シンディ・ローパー

シンディ・ローパー伝説3(3ページ)

    シンディ・ローパー略歴

    • 1953年6月22日 ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。5歳の時、両親が離婚する。
    • 1970年 高校を退学し、愛犬スパークルと家出し、様々な職業を経験する。
    • 1978年 ブルー・エンジェルというグループを結成し、80年にアルバム・デビューするも売れず、解散。自己破産する。
    • 1983年 一枚目のソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』を発表し、全米で600万枚、全世界で1600万枚を売り上げる。ファースト・シングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」が全米No.2ヒットになる。
    シンディ・ローパー略歴続き




    デビューアルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』の続き

    シンディ・ローパー初の全米No.1ヒット。

    「タイム・アフター・タイム」 1984年1月リリース。全米1位、全英3位

    第二弾シングルとしてリリースされたこの曲は、シンディ・ローパーとザ・フーターズのロブ・ハイマン&エリック・バジリアンによる共作です。全米No.1ヒットに輝いたバラードのタイトルの命名は、意外なほど適当なものでした。

    歌を書き始めたとき、差し当たっての仮タイトルが必要になった。で、『TVガイド』を見ていたら2,3の映画のタイトルが目に入った。そこに『タイム・アフター・タイム』っていうマルコム・マクダウェルとメアリー・スティーンバージェンが出演しているのがあって、「OK、今のところはそれがいい仮タイトルみたいに聞こえる。あとで変えるけど」って思ったわけ。

    私がメアリー・スティーンバージェンの大ファンだって言ったっけ。ほんとに面白くて素晴らしい女優よね。・・・そのひどいタイトルを取り除けようとどんなに頑張っても、歌がバラバラに崩れてしまいそうで外すことができなかった。

    シンディ・ローパー

    グラミー賞の最優秀楽曲賞にノミネートされていたけど、フィル・コリンズの「見つめて欲しい」が獲得した。だけど、ひとつ思うのはね、「見つめて欲しい」のカバーはあんまり聞いたことがないけど、「タイム・アフター・タイム」のカバーは聞かれなくなったためしがない。・・・いちばん名誉に感じたのは、マイルス・デイヴィスがカバーしてくれたときね。自分に会ってほしいなんて思わなかった。だって、(ほとんどの年上の人たちみたいに)彼が私を嫌いになっちゃったら、もう私の歌は演奏してくれないだろうと思ったから。彼のその曲のプレイの仕方は純粋に魔法そのものだった。

    ビデオ・クリップのオープニングに流れるマレーネ・ディートリッヒの『沙漠の花園』(1936)。昔、シンディが結成していたバンド名のブルー・エンジェル(=嘆きの天使)の由来といい、彼女は本当にマレーネ・ディートリッヒが大好きです。そんな彼女のファッションのアイデアの源は、時代の先を進んでいる奇抜なスタイルとは裏腹に、クラシック・ムービーによるものが多く、「私はジャック・タチが大好きだから、彼のスタイルの要素も入っている。・・・未来を知るには過去を知る必要があるのよ」という彼女のその言葉にこそ、シンディ・スタイルの真髄が見えてきます。

    1984年2月28日に開催された第26回グラミー賞にて。

    まだデビューしたての初々しいシンディ・ローパー。

    ファッションは尖がってるのですが、表情は愛くるしいという奇妙なギャップがシンディの魅力です。

    両手でロングスカートをたくし上げて、内股で踊る=シンディ・スタイル。


    シンディ・ローパー・スタイル11 グラミー・ドレス
    • ゴールドのノースリーブのトップス
    • カラフルな南国プリントのロングスカート
    • 頭にグリーンのシフォン
    • フルーツ・ネックレス
    • 赤タイツ
    • 赤のハイヒールパンプス
    • 黒レースのフィンガーレスグローブ
    • 色々なバングルの重ね付け

    もうひとつ皮肉だったのは、私のファッションのほとんどが、ほんとに欲しいものが手に入れられないから革新的にならざるを得なかったという事実から生まれた、ということ。たとえば、みんなが長いチェーンをしているとき、私には鎖1,2個しか買うお金がなかったから、蚤の市で25セントで買えたラインストーンをつなげたものと一緒にベルトみたいにしてみた。そうしたら、誰かが実際にラインストーンのついたチェーンを売り始めたのよ。

    シンディ・ローパー

    人々は私の「寄せ集めファッション」について書き立てた。デトロイトでコンサートをやったとき、パフォーマンス中―ほんとにみんな夢中になってたー観客の人たちが私からいろんなものをもぎ取り始めたの。当時はまだあれやこれやのために貯金をし、小さなものまで自分で買い物していて、やっとチェーンとラインストーンのベルトみたいなものが買えるようになった頃だった。だから人々が手を伸ばして私の物を奪い取ったとき、私は「何してんのよ?私が留め置きで手に入れたこのスカートをはぎ取ろうとしてるんじゃないよ!」みたいになっちゃって。最初はほんとに仰天した、それと、あの悲鳴ね。


    だけど、ラインストーンをつけたおばあちゃん、スプレー染めの髪のお母さん、そして、私の不気味バージョンみたいな服装をした彼女らの子供たちっていう三世代の女性たちが私のコンサートに来てくれるのを見たら、自分は何かいいことをやっているんだってわかったの。・・・自分は三世代の人々に語りかけていたのであって、それこそ私の求めていることだった。


    同じイヤリングを付けているある日のシンディ。

    シンディ・ローパー・スタイル12 スカジャン・スタイル
    • ブルーのスカジャン
    • ブルーのダイヤストーン・イヤリング
    • 白のセーター
    • 赤のチェックパンツ
    • 黒のショートブーツ
    • 黒とグレーのスカーフ
    • チェックのハンチング帽

    だから髪を切り市松模様に剃って、それえを彼に見せずにいたの。そんなわけで、ダイナーで私が帽子を取るシーン、あれはほんとに彼がびっくり仰天してるところなのよ。

    1984年3月初来日したシンディと日本の原宿娘たち。

    ビデオ・クリップではロングスカートにスカジャンを合わせているが、ジージャンとのアンサンブルもとても可愛らしく、タイムレスなスタイリングです。



    パティ・ラベルとのデュエット

    パティ・ラベルが「タイム・アフター・タイム」を歌うのを聞いたとき、「ああ、私は成功したんだ」って気分になった。・・・私たちは「レディ・マーマレード」も一緒に歌った。・・・自分が子供の頃に歌っていて、声に共感を覚えていたその歌の歌い手と一緒に歌うことができるなんて、しかも、その人が私の歌を歌っているなんて、それは私のキャリアのきわめて驚異的な瞬間のひとつだった。

    シンディ・ローパー


    トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、武道館コンサート、1986年、日本。


    トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、1987年、パリ。



    ページ:

    1

    2 3

    スポンサーリンク

    スポンサーリンク

    女性目線の男磨き

    カイエ・デ・モード目次

    PAGE TOP
    %d人のブロガーが「いいね」をつけました。