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シンディ・ローパー伝説4(3ページ)

シンディ・ローパー
シンディ・ローパー
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シンディ・ローパー略歴

  • 1953年6月22日 ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。5歳の時、両親が離婚する。
  • 1970年 高校を退学し、愛犬スパークルと家出し、様々な職業を経験する。
  • 1978年 ブルー・エンジェルというグループを結成し、80年にアルバム・デビューするも売れず、解散。自己破産する。
  • 1983年 一枚目のソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』を発表し、全米で600万枚、全世界で1600万枚を売り上げる。ファースト・シングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」が全米No.2ヒットになる。
シンディ・ローパー略歴続き
1985年アメリカン・ミュージック・アワード
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最優秀ポップ/ロック女性アーティストに選ばれる。

プリンスは私のバージョンを気に入っているという話だった。後にアメリカ音楽賞に出席したときに彼を見かけたけど、話しかけなかった。そんなの馬鹿げてると思うでしょうけど、彼がうんと有名だから近づいていきたくないって気がしたの。だけど、ここ10年ぐらいでぐっと親しくなった。・・・まさに神様の申し子だと思う。

シンディ・ローパー

とにかく、セットのすべてをモノクロにしたの。・・・・私は裸足で、黒のパンツに白のスカート、黒のアイ・メーク、ゼブラ・プリントのベストを着た。ステージに置かれたバケツに入ったオレンジの絵の具と黄色とオレンジ色の私の髪以外はまったくなんの色もなかった。それで、歌いながらセットに色をシュッシュと塗り付けていったの。・・・みんなの家庭にアートを持ち込みたかったのよ。・・・だから、ときとして自分自身を絵画にしてしまうレディー・ガガやニッキー・ミナージュに共感を覚えるの。

プリンス(1958-2016)が1980年のアルバム『Dirty Mind』に収録していた「ウェン・ユー・アー・マイン」をカバーし、第12回アメリカン・ミュージック・アワードにてライブ・パフォーマンスを披露しました。



シンディ・ローパー・スタイル17 真珠のドレス
  • マルチカラー・ワンショルダードレス
  • 大量のパールの重ね付け
  • パールバングル

シンディ・ローパーは、アンティーク古着に新たなる生命を与えた。彼女からヴィンテージ・ファッション・ブームは再熱した。・・・私は今まで彼女のようなファッションを見たことがなかった。なぜなら彼女は、全てのファッションの常識の逆を行っているからなのです。

ビフ・チャンドラー(スクリーミング・ミミ共同経営者)、1985年

アメリカン・ミュージック・アワードのために30個以上の真珠のアクセサリーを集めて、シンディに「どれか選んでちょうだい」と言いました。すると彼女は全てを手に取り、「全部使うわ」と言って、ドレスの上に全ての真珠を付けていったのです。本当に驚きました!

ローラ・ウィリス(スクリーミング・ミミ共同経営者)、1985年

スクリーミング・ミミで買い物するシンディ、1984年。

子供の頃、近所の人々を相手にストリートで歌を歌い、25セントを集めていたという。

「若草物語」のようなジャンパースカートもとてもかわいい。

1985年ニューズウィーク誌の表紙を飾る。

ウィ・アー・ザ・ワールド
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「君のジュエリーを外してくれないか」クインシー・ジョーンズ

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「ウィ・アー・ザ・ワールド」USAフォー・アフリカ 1985年3月リリース。全米1位、全英1位

1985年1月28日、アメリカン・ミュージック・アワードの夜に、マイケル・ジャクソンをはじめとするポップス界を代表する45人のシンガーが勢揃いし、アフリカの飢餓と貧困に対する救済のチャリティー・ソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」のために徹夜のレコーディングを行いました。

そして、その中の一人としてシンディ・ローパーも参加しました。本当は、シンディの前のパートをプリンスが歌う予定でしたが、スケジュールの都合でキャンセルとなり、代打としてヒューイ・ルイスが歌いました。

あまりに慌てていてアート・パフォーマンスのあと髪を洗うことができなかったから、私の頭からはオレンジと黄色のペンキが垂れていた。イタリア製のウェイター・ジャケットの下に白い毛羽織のブラウスとオーバーオールを着ていたんだけど、もっと痩せて見えると思ったからジャケットを着ていた。で、その場に到着したら、マイケル・ジャクソンがバンドリーダー・ジャケットを着ていて、それが私のジャケットにあまりにもそっくりだったわけ。だから私はそれを脱いだ。

シンディ・ローパー

クインシー・ジョーンズはずっと「このジャラジャラいう音はなんだ?」って言ってたんだけど、いったんすべてをストップさせると私のところにやって来て、「君のジュエリーのせいだよ」と言ったのね。・・・私にとって何を着るかなんてことはたいして重要じゃない。自分の着ているものにいかにアクセサリーを併せるかが重要なの。だってさ、私たちはフィルムに収められていたのよーカッコよく見せたかったのに。

レコーディング風景。右にブルース・スプリングスティーン。

ライオネル・リッチー、ボブ・デュラン、マイケル・ジャクソンらと共に。

レコーディング中のシンディ。