映画『グーニーズ』サウンド・トラック
世界中の「負け犬たちへの応援歌」
「グーニーズはグッド・イナフ」 1985年6月リリース。全米10位
グーニーズ(間抜けなやつら)というレッテルを貼られた少年たちが、宝探しの冒険に乗り出す少年版〝インディ・ジョーンズ〟とも言えるスティーヴン・スピルバーグ製作総指揮、リチャード・ドナー監督の『グーニーズ』の主題歌をシンディ・ローパーが歌いました。シンディ自身も、少女時代から変わり者として同級生から孤立し、落第を繰り返し、1984年にブレイクするまで「何年もの間、ずっと私は負け犬だと思っていた」と言うように負け犬として生きてきた人でした。そんな彼女が歌うからこそ、説得力がある曲です。
ビデオ・クリップの撮影に関して、シンディはスピルバーグと衝突し、スピルバーグは監督を降りました。しかし、グーニーズの少年たちと無名時代のバングルスやスピルバーグ、アンドレ・ザ・ジャイアントやロディ・パイパーをはじめとするWWFのスーパースター達が出演する賑やかなものになりました。2部構成で作られ、2部目は映画公開後にMTVで放映されました。
タイトル名にグーニーズを付けることに反発したシンディは、この曲を1987年以降一切ライブで歌わなくなりました(ファンの熱望により、2004年のオーストラリアツアーから徐々に解禁)。
ロサンゼルスで一日12時間働き、モーテルに暮らして悲しい思いをしていた。・・・だけど、サウンドトラックにはバングルスやティーナ・マリーといったアーティストが参加してくれた。うまく行っていたんだけど、それもスピルバーグが入ってきてほとんどの音楽を映画から削ぎ落としてしまうまでのことだった。
シンディ・ローパー
1985年夏、子宮内膜症にかかっていることを知った。手術の二週間後、ボブ・ゲルドフがライヴ・エイドに参加するように招いてくれた。ほんとに行きたかったし、ボーイ・ジョージも励ましてくれたんだけど、その時点で私のお腹はまだ膨らんでいてほとんどまっすぐ立つこともできなかった。完全に回復するにはしばらくかかり、子宮内膜症のおかげでその後2、3年は病院を出たり入ったりしなくてはならなかった。
『グーニーズ』で「さんざん時間を吸い取られ、それから病気になってしまい、私は1985年の秋までセカンド・アルバムに取りかかってさえいなかった。
シンディ・ローパー・スタイル18 バミューダ・ショーツ
- ギンガムチェックの半袖シャツ
- タータンチェックの男性用のバミューダ・ショーツ
- 3連のスタッズベルト
- バングルの重ね付け
- ブルーのダイヤストーン・イヤリング
- 男性用のソック・ガーター
- ブラウンのショートブーツ
シンディ・ローパー・スタイル19 オールパープル・ルック
- パープルカラーのジャケット
- 3連のスタッズベルト
- 黒とパープルのロングスカート
- 大量のバングル
- キャッツアイ・サングラス
- パープルの薄手のタイツの上にボビーソックス
- 黒のハイヒールパンプス
シンディ・ローパーほどジャケットとロングスカート、そして、パンプスを上手く組み合わせて着る人はなかなかいません。
トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、武道館。1986年、日本。こういう曲をいとも簡単に歌う所が恐ろしい。
トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー。1987年、パリ、フランス。