70年代は、ブルース・リーと梶芽衣子様の時代だった。
『子連れ狼』の原作者でもある小池一夫と、『同棲時代』の上村一夫による作画の劇画『修羅雪姫』を原作とした本作。この作品が、21世紀に入り、クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル Vol.1』(2003)として、不死鳥の如く蘇えりました。
そして、それまでは、日本国内において、全く顧みられる事のなかったこの作品が、掌を返したように賞賛され、同時に梶芽衣子(1947-)という女優が再評価されることになるのでした。
それは21世紀において、梶芽衣子様が、ブルース・リーと並び立つ、世界的に有名な1970年代のアジア人映画スターとなった瞬間でした。この二人に共通しているのは、東洋人特有の哀愁を帯びた眼差しです。
さらに梶様に関して言えば、彼女の存在自体が、日本人女性の持ちうる至宝の美を体現しており、日本人女性には着物が一番似合うことを世界に示してくれました。
梶様は、白無垢の着物に、リアル・ブラッドには見えない美しい赤い液体を飛び散らせることによって、ただ着物だけが生み出しうる、世界中の女性が、身震いして憧れるほどの様式美を体現したのでした。
上村一夫の描く、修羅雪のキャラクターとしての凄みは、なによりもその「目」にあった。宿命によって怨念と修羅の道を歩まねばならぬ哀しみをたたえながら、一方で、強い意思と自我を感じさせる目・・・だから、この『修羅雪姫』に映画化の話が持ち上がったときには、生身の女優であの「目」を表現できるか・・・と一抹の危惧も、実は抱いたのだが、修羅雪を演じるのが梶芽衣子さんであると聞かされたとき、その危惧は消し飛んだ。・・・梶さんは、修羅雪以上に修羅雪であった。
小池一夫(『修羅雪姫』の原作者、当初、小川知子を希望していた)
はじまりと終わりに登場する黄色い蝶が舞う着物
修羅雪姫の第一声は「怨み」です。そして、日本映画史上、梶芽衣子様以上に「怨み」という台詞が似合う女優は存在しません。
雪の中、夜道を歩く着物姿の雪姫。その所作の美しさ。そういった着物のこなれ感や所作は、梶様に元々身についていたものではなく、1969年に『日本残侠伝』に出演した時に、はじめて着物を着た彼女に、『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970)で有名なマキノ雅弘監督が、〝キモノの極意〟のすべてを懇切丁寧に教えてくれたのだそうです(この時、マキノによって、梶芽衣子に改名し、不遇時代から抜け出すことになる)。
梶様の佇まいは、どこか、時代劇でありながら、クリント・イーストウッドの『荒野の用心棒』に相通ずるニヒリズムを感じさせます。梶芽衣子様は、藤純子様と同じく着物を斬れる稀有な女優でした。
修羅雪姫の衣装1
黄色い蝶が舞う着物
- 白地に黄色い蝶が舞う着物、裏地が黒!、半衿
- 漆黒の帯と金の帯締め
- 緋色の裾よけ
- 素足に黒塗りの二枚歯の下駄
- 珊瑚の玉簪
- 仕込み刀の蛇の目傘
修羅雪姫の衣装2
ミリタリーキモノ
- 迷彩柄の着物、裏地は薄い赤
- 薄い赤の帯
- 緑色のリボン
「死んでいた朝に、とむらいの雪が降る」「涙はとうに捨てました・・・女はとうに捨てました」
そして、平尾昌晃が作曲した「修羅の花」が流れます。この歌は本当に素晴らしいです。あとは藤圭子様くらいでしょうか・・・京都のおんなは生きるために泣く~~のようなセリフを違和感なく歌いこなせるのが、梶様の歌い手としての存在感の凄さです。
作品データ
作品名:修羅雪姫 (1973)
監督:藤田敏八
衣装:記載なし
出演者:梶芽衣子/黒沢年雄/赤座美代子/仲谷昇