディフューザーなので、インテリアを引き立て、調和する香り立ちが特徴的だと感じ、これしかない!!となりました。
――― ドットール・ヴラニエスのディフューザーも素敵ですが、香りが主役のブランドと、香りがインテリアと調和するように作られているブランドの違いということですね。
はい、さらに私がヨーロッパのライフスタイル・ブランドを日本に初上陸させるときに、最も注意していた点は、日本の市場において、スピード感よりも、ゆっくりと信頼感を高めていくことが大切だと、オーナーの方々にお伝えすることでした。
つまり、ヨーロッパの売り方で、日本で商品を売ろうと考えるとダメなのです。その私の考え方が、レイナーさんの精神性と合致しているように感じました。この精神性を私は米倉さんや葛和さんからも強く感じています。
米倉さんは、ゆっくりと帝国を作り上げている感じがします。一方で葛和さんは、6代目として引き継ぎ、継承していくスタンスでビジネスを拡大しておられます。
――― ナターリアさんはÉDIT(h)の葛和さんとも深い交流がおありですよね。
はい、2017年に弊社代表大瀧とミラノのエッシェンス(ヨーロッパ最大級のニッチ・フレグランスの見本市)に伺った時、丁度、伊勢丹新宿のバイヤーの方々も来られていて、ご案内していました。その時、まだブランドを創業する前に、リサーチで来ていた葛和さんにお会いしました。
この初対面は実に印象的で、今ではお互いにとって笑いのネタになっています。
ミラノの異国の地で、日本人の見知らぬ男性が、突然私と大瀧にちょっと馴れ馴れしく話しかけてきたのでびっくりました。どうやら大瀧のことを香水業界の誰かと勘違いしておられたようでした。その男性が葛和さんだったのです。
すぐに、大瀧が別人であることを知り、ずっと恐縮しておられたのでしたが、日本ではなくミラノで初対面だったので今でも印象に残っています。以後、仲良くさせて頂いております。
――― 葛和さんと米倉さん、間違いなくこれからの日本の香水業界を牽引していくであろう二人のキーパーソンとの運命的な出会い、実に興味深いです。ナターリアさんは、その持ち前の明るさで、香水業界の人々を繋いでいく立ち位置におられるような気がします。これもナターリアさんの気さくな人柄がなせるわざですよね。
(にこにこと笑みを浮かべながら)私の見た目が典型的なヨーロッパ人なので、日本語を流暢に話せることを知ると、みんなびっくりして、そして日本人同士で話す以上に、心で話をしてくださるようになる、そんな気がします。私もざっくばらんな性格なので。
リナーリのディフューザーの唯一無二な魅力について

©Le Bourgeon Co.Ltd.

2023年11月に麻布台ヒルズに誕生した「フラグランツァ」©Le Bourgeon Co.Ltd.
――― ふたたびすこしだけ話を戻させていただきます。今では、リナーリは、ドットール・ヴラニエスと並び称される高級リゾートホテルを連想させるディフューザーと言われていますよね。ちなみに2024年にドットールは、ロクシタン・グループに買収されましたね。
はい、パンデミックでおうち時間が増える中、ディフューザーを出すブランドが増えました。ちなみにディプティックも2012年にブランド初となるディフューザーを発売しました。あの有名な砂時計型のディフューザーです。
――― リナーリが本格的に日本に上陸したのはいつからでしたか?
2007年からです。ちなみに2013年から開催されている伊勢丹のサロンドパルファンにも出店していました。リナーリの魅力は、生活の邪魔をせず、香水のように豊かに香るところです。さらにひとつの部屋にふたつの違う香りをおいても調和するように作られています。
特に「エスタータ」は爽やかで人気があります。
リナーリの香りは高級ホテルとの相性も良く、「チェロ」は神戸のオリエンタルホテルで使われています。金沢の百楽荘や箱根の翠松園でもいくつかの種類のディフューザーが使われています。
リナーリとCIROのフレグランスの魅力について

©Le Bourgeon Co.Ltd.

©CIRO
――― 2008年に6種類のオードパルファムから、フレグランス・ラインもスタートしたのですが、日本上陸と同時に取り扱われていたのですか?
はい、そうですが本格的に取り扱うようになったのは、2018年以降です。同じくレイナーさんが手掛けているCIROと共に、今のように知名度が高まっていったのは、米倉さんの力による部分も大きいと思っています。
――― 最近エックスの投稿で、CIROをよく見かけるのですが、リナーリとCIROの香りの違いはどういった所でしょうか?
最近、エックスで皆様にCIROについて投稿して頂いているのは、CIROのひとつひとつの香りには、物語があり、繊細で複雑なところがあるからだと思います。
一方で、リナーリはまだあまり知られていないのですが、モーリス・ルーセル、マーク・バクストンといった超一流の調香師が手掛けています。
――― すごいですね!実は私もこのインタビューをする寸前まで知らなかったのです。モーリス・ルーセルと言えばグッチの「エンヴィ」フレデリック・マルの「ムスク ラバジュール」ゲランの「アンソレンス」「ランスタン ド ゲラン」を調香した人です。
マーク・バクストンもルラボの「ベチバー46」を調香した伝説の人です。ちなみに香水初心者、香水が好きなZ世代、香水愛好家、それぞれの方々に対して、是非一度試して欲しい香りを教えてください。
はい、香水初心者だけでなく、はじめてリナーリの香りを試される方には〝聖なる水〟と名付けられた「アクア サンタ」(モーリス・ルーセル)から香って頂くようにしています。
この香りは世界的なリナーリのベストセラーであり、まずはこの香りの中に身を置かれるとリナーリのブランドイメージを掴んで頂きやすいのではないかと考えています。カシス(ブラックカラント)、ローズ、シクラメン、カラメルが好きな方にもおすすめです。
次に、香りの感度が高いZ世代の方々に人気のある香りが「カペリ ドーロ」(マーク・バクストン)です。
カシスとマスカットワインのペアリングからはじまるフレッシュでフルーティーな魅惑的な香りです。Z世代の方々に人気のあるポイントは、ワンランク上のオーラを感じさせる、洗練されたセクシーさだと思います。
――― 今、「カペリ ドーロ」を腕に乗せてみたのですが、摘み立ての果実を、素肌で味わう、そんな贅沢な感覚がありますよね。
そうそう、カシスとあなたがひとつになるような、ヨーロッパの太陽を独り占めするような、ラグジュアリー感がありますよね。時間が経つにつれて、ローズやジャスミン、さらにグレープフルーツが出てきて、カシスがリキュールのような、周りをやさしく酔わせていく、中毒性を発揮してくれるんです。
――― 変わってきました。摘み立てのカシスが、だんだんとカシスベースのカクテルのようなすっきり酔わせる香りへと変わっていく、強すぎないけど、弱すぎでもない、絶妙なバランスが危険ですよね。うっかりと摘み取って食べてしまうと、魂まで吸い取られていきそうな、新しい自分になれそうな香りですね。
なるほど!五感が覚醒するところがあるからZ世代の方々に人気があるのかもしれないですね。実はもうひとつZ世代の方々に人気がある香りがあります。それは「アンジェロ ディ フューメ」(マーク・バクストン)〝小川の天使〟という名の香りです。真夜中に、小川の水面に降りてきた天使をイメージした香りです。
――― つけた瞬間、チョコレートを感じました!
でも、すぐに独特なグルマンになっていくでしょ?甘酸っぱいワイルドチェリーとラズベリーと、カラメルやミルクの懐かしい甘さ、つまり大人のグルマンということで特に男性に人気があるんです。アイドルのようなセクシーな男性に選ばれることが多いです。
香水愛好家の方に好まれているのは「ステラ カデンテ」(マーク・バクストン)〝流れ星〟です。
――― 流れ星ですか!名前が素敵ですね。私が香りを選ぶ時、名前がとっても重要なんです。
よく分かります!華やかでエキゾチックなフルーツと花の贅沢な饗宴です。すごくエレガントなのですが、とてもセクシーという、フランス映画やイタリア映画に出て来そうな美女になれそうな香りです。
クールビューティーだけど、一旦スイッチが入るととんでもなくエロい、そんな香りです(ナターリアさんの香りの表現がとても素晴らしくて、丁寧かつ完璧な日本語の中に、ときに分かりやすいスラング的な日本語を入れて説明してくださるので、ストンと心に落ちます)。
――― これは男性がつけても良さそうですね!明るいオリエンタル、明るいイタリアのお色気を連想させる、おおらかなエロスとエレガンスを感じさせますよね。香水愛好家の皆様に人気がある理由が分かります。それでは同じようにCIROでおすすめの香りを教えてください。
はい、確かに先程仰ったように、CIROはSNSで話題にのぼるようになってきています。香水初心者の方におすすめするというか、おすすめするとビックリされるのが「ルールロマンティック」です。ウォーターメロン(スイカ)が連想させる一般的なイメージとはまた違った透明のフルーツシャワーを生み出してくれます。
そしてZ世代の方々に人気があるのが「フラワリーズ」(アレクサンドラ・カーリン)です。あなたのためだけに咲く希少な花々と、情熱の輝きが永遠の愛を表現する香りというテーマがロマンティックなのでしょう。色々な花のブーケなので「あなたの花をみつけてくださいね」とお薦めしています。
――― かつて私の友人が、オープンしたばかりのルシヤージュで米倉さんの接客を受けて感動して購入した「プラハ」はどうでしょうか?
「プタハ」(アレキサンドラ・カーリン)ですね。こちらは香水上級者の方々にとても人気がある〝古代エジプトの神〟の名を冠した香りです。CIROの香り全般に言えることなのですが、物語がしっかりしていて、肌の上で、その物語を伝えてくれるような、独特な味わいがあります。私は「プタハ」を夜の香りの決定版と呼んでいます。
――― その友人から一ヶ月ほど、「マティエール ノワール」という香りと交換して、「プタハ」ですね、「プタハ」をお借りしたことがあるのですが、まさに〝氷のように微笑んで〟的な世界観を持つ、スモーキーでありながら、とろけていくような妖しく美しい香りだと感じました。
ほんとに!あともうひとつ「コロンビーナ」(アレキサンドラ・カーリン)は、タバコとバーボンに包まれるオスマンサスの香り、オールブラックのパンツスーツやドレスで登場するスモーキーアイの美女になれる香りだと思います。うっとりするほど芳醇な香りです。まさに一心同体になる香りですよね。
表参道が、香りの聖地化していく流れを作った旗艦店について

表参道の旗艦店のエントランス ©Le Bourgeon Co.Ltd.

表参道の旗艦店 ©Le Bourgeon Co.Ltd.
――― リナーリとCIROの素晴らしいそれぞれの香りについて、ご案内頂きありがとうございました。さてインタビューも終盤に差し掛かりますが、私が今いる場所、すなわち表参道に旗艦店を出されたことについてお聞きかせください。
私はこの辺り、つまり表参道ヒルズを含む神宮前4丁目には、若かりし頃、特にLOTUSによく行っていた時期があるのですが、あのお店自体は若くないとパワーが吸い取られてしまう程、騒がしいカフェですが、背伸びしたい若者の、洗練を求める心と自由な精神が感じられるパリのモンマルトルのような区域だと思います。
確か米倉さんが2023年12月に香展を開催したのも、神宮前4丁目でしたよね?
はい、RAND OMOTESANDOさんで行われました。私の店舗は、このイベントでサテライト会場として参加していました。大成功でした。
――― その神宮前4丁目で、パンデミックの最中である2022年7月にリナーリの旗艦店をオープンしたのは、やはりZ世代の方々に、リナーリとCIROを楽しんで頂ければという思いからですか?
実は、コロナ前(2020年より前)から積極的に、ザ・コンランショップなどでワークショップや接客イベントを行ってきました。それはリナーリのディフューザーが、インテリアと一体化してより生活を豊かにするというコンセプトで作られているので、その方に合った香りを選んで頂きたい、だからこそゆっくりと接客させて頂きたいという思いからでした。
ですので、ゆったりとした街にリナーリの路面店を持てれば、理想の接客が出来ると考えました。表参道という立地は、Z世代の方にも私たちのブランドを知って欲しいという思いで決めました。
だからと言って、それまでは30代から50代のお客様が中心で、ディフューザーがメインでしたので、Z世代の方は、来てくれたら有難いなという期待程度のものでした。
しかし、いざ路面店がオープンすると、予想をはるかに超えるZ世代のお客様が来て下さるようになり、フレグランスが人気を博するようになりました。これは本当に想定以上のことで嬉しいことです。
――― すごいですね!それが先程仰っていた米倉さんが地道にリナーリとCIROのフレグランスをご案内して下さっていたからという流れにつながるのですね。
はい、米倉さんがブランドのアンバサダーのように2018年から地道にリナーリとCIROのフレグランスをお客様にご案内して下さったお陰で、日本全国のお客様が私たちのブランドの存在を知り、やがて旗艦店が出来た時に、お店に伺いたいというシナジーを作ってくれたのだと思います。
そして麻布台ヒルズも『香りの聖地』化へ

「セレシア」©Le Bourgeon Co.Ltd.

2023年11月に麻布台ヒルズに誕生した「フラグランツァ」©Le Bourgeon Co.Ltd.
――― さらに一年後の2023年11月に麻布台ヒルズのオープンに伴い、「FRA-GRA-NZA(フラグランツア)」というインテリアフレグランスショップもオープンされました。
はい。こちらでは、リナーリとCIRO以外に、新しく日本の総代理店となったイタリア・フィレンツェのラグジュアリー・ルームフレグランス・ブランド「テアトロ フレグランツェ ウニケ」のディフューザーも取り扱っております。
非常に珍しいチェリーのディフューザー「セレシア」が人気沸騰しそうです。
――― 2024年のエッシェンスで話題になったディフューザーですね!確かに、日本でも人気が出そうですね。ところで表参道で旗艦店をオープンした僅か一年後に、麻布台ヒルズで二号店をオープンするということは大変なことだったのでは?
はい、大変なことです。しかしこれはもうご縁としか言いようがありません。森ビルさんからお声がけを頂いたので、ご縁を大切にすることにしました。麻布台ヒルズはオープンして一年半経ちますが、フレグランスのお店が集まっているので、何か相乗効果が生み出せるイベントが出来ないかと企画を立てています。
パンデミックの間に、私はSup de Luxe ,Parisでラグジュアリーブランド戦略関連のMBAを取りました。この学びをも生かして、麻布台ヒルズが〝香りの聖地化〟していく施策を打てればと考えています。

©inimu
現在、フラグランツァで破天荒というフレグランス・ブランドのポップアップを行いました。このブランドは、私がディプティック時代に同僚だった方が生み出したブランドです。そして次回は、まだ詳しい日程は未定なのですが、インダルト パリさんのポップアップを予定しています。
――― 2025年の麻布台ヒルズから目が離せません。一方で、リナーリとCIROは、2024年からフレグランス・イベントにも積極的に参加されてますね。
はい、正確には、CIROが単独で、2023年の伊勢丹新宿のサロンドパルファンから参加しました。2024年には京都、札幌、日本橋三越などに参加しています。
私は百貨店のポップアップ・イベントが、日本の香水文化をより豊かにしていく、相乗効果を生み出してくれていると考えます。他の香水ブランドの方々は、私にとって仲間であると考えています。香りが好きになるお客様が沢山増えることが、この業界がより良くなるポイントだと思います。
――― 最後にナターリアさんの夢を教えてください。
私の夢は、ディフューザーやフレグランスのオリジナルのブランドを作ることです。一切の妥協のない本格的なものを創造したいです。半分、ヨーロッパ人、そして半分、日本人と言える私の特別な立ち位置を生かす〝生活を豊かにするラグジュアリーな香り〟を生み出していきたいです。
あくまでもこれは私の日本のお客様のイメージなのですが、ヨーロッパのお客様は、新しいブランドが出ると、軽い気持ちで「とりあえず買っちゃえ!」という方が多いのですが、日本のお客様は「裏切らない」方が多いと思います。そのニーズを裏切らない、それに応えるブランドを作りたいのです。
リナーリとCIROについて(基本情報)

©LINARI

©CIRO
ラグジュアリー・ルームフレグランス&フレグランス・ブランド、リナーリ(LINARI)は、2003年にドイツ人のレイナー・ディエシェにより創業されました。リナーリとは、イタリア・トスカーナ地方の美しい小さな町の名前から付けられました。
プロダクトエンジニアリングを学んだディエシェは、インテリアショップを経営していたときに、まだ未開拓の香りの分野であったルームフレグランスに将来性を感じ、ブランドをスタートしました。
オードパルファムを贅沢に使用した高い品質と、ディエシェ自らが手掛ける、他のインテリアの邪魔をせず、引き立てていく、現代のイタリアデザインからの影響を受けた、洗練されたボトルが人気を呼び、多くのラグジュアリー・ホテルや高級レストランでも使用されています。
2008年から、モーリス・ルーセル、マーク・バクストンといった超一流調香師によるオードパルファムのフレグランスも発売されています。そのオファーは、まずディエシェの個人的な親交がある彼らに対して、コストもテーマも時間も一切の制限を課さず「最高の香り」を創って欲しいという、紳士同盟から生み出されています。
一方、CIRO(シロ)は、元々は1921年にニューヨークで創業されたフレグランス・ブランド(1960年代に消滅する)をディエシェが2018年に復活させたことからはじまります。
『肌になじみやすいナチュラルでエレガントな香りはエモーショナルに働きかけてくる仕上がりで、主流に背を向けたアヴァンギルドな香りを追求する』というテーマで全ての香りは生み出されています。